井伏鱒二『山椒魚』

読書感想文
井伏鱒二『山椒魚』

「山椒魚は悲しんだ。」から始まる、あの有名な小説。
私は活字を読む時にある程度の覚悟が必要な人間だ。
だから、あまり手に取らないのだけれども、山椒魚なら可愛いし、読める気がすると思って読んでみた。読めた。


山椒魚が嘆いているの様子が愛おしい、そしてやっぱり可愛い。

あのでっぷりとしたフォルムの山椒魚が、岩屋から出られなくなるほど発育したことにより嘆いている。
そんなの痩せるしかないのに、少し卑屈になりながら嘆いている生き物が、あのただでさえ肉厚に見える山椒魚だなんて、可愛いじゃんか。と思ってしまう。
すると、ナイスタイミングで井伏鱒二が、「そんな山椒魚をどうかバカにしないで。病気で病室から出られなかったり、刑務所から出られない囚人は嘆くでしょ。」という。

確かにそうだけど、「山椒魚が」となると、どうしても上記のような感想になる。

外に出たいのに出られない山椒魚は、どんどん卑屈になる。
自由に動ける感動や羨望の対象であったカエルが偶然にも山椒魚の岩屋に紛れ込む。
山椒魚はカエルを自分と同じ境遇にすることが痛快で、両者は自分を主張する口論をひたすら続ける。
2年も過ぎるとお互いが黙り込み、自分の嘆息が相手に聞こえないよう注意していた。
ある日、カエルが不注意にも嘆息をもらしたことがきっかけで、カエルは自分を鞭撻し、新たな種類の会話が生まれる。

カエルの「今でも別にお前のことをおこってはいないんだ。」という言葉は、友情の芽生えか、信頼か、慣れなのかわからないけれど、きっと二人の間には、むかつくとかいうような感情は少なくともなくなっているんだろうな。

もしくは諦めなのかなあ。

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