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妄想スパイダーマンNWH

「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」を観た。アベンジャーズ本体の話以外はどうしても小物になりがちだったその他のMCU作品の中で、今回はかなり重要な位置付けの作品であり、映画としてのスケール感や完成度も高かった。
が、途中から少々"物足りなさ"も感じた。本編を観賞しながら、僕が期待した事・妄想した事を雑多に書いてゆく。

妄想① 善悪の反転

映画前半で、罪を犯した者たちがどう更生するのか、社会復帰するのか、またはメンタルヘルスの話である事が、過去のスパイダーマンシリーズのヴィランたちの登場により、テーマとして浮き上がってくる。これはMCUに留まらず、ヒーロー物として「新しい!」と本当に興奮した!!

ここの前半の物語のセットアップから、兼ねてからリークされていたサム・ライミ版、マーク・ウェブ版のスパイダーマンが中盤以降に登場するワケだが、ここで映画を観ながら僕が期待していた展開は叶わなかった。

※本編に習い、便宜上サム・ライミ版、マーク・ウェブ版、ジョン・ワッツ版をそれぞれスパイダー1、スパイダー2、スパイダー3として呼称します。

ここから妄想。

スパイダー3を中心に更生したヴィランたち。
だが、そこにスパイダー1&2が現れる。
(もしくは”ヴィランたちがそれぞれの世界・ユニバースに帰る”でもいいが、その展開だとスパイダーマン1&2がそれぞれの時間軸で更に増殖し、話が複雑化しすぎるので却下)

スパイダー1&2は、ヴィランたちを敵と見なし、戦い始める。
スパイダー3は「彼らはもう更生しているんだ!」とスパイダー1&2を止めに入るが、同じ身なりのスパイダーマンの登場に更に動揺するスパイダー1&2。
事態は混迷してゆく。。。

要するに、これはスパイダーマンが共闘する話と思わせて、スパイダー3&ヴィランズがスパイダー1&2と戦う話なのか!?と期待してしまったのだ。
”善悪の反転”という富野アニメ的な価値観が大好物なのでそう思い込んでしまったのだが(苦笑)、スパイダー1&2と「アイアンマン(2008年)」以降に連なるスパイダー3の価値観や意識のズレを描く事で、”これまでのヒーロー像”と”これからのヒーロー像”をより立体的に浮き彫り出来たのではないのだろうか。
ところが、実際の映画本編のスパイダー1&2は登場した段階で現代的価値観にアップデートしており、そもそもスパイダー3より達観したオトナとして登場する。「お前はマーク・ハミルか!?」と思わずツッコミたくなる、あのトビー・マグワイアの年齢と落ち着いた雰囲気を見れば、そうアテ書きするしかないのだけど。。。
(想像するに、ケヴィン・ファイギとしてはヒーロー像としてどうあるべきかよりも、ピーター・パーカーとして3人それぞれがどうあるべきかを優先した結果と思える。)

映画冒頭でソーシャルメディアやマスコミにバッシングされる展開を前振りとするなら、更に敢えて旧来的なスパイダー1&2を登場させ、「正義とは何か?」、もっと言えば、昨今問題視される"行き過ぎた正義"をスパイダーマンというヒーローを使って描けた筈だ。そしてその行き過ぎた正義によって、”キャンセルされた人のその後”まで描ける余地があった。
それぐらいの度量を容易に受け入れられる大きな器を持った「スパイダーマンNWH」だけに、非常に勿体無いと感じた。

妄想② デイン・デハーンの登場

小競り合うスパイダーマンたちと更生したヴィランたちの前に、アメスパ版グリーン・ゴブリン(ハリー・オズボーン)が立ちはだかる。
彼の悪事によって、更生していたはずのヴィランたちが再び悪に堕ちてしまう。
ようやく状況を理解したスパイダー1&2はスパイダー3と共に、ヴィランたちと再び戦い始める!

キャスティングの都合でもあると思うが、ウィレム・デフォー演じるグリーン・ゴブリン1が登場するのに、デイン・デハーン演じるグリーン・ゴブリン2が登場しない事が映画前半を観ている間、非常に意味深に感じしまい、映画後半からの登場を期待してしまった。(例えば、意味深に割れたグリーン・ゴブリンの割れた仮面が、変にミスリードを誘う。)

今回の「スパイダーマンNWH」は、最大の見せ場の一つ・MJ救出のシーンを見ても、シリーズ打ち切りの憂き目にあった「アメイジング・スパイダーマン」のやり直し・弔い合戦でもある事が明白に判る。であればこそ!、尻切れトンボに終わったグリーン・ゴブリン2をいま一度登場させ、キャラクターを成仏させて欲しかった。
僕がデイン・デハーンと言う役者が好きだからというが1番大きく、まぁ実際のグリーン・ゴブリン1によるひっくり返しでもいいのだが、悪事を働き損なったグリーン・ゴブリン2をNWH最大のヴィランとする方が、シリーズとして綺麗にハマったと思えて仕方ない。

妄想③ 更なるインフレ

スパイダー1とスパイダー2を登場する事自体、数年前からリークされていただけに、更なるサプライズを期待してしまった人は多いはず。
単純に「スパイダーバースよりスパイダーマンの人数少ないじゃん」と少々肩透かしを喰らったことは否めない。
ストーリーや予算を考えても、3人以上のスパイダーマンをガッツリ登場させる事がリスキーなのは理解する。
だが例えば終盤において、ドクター・ストレンジが時空の裂け目を食い止めている時に、他のユニバースのキャラクターたちの影を見せるショットがあるが、せめてあそこでスパイダーバースのキャラクターや東映版スパイダーマンのレオパルドンのシルエットをチラ見せするぐらい、造作もなく出来ただろう。
ドラマのノイズにならないように終盤の楽屋落ちは程々にするのも理解するが、ここまでメタ的にしておいてそりゃないぜ、って思うのは僕がサプライズジャンキーすぎるか?

まとめ

以上、僕なりにこうしたらもっと面白くなったのでは?と思ったままに書いてみた。
こうやってグダグダ言いながらも、やっぱトム・ホランド良い役者だなとか、軽快な冒頭のTalking Headsの曲の使い方、メイおばさんのくだりはグッと来るし、スパイダーマン3人が揃ってアクションし始める激アツな展開とかとか、まぁ見所が多くて、本当に良く出来てますわ。
ただ事前に感じでいた事だが、マルチバース展開がなんでもアリすぎて収拾つかないんじゃないか、メタすぎて観る人の共感を削いでしまう可能性も多分に感じて、ケヴィン・ファイギがうまく料理するんでしょうが、やはり今後が心配。
「ドラゴンボール」の"願い"のように【生き返るのは2回まで】などと、さしたる理由なく回数制限を盛り込んだのは偉大だなと改めて思う。

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