「〇〇さえあれば」思考をやめる

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❌この学校に行きさえすれば
❌この資格さえ取れれば
❌この会社に入りさえすれば
❌夢中になれることさえみつかれば

〇〇さえあれば、っていう考え方でうまくいった試しが一度もない。びっくりするくらい見事に一度もない。

だから「〇〇さえあれば」っていう考え方をするのはやめた。

やめたつもりでも、これはもうクセになっちゃってるから、意識的に「〇〇さえあれば」思考に陥っていないか、気をつけるようにしている。

❌もっと集中できれば
❌もっと行動力があれば
❌もっとカッコよければ
❌もっと有名になれれば

どんどん出てくる。


じゃあ代わりに、常日頃どんなことに意識を集中して過ごせばいいのか、色々研究した結果、

今日という一日を完璧に仕上げる

ここ。ここに意識を集中してればだいたい気持ちよく過ごせる。

ただし、ここで言う「完璧」にはひとつだけ条件がつく。

持続可能であること

つまり、「今日みたいな生活を一生続けたい」と思えるかどうか。

例えばめちゃくちゃカフェインを摂って徹夜して仕事を仕上げればその日一日は生産性が高まるかもしれない。

でも当然、その後数日は寝て過ごすことになり、いつか身体を壊す。心臓発作とかで急死するならまだいいが、優れた医療によって一命をとりとめ、深刻な障害が残ったまま、50年とか生きることになる。

しかし身体を壊してでも「今日くらい集中した一日を生きたい」と思えるのであれば、カフェインを摂るべきだ。

要は「健康か不健康か」「褒められるか褒められないか」ではない。

自分自身が「それでいい」「そんな生活を死ぬまで続けたい」と思えるかどうか。

しかしじぶんの場合は、どちらかというと長生きしたい。できるだけ長生きした方が、思考を先に進められる。90年生きただけでは気づけなかったことも、100年生きたら気づけるかもしれない。

仏陀の時代はみんな短命だったから一般人には50年とかの人生の間に悟りの境地に至るのは難しかったかもしれないけど、

自分みたいな凡人でも、今の時代に100年くらい生きれば、悟りの境地に至れるかもしれない。100年後には「悟り補助システム」とか出来上がってるかもしれないし。

なので、今のじぶんが考える

完璧な一日

というのは、明日も同じくらいがんばれて、明日はより健康で、肉体も精神もできれば今日よりちょっと超回復しているような、そんな一日。

そんな一日を繰り返したい。



読みたい本がたくさんあります。