見出し画像

すべて自分の

弱さ故、でしかなかった。


「さすがに行こう」という瞬間が遂にきて、整体と銭湯に行った。

生まれてこの方日本に住んでいるのに、日本人の接客が苦手な私は、意図的に中国人やタイ人がやっている店を選ぶ。

近所にある外国人店員の多いコンビニも把握済みだ。

中国人女性の整体師に、「イタかったね」「ツカれてるね」と声をかけられて、少し泣きそうになった。

初対面だから心まで声が届かないとか、付き合いが長いからなんでも分かってくれるとか、当たり前だがそんなことはない。

最近もらったどんな言葉よりもあったかい気がして、「こんな人が世の中にいるなら、もう少し生きるの頑張ってみようかな」と思えた。


薄着で来ていたので、店を出るときに「ウワギはモってきてない?」と聞かれた。

“「気を使わなくて済む」状態というのは、お互いの気遣いでできていると思う。”

気遣いって、自分本位の混じらない言動のことだと思う。

「嫌われたくないな・・」「良く思われたいな・・」から相手の言動に敏感になると、お互いに気を使う結果となり不健康だ。

店から聞こえる彼女の声は健康的で、とてもコミュニケーションが楽だった。

・・人間関係の持続って、私の思っている以上に難易度の高いことなのかもしれない。


いつもは自宅から徒歩5分の銭湯に行くこともめんどくさがってしまうので、小銭とタオルを持って出かけた。帰り道に銭湯があるので、そのまま寄るという作戦だ。

銭湯の良さは、20歳で知った。

最初は慣れなくて、疲れを取りに行っているはずが疲れて帰ってくるなんてことも多かったが、最近は周りの目が気にならなくなってきたり、自分にとっての適切な入浴時間がわかってきたりと成長している。

長時間連続でお湯に浸かっていられないので、冷水のシャワーを何度か挟む。


上手くやれないことが、いくつか頭に出てくる。

原因はなんだ?・・あれか?それとも・・

いや、全部違う。

辛いのも、苦しいのも、悔しいのも、悲しいのも、寂しいのも、痛いのも、怖いのも、余裕がないのも、甘えてしまうのも、被害者ヅラしてしまうのも、泣いてしまうのも、泣きたいのに泣けないのも、全部全部、自分の弱さ故だ。

文句を言ってしまうのは、自分が弱いから。

環境のせいにしてしまえば、楽になると思っていたのかもしれない。

でもそれは違くて、余計に苦しくなるだけだった。

ほしいものが手に入らないのは、自分が弱いから。

ハッキリものを言うクセに、勇気を出して気持ちを伝えたことなんて一度もなかった。

笑えないのに、泣くこともできないのは、自分が弱いから。

今は無理をするしかやり方が思いつかない。これが続くなんて、そんなの苦しすぎる。


上手くいかないんじゃなくて、上手く「やれない」。

動かすべきは、減らず口を考える頭じゃなくて、がむしゃらに手足だ。

今度こそ強くなる。強くなるんだ。


2年前、私は「精神的余裕と経済的余裕がほしい」と会う人会う人に言いまくっていた。

決してキャッチーではないが、これは夢だと言っていいと思っている。

実のところは、精神的余裕のための経済的余裕であり、お金は目的ではなく、資本主義経済に生きる私たちにとって必要条件でしかない。

必要条件でしかないが、必要条件なのである。

自立していない、つまり私は不安定である、という事実に絶望しかける。

そしてそう簡単には自立できないという、未来への漠然とした不安。もどかしくて、悔しくて・・自分は脆い。脆い脆い脆い。


私から見たら立派な人たちが、軽い気持ちで手を差し伸べてくる。

私は自己研鑽の手を止め、そんなことなさそうな顔をして、楽な方に流れていく。

そして、最初は気付かない、だけどほんとうはその手に責任なんてないということに気付く。

(楽は楽じゃなかったんだ。楽して健康的に生きようなんて気持ち悪い。)

(やるしかないんですね。)

(やるしかないんですよ。)

もはや「向き合う」という言葉すら空振り。
言葉を見つけようとする空想の時間自体が逃げだ。


ここまで考えて、文章にして片付けようと思って、銭湯を出た。


22歳一発目の文章としては、身の丈に合っていて良いのではないか。

ふと、また君を頼ってしまうかもしれないな、と頭をよぎったが、確率は史上最高に低い。

文章を書くことを、テスト前日に部屋の片付けをしてしまう現象と同じにしたくはないので、このあたりで今日はおしまいにする。

2021年11月15日

ありがとうございます♡