見出し画像

まだ8号車とは名乗れないけれど。

オタクと名乗って仕事をするようになって、そこそこ歳月を積み重ねてきましたが、いまだに僕がオタクと自称することにためらいがあるというか、「私のようなペーペーが…」と謎にへりくだってしまう理由のほぼ半分くらいが、「アイドル」という沼に足を踏み入れていないからだったりする。

俳優沼とアイドル沼は、はたから見れば「イケメンにキャッキャしてる」と同じ括りにされがちだけど、沼の水質そのものは実はかなり隔たりがある(と思っている)。

僕が思うに、俳優を推すときは、本人に好意を抱いているのはもちろんなんだけど、そこには「役」というフィルターが1枚かかっていて、「牧凌太を演じている林遣都」「菅波先生を演じている坂口健太郎」みたいな感じで、一旦「役」を挟むことによって、実在の人間を都合良く消費していることへの後ろめたさが幾分かやわらぐフシがある。

しかし、アイドルの場合、推すのは当の本人だ。この圧倒的な生身感みたいなものが、僕には怖い。彼らが人生を懸けて挑んでいる道に、オタクとして乗っかる覚悟がいるというか。生半可な気持ちでファンと名乗るべからず。こちらも腹を括って応援すべしという熱量が、アイドルを推すには必要なイメージ。あと、どうしても俳優と比べて距離が近いので、ちょっと距離感がバグってしまいそうな恐怖もある。

そんなこともあって、いわゆるアイドルを推すという行為には慎重な態度をとってきた。唯一の例外は、『君の花になる』の8LOOMくらい。8LOOMはあくまで俳優の延長線上としての活動だからギリギリセーフと勝手に治外法権にしてたけど、それでも活動の終盤のほうは迫りくる解散に向けて情緒がだいぶおかしくなっていた。ドラマのために結成された期間限定のグループにさえ、こんなにもクソデカ感情を抱いてしまう体質なので、実在のアイドルを推したら絶対に正常な日常生活を送れなくなるに違いねえ。そう自覚し、ますますアイドルなるものを自ら遠ざけるようになっていた。

が、まさかのここに来ての超特急である。

きっかけは、ドラマ『みなと商事コインランドリー』。草川拓弥さん演じる湊さんが可愛くて可愛くて。恵みの雨を求める砂漠の民のごとくYouTubeで「草川拓弥」と検索したのが終わりの始まり。

『Call My Name』を聴いて、「何このハッピーなサウンド!」とゲキ刺さり。さらに。

ダンプラ動画を見て、ダンススキルの高さに完落ちした(サビでいちいち腹チラさせながらノリノリに踊るタクヤさんがとっても可愛いので、全国民、ひとまず1分50秒まで見てください)。

超特急のことは知ってはいたものの、イメージは『バッタマン』のMVで止まっていたので、「コミックソング的な曲を歌う元気な男の子たち」というガラケーの写メくらい粗い解像度の認識しかなかった。でも楽曲を聴いてみると、そういう全力でおバカをやり切る楽しさはありつつ、『MORA MORA』とか『シャンディ』のようなムーディーなナンバーもあって、振り幅無限大、マジで魅力の塊。

そして、「超特急」と検索しすぎたせいでしょう。Twitter(意地でもXとは呼ばない委員会)のタイムラインにしばしば超特急の関連ツイートが表示されるようになり、出会ったのがハルくん(柏木悠)です。

タイムラインに二度現れて、二度とも「え? この可愛い男の子は誰?」となったから、完全にドストライク。たかぶる気持ちのまま超特急のホームページをチェックすると、なんと年末にライブがあるというではないですか。かくして初めて僕は超特急の現場に乗車することになったのである。


12月23日。大阪城ホール。それが、僕の初現場。

席は、注釈付き指定席。登山レベルの天井席で、しかもステージの真横だから、映像の演出は半分くらいは見えない。それでも、オープニングでメンバーが現れた瞬間、胃の底から突き上げるような熱流が湧いてきた。

いる。そこにいる。YouTubeの16:9の小さな画面でしか見ることのなかった彼らが、同じ世界線上に存在している。遠い遠い豆粒みたいな彼らだけど、A点とD点に補助線を引いた瞬間、ちんぷんかんぷんだった解が突如浮かび上がる図形の問題みたいに、ステージ上にいる彼らと天井席にいる僕の間に強くて太い線が引かれて、目を離すことができない。

ペンライトは、存在証明。ここにいるよ、と。あなたを応援している人がここにいるんだよと大声で叫ぶ代わりに、痛いくらいペンライトを振る。その光はあまりにも頼りなくて。僕の存在なんて小さくて無力で。きっとステージ上にいる彼らの目に入ることなんてないのだけど。届かなくても届けたい。この1年を頑張れたのは、あなたたちのおかげなんだと。あなたたちがいてくれたから、今日までやってこられたんだと。たぶんここにいる約1万人の観客がみんな思っている月並みなことを、月並みだとわかっていながら、伝えずにはいられない。

