『逃げ恥』は現代のお伽噺だった

 年末の一挙放送ではじめて、『逃げ恥』をほぼ全ストーリー見た(一部見られなかった箇所あり)。それで思ったこと。これは、男女で見ている場所が違うお伽噺なのでは。

 日本の昔話には、「(貧乏な)おじいさん・おばあさん」が主役なことが多いですが、もう一つのパターンとして、「嫁のいない若者」が主人公なものが多くあります。浦島太郎然り、食わず女房然り。よく、夢見る若い女性を揶揄して、「シンデレラ症候群」とか「いつか王子様が」と言いますが、実のところ、昔話の場合、「独身の若者」のところに何かがきっかけで美しい女性がやってくるというのが、日本の昔話のパターンには多い気がします。『逃げ恥』もまさにそれで、「35歳プロ独身の男性」のもとに「10歳下のかわいいけど、ちょっと変わった女の子」が、ある日突然やってきて契約結婚を申し出る。そして、たいていのお伽噺では、男性が女性の好意に胡座をかいて、更に欲をかいたり、約束を破ることで破綻して終わりますが、『逃げ恥』も同様に、リストラという憂き目にあって彼女の好意に胡座をかいた途端、「若い娘」はプロポーズを断るという形でいったん破綻していました。

 多くのお伽噺がそうであるように、『逃げ恥』も、教訓になるような『毒』を含んでいるお話でした。もし、ドストレートに社会派のドラマになっていたら、恐らく女性の共感は得ても男性の共感は得られなかったのではないでしょうか。だって、自分の心が痛くなるものって誰でも見たくないもの。ここ最近、ドラマでは「主人公が言いたいことを言う」のが流行っているようにも見えますが、『逃げ恥』の場合は、お伽噺の形をとることによって、女性の主張も、男性の主張も上手くゆるい毒に溶かしてる印象がありました。

 だって、「育休とってキャリアから外れた女性たちの希望の星」という件についてだって、そこには沢山の男性に対する揶揄が含まれているし、主人公のみくりが言う「好きの搾取」も、今の「平均的夫婦像」では、よくあることです。だからこそ、世界的にみて女性の地位が111位なんていう結果になるわけです。でも、それをそのままたたきつけるのではなくて、「35歳プロ独身」という言わば、「視聴者の男性よりもてないかもしれない草食男性」を主人公にすることで、上手く躱してる気がします。

 この話、女性にとっては共感すべきキーワードが沢山でてきて「スカッとするドラマ」であり、星野源がかわいいドラマであると同時に、男性からすると、典型的な日本昔話の主人公になれる上、そこそこキャリアの不満もからめつつも、ハッピーエンドになれるのだから、(男性にとって)こんなに都合の良い『現代のお伽噺』はありません。個人的には、キャリアウーマンの女性の言葉よりも、みくりの言葉よりも、ヒラマサさんの言葉よりも、高校時代の風見さんを振った女性に対する風見さんの言葉が、一番響きました。彼はモテるモテないの話で出してましたけど、それに限らず、ホント、「○○できる人には私の気持ちなんてわからない」系の台詞って、これまでの人生でも何度も聞いてきて一番ウンザリしているので、「自分しか見えてない人になんと言えばいいかわからない」のは、心の底から同意しました。私もそうなってるときがあるだろうし、誰でも「自分しか見えてない時」はあると思いますが、それでも、「○○な人に私の気持ちなんてわからない」は、一番言ってはいけない言葉の一つだと思うんですよね。諦めきってる人の気持ちを、諦めない人に解れって言う前に、お前が言われた側の気持ちをわかれよっていう…。

 話がずれましたが、「ゲイだというと誰でも彼でも襲うかのように思われるのが悲しい」という人が、「あの二人(男同士)は出来てる」と腐女子目線で決めつけるという矛盾もあったり、まあ、人は矛盾だらけだよね…というのがあちこち散りばめられていたのも、興味深かったです。「高度技術者の給与が高いからリストラ」なんていう、実際にここまで教育したら凄く金がかかることを無視してのリストラとかも現実にはあることでしょうし。そういった風刺が効いていることも含めて、『逃げ恥』が当たったのは、『現代のお伽噺だったから』だと感じました。

 それにしても、昔話(日本のお伽噺)って、なんでこう、女性が主人公の少ないんでしょうね。「鉢かづき姫」くらいしか咄嗟に思いつきません。白雪姫とか、親指姫は冒険しまくりなのにね、ちょっと残念です。

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