ある夜の出来事

 深夜一時。グレートタワーと呼ばれるマンションの一室。
 由貴は肩で息をしながら、山岡の死体を見下ろしていた。この日のために用意した細いナイロンザイルは山岡の首に巻きついたままだ。目を見開いたままの山岡の顔は、赤紫色にうっ血し、醜く膨れ上がっていた。
 水沢由貴と山岡信夫が出会ったのは、もちろん仕事の現場だった。
 由貴が課長のお供で、山岡のコンサルタント会社に出向いたときに見初められたのだ。
 その晩の接待で早速口説かれたが、それは宴席の座興のようなもので、その日はそれきりとなった。
 しかし仕事の付き合いは続く。山岡の方がずいぶん年上だったが、いつしか大人の付き合いになった。
 不倫の関係であることは、お互い理解していた。連絡も最小限に、互いのプライベートには踏み込まず、逢瀬はもっぱら遠くの町か、山岡が仕事場として借りているこの部屋となった。
 逃げるべきか。由貴は考えた。しかし、行方不明となればここは真っ先に確認されるだろう。死体は隠すしかない。

 深夜一時。グレートタワーと呼ばれるマンションの一室。
 男は、自分が絞殺した女の死体を眺めていた。苦悶の表情を浮かべ赤黒く変色した顔には、美しかった生前の面影はなかった。
 二人は不倫の関係だった。男には妻子がいたし、女も郊外に自分の家族を持っていた。
 殺すところまでは決心していたが、犯罪が露見することまで覚悟しているわけではない。いくらなんでも死体をそのままにしておくわけにはいかない。山に埋めるか、海に捨てるか。それでも死体が見つかれば身元はすぐにわかるだろう。であれば、見つからないところに隠すか、見つかってもわからないようにするかだ。
 バラバラにして捨てよう。男は腹をくくった。まだ夜は長い。

 ただの不倫で十分だったのに。すでに死んだ相手を見て由貴は舌打ちした。自分の会社で雇ってやるだの、自分は離婚するから結婚してくれだの、束縛はひどくなる一方だわ、金離れは悪くなるわ、しまいにはまわりに全部ばらすって。こっちは家族や友人関係を破壊してまで付き合う気はないっての。
 由貴は山岡の死体を引きずって、バスルームに運び込んだ。そして、キッチンからありったけの包丁とハサミを持ち出した。パン切りナイフまで持ってきた。
 こんな重いもの、一人で動かして隠せるわけがない。

 男は女にお辞儀させるように、上半身をバスタブの中に突っ込んで、まず首を切り離した。溢れ出る血はシャワーで流した。目と歯と耳はあと回しだ。首のない死体をバスタブに押し込み直して、両手首、両肩の順に切り離した。
 女の体は細くて柔らかいとはいえ、簡単な作業ではなかった。皮膚の下には脂肪が、その下には腱や軟骨が、いくら骨を避けようとしても包丁はすぐに欠けた。
 内臓を傷つけると大変なことになりそうなので、胴体はそのままに、腕と脚を切り離してバラバラにした。手足の指先と目立つ傷やホクロはハサミで切り取った。耳と眼球と歯も細かく潰して、いっしょにジップロックに詰め込んだ。
 首も手足もない血まみれの女の胴体は、乳房と性器をむき出しにして、生きているときよりもエロティックに見えた。

 由貴は、苦労してバラバラにした山岡の体を、シャワーで洗い流しながら黒いゴミ袋に分けて入れていった。胴体だけは、上と下から二重にゴミ袋で包んで、ガムテープでがっちりと止めた。
 最後の最後まで世話が焼けるんだから。ぶつぶつぼやきながら、由貴は山岡の死体を三つのスーツケースに分けて納め、地下の駐車場に停めた自分の車に運び込んだ。もう夜更けどころか未明もいいところだ。夜明けまでには埋めてしまわないと。
 そんな時刻なのに、地下駐車場から出て行く車があった。大きなワンボックスだった。由貴は舌打ちをして、とっさに顔をそむけた。姿を見られたかもしれない。

 途中で高速も使って車で小一時間、男は山深い林道の待避スペースに車を停めた。暗さに目が慣れると満月は意外と明るく、あたりの様子は十分にわかった。男はリアゲートを開けて、女の体が入ったビニール袋を、次々とガードレールの向こうへ投げ落とした。指先や歯の入った袋は残した。後日燃えるゴミに出すつもりだった。

 由貴が十個近いゴミ袋を埋め終えたのは、すでに明け方近くになっていた。東の空がうっすらと明るさを帯びはじめた。
 由貴は泥だらけになるのもいとわず斜面を這い上がった。車の運転席に飛び込むと、タイヤを鳴らして車を急発進させた。

 目つきの悪い男たちが、男を訪ねてきたのは、平日の午前五時半、あたりもまだ薄暗い時分だった。
 男はパジャマ姿のまま玄関ドアを開けた。
 背広姿の二人の男が立っていた。年配の方の男が、パスケースのようなものを示した。
「警察です。水沢由貴(よしたか)さんですね。山岡信夫(しのぶ)さんの死体遺棄容疑で逮捕します。」

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