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箱根駅伝は学生ランナーとシューズブランドのストーリーにも面白さあり

□NIKE フィーバーは何だったのか


第100回大会の箱根駅伝2024は、駒沢大学有利の下馬評を覆す、青山学院大学の圧勝であったが、それと同じぐらい選手たちのその足元、シューズ事情にも多くのドラマがあった。

2017年、NIKEが速く走る概念をドラスッティクに変えた。ヴェイパーフライの出現は、その存在感の強さからワールドアスレチックスのルールすら変え、そして、それは選手とブランドの関係性も変えた。

この時期、NIKEアスリートが世界中の表彰台を独占。ライバルに勝つためには自分もNIKEを履かなくてはならない、“シューズがナイキでないと勝てない“という、言わば、ナイキ>選手とでもいうとても不均衡な関係を生み出した。

2021年の箱根駅伝では210名の95%弱と、まるで“指定学生服“状態の NIKEシェアがそれを象徴している。パワーバランスは確実に変わった。

足型、フォーム、体のクセなどに選手それぞれに個性がある中で、NIKEの、それもヴェイパーフライとアルファーフライの2モデルから選べてしまうのであれば、他のブランドの存在意義をなくなってしまう。この年、着用ゼロになったアシックスの危機感たるや相当であったはずだ。

□ブランド参入が相次いだ今大会、それは何故か?


現在では、各ブランドの努力とNIKE独占市場への強い危機感もあって、プロダクトが単純に良くなって、そして、差がなくなってきて、それは解消に向かっている。

その証拠に、今回の箱根駅伝では、NIKEがシェアを“標準的“な42.6%に落として、逆に、Adidas、Asics、Pumaはそれぞれ二桁シェアを占めたが、特にAsicsは、57/230名と復活した。

また、NBやUA、Mizunoなど少ないながらもシェアを持ち、On、HOKA、Brooksの3ブランドが今回箱根駅伝に新規参入するなど、これらブランドが今回入り込めたことは、シューズ自体の差がなくっているという背景も確実にあった。

NIKEの発明である“速く走る概念“の、PEBA(ポリエテールブロックアミド)ベースのミッドソール素材、それにカーボンファイバープレートのコラボレーションから力を発揮するロジックはすでに標準化したのだ。

すでに、“どれがいちばんなのか“という宝探しではなくなっていて、優れたシューズたちをランナー自身がどう扱うかということに気づき、感じはじめている。その中で、自分に目を掛けてくれたブランドに応えたいというような、ブランド=選手のシンプルな関係性が生んだ今回のブランドシェアであったのではないだろうか。

□ブランド>選手、ブランド<選手、どちらもダメ


ただ、NIKEが圧倒的な有意性を保っていた時代は、まさにNIKE>選手であったが、これがブランド=選手を通り越して、ブランド<選手になってしまっては元も子もない。

1人でも多く履いて欲しいというブランドの競争概念は、選手への対応のエスカレート化にもつながりやすい。そして、この線引きはとても大事でとてもセンシティブな部分だ。

選手のわがままを一方的に聞いてあげる関係と、ブランドが要望を聞いて選手がそれに応えるような関係は大きく違う。また、選手の要望は大事であるが、彼ら1人ひとりに合わせることは、既製品のプロダクトの否定にもなりかねない。

かつての作る人しか分からないブラックボックス化したカスタムシューズカルチャーのような先祖返りは良くない。

ブランドは市販品のプロダクトの有用性を純粋に伝える、選手はブランド思いに応えて、できる力を箱根駅伝で発揮する、あくまで、ブランド=選手のバランス感はここにあるべきだ。

今回On、HOKA、Brooksの箱根新規参入ブランドを着用したランナー、また1足ずつであったが選手との関係性が実ったNew BalanceやUnderarmourなど、ブランドと選手の関係はそういったコツコツと積み上げたものでいい関係性が生んだ結果であったはずだ。

□太田選手の激走はシューズとのいい関係性を感じた


初優勝した頃の青山学院大学はAdidas一色の蜜月関係であった、それはお互いにとって良い関係であったと思う。それがNIKEショック後は一変する、学生スポーツであるし、厳格に言えば履く義務はないのであるが、彼らも勝負を優先した選択をしたからだ。2021年のピークには10名中9名がAdidasではなくNIKEとなり、この時期の象徴的な出来事になった。

それが今回、メンバー10名中6名がスポンサーブランドのAdidasを着用、そして、彼らは圧勝したわけだ。メーカーとの関係バランスが確実に変わって、これもシューズを取り巻く環境の変化を表した出来事だと言っていいだろう。

さらに面白いことに、2区の黒田選手と3区の太田選手の区間にはブランドとしてのサプライズがあった。あのフルマラソン女子の驚愕の世界最高記録をたたき出した、世界限定512足販売、8万2500円シューズ、アディゼロアディオスエヴォ1を2人が着用したのだ。そして、彼らは区間賞とそれに見事に応えてみせた。

このシューズ、圧縮プロセス排除し、軽量性に重きを置いた誰でも履ける代物ではない。それをコントロールできるランナーという“パーツ“が揃わなければパワー発揮できない作りであって、言い換えれば、はっきりとした速く走れるロジックがあるわけではないモデル。

裏事情は分からない、でも、良い関係性を背景とした、彼の“オレ履きますよ“といった純粋さと、メーカーの期待にピュアに応えようする掛け算が生み出した激走に思えた。

□学生ランナーとシューズブランドのストーリーも面白い


箱根駅伝は、レースとしての勝ち負けのドラマが面白いのは言うまでもないが、その足元、シューズをめぐる事情にも多くのドラマがあり、また、それも面白い。

ゆえに高い注目度があるスポーツインベントで、メーカーからするとまさに金のなる木だ。このタイミングに一喜一憂するのは無理もない。一方、それゆえ学生からすると一般的な学生スポーツのイメージを超えたサポートがある、そんな側面は確かにあるだろう。

ただ、少し向きを変えて見てみると、メーカーとしては、真剣勝負の場での渾身のプロダクトテストの機会創出、それはとてもお金に変え難い価値であり、また、学生もシューズという自分たちになくてはならない道具のサポートを受けながらも、それらに忖度のない評価をできる機会になるという純粋な話にもなる。

そして、その関係が新しいプロダクトを生み出すパワーになれば素晴らしい。NIKEが2017年に行ったブレイキング2もまるでそんな関係性ではないか。

その線引きを間違えれば、彼らをわがままにすることもあるだろう。そこはブランドとしてはビジネスであるからプッシュしつつも、いい関係性を保てる距離感こそ大切なポイントなのであろう。

今回、プロトを着用という特別待遇を受けた学生ランナーは、忖度のない評価をすることでメーカーにとっては貴重な価値を創出したはずだ。またメーカーは、単純に本番で履いてくれたことにで感謝しているはずだ。

一方、次期発売モデルを事前に着用できるという特別待遇を断り、もしくは着用したものの、自分の信じたメーカーにとっては宣伝にならない旧モデルを履いた学生もかなり多くいたが、この出来事だってブランドと選手の関係として忖度のないある種のバランス感があるように感じた。

たかがシューズ、されどシューズ。プロアスリートであれ、学生ランナーであれ、シューズは競技に必要不可欠なもの、そこに多くのドラマがあったことみなさんにも知ってもらいたい。

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