正直、まだ彼らの曲を聴きはじめて日が経っていない僕からすると、セットリストは知らない曲も多くて。その選曲の意図も、背景に横たわるストーリーも何一つ汲み取れていない。たぶんこのライブの真髄たるものを、半分も味わえていないと思う。

でも、それでも、息が苦しくなるほどに、ここに来られて良かったと思う瞬間があった。それが、ライブ中盤に披露された『Billion Beats』。おそらく今回の公演の核となるナンバーだ。

人間が、一生の間で刻む鼓動の数は20億。
この星で生きる人の数は70億。
2つの「Billion」に重ねながら、出会いの尊さを歌った曲だ。

そして、その歌詞は当然このライブという空間においては、彼らと8号車(超特急のファンネーム)のつながりを意味するものになる。メンバーに促され、クライマックスのサビは8号車の大合唱に。大阪城ホールに1万人の歌声が響き渡る。

〝20億分のうちの あと何回 君といられるだろう〟

何度も、何度も、繰り返されるフレーズ。祈るように、それぞれが声を張りあげる。その神聖な空気の中で、自分がどうしてアイドルを推すことを怖がっていたのか、その理由が唐突にわかった気がした。

たぶん僕はいつかなくなってしまうものを推すことに怯えていたのだ。

もちろん俳優とて活動が永久に保証されているわけではない。人気がなければ露出は途絶えるし、どんなに売れっ子でも突然引退を決めるケースだってある。いつまでもいると思うな親と推し、はアイドルも俳優も同じかもしれない。

でも、やはりアイドルのほうが限られた期間内での活動であるというニュアンスは強いと思う。俳優は個人活動。でも、アイドルの多くは集団活動。そのため、まず集団を継続する難しさがある。さらに、芝居は年齢を重ねれば年齢を重ねたなりの役に出会えるのに対し、ダンスに関しては一定の年齢を超えてクオリティを維持することが難しいという面もある。推す側も、推される側も、この時間が永遠のものではないとわかっていて、むしろいつか終わりが訪れるものだからこそ、今この一瞬を全力で燃焼することが、アイドルという存在のひとつの美学にすら思える。

そこに身を投じることが怖かったのだ。いつか終わりが来るものに我を忘れて夢中になる勇気がなくて、僕はアイドルという巨大な存在の前でたじろいでいた。

でも同時に、一緒に時を刻む喜びをより強く感じられるのもまたアイドルだ。〝20億分のうちの あと何回 君といられるだろう〟と繰り返すホールの厳かで力強い空気は、まるで誓いの儀式みたいで。8号車たちは今この瞬間彼らを推せる喜びを、ステージ上の彼らは降り注ぐ声援を全身で浴びられる幸せを、それぞれ噛みしめていた。あの瞬間あの場所だけは、世界のあらゆるものから切り離され、9色の星々からなる自分たちだけの宇宙をつくり上げていた。

アイドル戦国時代と呼ばれるこの時代に、グループなんてそれこそ山のようにあって。顔のいい子もいっぱいいるだろうし、ダンスがうまいグループだってたくさんある。楽曲も、聴けばそれぞれいいところを見つけられるだろう。

じゃあ、その中でどうしてこのグループを推すかなんて、具体的に説明できる根拠はなくて。タイミングが違えば、もしかしたら別のグループを推していた可能性だってある。

それでも、ひとりひとりがベストのタイミングで出会って、沼に落ちて、わけもわからず溺れるように好きになって、今日ここへやってきた。何が好きかと聞かれたら、存在としか答えようがない。存在そのものに惹かれて、アイドルを推す。ありったけの力をこめて。自分の人生の限りある時間の何割かを投入して。

僕に、それができるだろうか。まだよくわからない。正直、まだゆるゆると曲を聴いている程度で、YouTubeを全部チェックできているわけではないし、メンバー同士の細かい関係性とかも把握できているわけではない。だから、自分を8号車と名乗る気は毛頭ない。

でも、ライブを経て、醒めない夢の中にいるように彼らについて考える時間が増えているのも確かだ。

20億分のうちのあと何回かを、もっと彼らと過ごしてみたいと、僕の本能がねだるように疼いている。

※超特急は公称としては「メインダンサー&バックボーカルグループ」としており、「アイドル」と「ボーイズグループ」の違いについては、人それぞれの解釈があるかと思いますが、本稿の趣旨とは逸れるため、一旦今回は「アイドル」と「ボーイズグループ」を同義のものとして使用します。

サポートは必要ございません。お気持ちだけでじゅうぶんです。 もしサポートしたいという方がいらしたら、そのお金でぜひあなたの推しを応援してください。