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皇后はアヘンに溺れた 日本の人工国家「満州国」を支えた闇の資金源

2023年7月11日 10時00分 丘文奈 編集委員・永井靖二
皇后はアヘンに溺れた 日本の人工国家「満州国」を支えた闇の資金源:朝日新聞デジタル (asahi.com)

 旧満州国の首都「新京」だった中国吉林省・長春。住宅街を抜けると、分厚い壁に囲まれた建物群が突然現れる。

 満州国の皇帝だった溥儀(ふぎ)と、皇后・婉容(えんよう)が暮らした場所だ。

日本の傀儡(かいらい)国家で、日本の敗戦によって13年半で崩壊した満州国は、中国で「偽満州国」と呼ばれる。

満州国
 1931年の満州事変の翌年、関東軍(満州に駐留していた日本軍)が中国東北部につくった「国家」。政権の正統性を確保するため、清朝最後の皇帝だった溥儀(ふぎ)を帝位に就かせた。「王道楽土」の建設、「五族(日・満・漢・モンゴル・朝鮮)協和」といったスローガンを掲げたが、実権は日本人が握った。45年、日本の敗戦とともに消滅した。

溥儀
 映画「ラストエンペラー」で知られる清朝最後の皇帝。姓は愛新覚羅。2歳で即位したが、辛亥(しんがい)革命で1912年に退位。32年の満州国成立とともに執政として迎えられ、34年に皇帝に即位した。日本の敗戦後、極東国際軍事裁判で「日本軍に強制されて皇帝になった」と証言した。

この場所は現在、「偽満皇宮博物院」として一般公開され、平日も観光客でにぎわっていた。

 映画「ラストエンペラー」のロケにも使われた広大な敷地の一角に、溥儀らが住居として使った「緝熙楼(しゅうきろう)」があった。

1階の数部屋は、溥儀や婉容の写真の展示スペースだ。夫婦が手を取り合う数枚のツーショット。チャイナドレス姿の婉容の耳元にはピアスが光る。顔はふっくらとし、カメラをまっすぐ見つめほほ笑んでいる。

 美貌(びぼう)で知られた皇后は、不自由な境遇や夫との関係に悩み、次第に「あるもの」にのみ込まれていく。

 2階の婉容の寝室の斜め向かいに、20畳ほどの部屋があった。

 じゅうたんも壁紙もピンク色。天井から金色のシャンデリアがつり下がり、中世ヨーロッパの貴族の部屋のようだ。

 部屋の奥にソファがあり、すぐ前の机の上に細い管のようなパイプとランプが置かれていた。

 「婉容の喫煙室」

 部屋の前の解説文にはそう記されてある。この部屋は、婉容が麻薬・アヘンを吸引するために使っていた部屋だ。

 ソファに横たわり、ペースト状のアヘンをランプであぶり、立ち上る煙をアヘンパイプで吸う。

【インタビュー】満州に蔓延したアヘン、貧困層が犠牲に 現代の米国にもつながる病根

アヘン
 ケシの実から採れた乳液は時間がたつと黒褐色の固まりになる。これがアヘンで、吸引すると痛みや悩みが消えて陶酔感や性的快感に浸れるが、回数ごとに効き目は鈍り、使用量が増えていく。快感が切れると強い不安や倦怠(けんたい)感に襲われ、苦痛から逃れるため、アヘンなしにいられなくなってしまう。

「自由を奪われ、寂しさと苦しみを紛らわすために、婉容は一日中アヘンを吸った」。解説文にそう記されていた。

 婉容は最後には重度のアヘン中毒になり、顔はやせこけ、自力で立てないほど衰弱していたという。誰にも見届けられることなく、39歳でこの世を去った。

 だが当時、アヘンにむしばまれたのは、婉容だけではなかった。

上海で「アヘン王」と呼ばれた日本人 極秘文書に残る流通のからくり

2023年7月12日 10時00分 丘文奈 編集委員・永井靖二
上海で「アヘン王」と呼ばれた日本人 極秘文書に残る流通のからくり:朝日新聞デジタル (asahi.com)

夜景で有名な中国・上海の観光スポット「外灘(バンド)」から車で10分ほどで、戦前に日本人が多く住んでいた地区にたどり着く。

 ガラス張りのビルと、租界(外国人居留地)があった時代の洋風建築が混在する一帯に、9階建てのマンションがひっそり立っている。

1931年の建築で、丸みのある外観とれんが造りの外壁が特徴だ。

 上海は戦前、日本の傀儡(かいらい)国家だった満州国をはじめ、中国大陸各地で蔓延(まんえん)した麻薬・アヘンの流通の中心地となった。

表向きは「中毒者の救済」を掲げ、日本はアヘンで膨大な利益をあげ続けた。そして、利益の一部は関東軍に流れていたことが、近年の研究で分かっている。

 かつて「ピアスアパート」という名前だったこのマンションは、アヘン流通の「心臓部」ともいえる場所だった。

 ここに「上海のアヘン王」と呼ばれた日本人、里見甫(はじめ)の執務室兼住居があったとされるからだ。

 マンションのアーチ型の門をくぐり抜けると、中庭が広がる。2階に上がると、開いた扉から、高齢の女性が台所で料理しているのが見えた。

女性は夫と1949年から70年以上ここに住んでいるといい、部屋の中を案内してくれた。

 キッチンのほか6畳ほどの部屋が3部屋。床材やドア枠には高級そうな木材が使われていた。

 「昔は社会的に地位がある人しか住めない高級アパートだった。政府のお偉いさんもここに住んでいたな」。奥の部屋にいた女性の夫が少し自慢げに説明した。

 「かつて、ここに日本人が住んでいたことを知っているか」

 記者が尋ねると、夫は頭を振った。

 「外国人? そんな話は聞い…

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