働き盛りの34歳オッサンが舞台『おそ松さん2』のLVに行ってきたら何か人生いろいろ考えた。

最初にお断りしておくのですが、僕はアニメ版の『おそ松さん』を観ていないため、原作と比較して云々という話は残念ながらできません。

あくまで舞台『おそ松さん on STAGE ~SIX MEN'S SHOW TIME 2~』(以下、『松ステ』)のライブビューイング(以下、LV)を観た上で感じたことをつらつらと書いていきます。ちなみに、途中からもはや『松ステ』の話ではありません。オッサンのただの愚痴です。なので、純然たる感想をお求めの方にも期待に応えられないかもしれません。ご容赦ください。

では、行きまーす。

って言っておいてのっけから余談なのですが、LVに行く前、確定申告の作業をしていたんですよ。で、ひと通り年間の収支計算が終わって、「あ、去年より年収上がった~」と、まあホクホクしていたわけです。去年1年頑張ったしな、と。今年ももっと頑張って、いっぱい稼ぐぞ、なんて意気込んだりして。

観劇前のテンションとしては最高です。実際、上映が開始してからも楽しかった。F6のセオリー無視な笑いの裏拳が僕としては大層好みでして。あんなに堂々とイケメンの股間に当てるためだけに設置された照明機材、初めて見たわ。うちの井澤(呼び捨て)も頑張ってるし。和田くんの裸なんてあれすごいね、逞しいとかそういうのを超えて、ものすごく性欲を刺激する身体。筋肉の付き方が本当夜の営みにふさわしい感じがする。あんなもん惜しげもなく晒して大丈夫かしらと男性の僕でさえ心配になった。

6つ子もいちいち可愛いし、なんたって赤澤くんもいるし、これは愛でるところしかないわな、と。男の自慰行為でここまで盛り上がるんだもん。最後のティッシュが舞う演出なんて完全に劇場が楽園と化してた。あの流れで涙を流せる柏木くんとか本当プロだなと恐れ入る。

で、ふっと懐かしくなるんです、6つ子たちを見ていると。昔も自分はこんな感じだったなあって。実際は、僕はわりと真面目で頭の良い子どもだったので、あんなバカでもクズでもないんだけど(ひどい)。何だろう、全体に漂っている空気感? 勃起だけで盛り上がれる感じとか、床にゴロゴロ転がっている感じとか、実際に自分が体験したかどうかはさておきとして、僕たちが持つ「小学生高学年感」の最大公約数がそこにはあって

それと同時に、自分がそこからすっごい遠いところに来てしまったんだなあっていうのも、そこはかとなく思い知るわけです。

あ、僕、大人になったわ、と

※合間合間に推しを挟みこむという、あざとい構成でお送りします


で、笑いながら、何か途中から妙にノスタルジックな気持ちになってた。楽しいんだけど、何か切ない。自分が重大なものを欠損してしまっているんじゃないかというザワザワが静かに波を起こしていた。

そんな中、クライマックスでカラ松(柏木佑介)がこんなことを言うのです。自分たちは6つ子だから、幸せも悲しみも分け合える、と(不正確。大体こんな感じです)。

もうその瞬間に、何かたまらなくなってしまった。どう考えても世間的にはダメでどうしようもない6つ子なのに、何かこの子たちが無性に羨ましく思えて仕方なかった。

※引き続き推しを挟みこむ構成でお送りします


最近、僕は人と分け合う喜びなんていつ体験しただろうか。はっきり言ってしまうと、今の僕なんて人から奪い取ることしか考えていない。どうしたらもっと自分の望む仕事ができるのか。この業界は厳然とした年功序列が残る社会なので、自分よりキャリアのあるライターさんが退場しない限り、なかなかポストが空かない。基本的にライターは依頼が来るのを待つ受注産業。ある意味、完全な椅子取りゲーム。ザ・奪い合いの世界だ。人と分け合ってたら、あっという間に淘汰される。成功も、栄光も、全部自分のもの。自分の努力がすべて。そんな世界だと思っている。

だから、僕は今自分に与えられた椅子を絶対誰にも奪わせないように必死で守りながら、チャンスがあらばもっと上等な椅子を狙おうと、舌なめずりしながら誰かが隙を見せるのを待っている

すごく露悪的に書いているようだけど、わりと本当にそうだ。だって、生活がかかっているから。綺麗事を言ってたら生きていけない。僕は好きなお芝居を観るのを我慢したくないし、美味しいものも食べたいし、好きな洋服も買いたいし、両親に親孝行だってしたい。だから、お金は絶対必要。

そして、組織に頼らず、個人の力で生きている以上、自分の名前にバリューをつけるのも当然のことだと思っている。スーパー野心家で、スーパー負けず嫌いなんだと思う。

※推しがいとしい


でも、そういう自分に疲れているのをうっすらと自覚していた。ここ最近、体力面はもとより、精神的な疲れがたまっていて、情緒不安定だ。「自分で情緒不安定なんて言ってるうちはまだ大丈夫」という10歳からの教訓を頼りに何とか凌いではいるのだけど、率直に言えばすり減っているんだと思う。

書いても書いてもやってくる締め切り。原稿を書くたびに、何だか自分が削り取られているのがわかる。それでも、書かなきゃ自分は求められないし、お金ももらえない。何より書くこと自体は好きだから。書くことまで奪われたら本当に何も残らないから。ギブアップなんて言ったら、二度と必要とされなくなる。それが怖くて書き続けている。

電車の空き時間がもったいなくて、座席に座れたら、その場でPCを広げてテープ起こしだとか、できる作業をやっているんだけど、そのことを人に話したら、さもしい人を見るような目で見られた。わかってる、常識がないことくらい。みっともないことくらい、わかってる。でも、そうでもしないと終わらないの。誰も代わりにやってくれる人なんていないの。

誤解しないでほしいんだけど、仕事がしたくないわけじゃない。どうも仕事関連の人もSNSを読んでいるみたいで、こういうネガティブなことを書いたら気を遣われてしまうかなと思って避けていたんだけど、どうか誤解しないでほしい。仕事はしたい。何ならむしろもっとくれ

ただ、「頑張ることが正義」みたいな価値観に、自分で限界を感じているんだと思う。

※赤いのが推し。顔立ちが完璧


したらばなんだこれ、この6つ子たち、てんで頑張らねえでやんの。ニートだって。働けよちくしょう。どう考えても僕の方が頑張っているのに、絶対6つ子の方が幸せそうだった。人生楽しんでいる感じだった。ラストシーンを見ながら、ああ、もう何年、誰かと川の字になって寝てないんだろうと思うと、胸が苦しくて仕方なかった。

冒頭で述べた通り、僕はアニメ未見なので、なぜ『おそ松さん』がこれほどブームを呼んでいるのかという考察は避けたい。ただ、少なくともこの『松ステ』に限って言えば、時間の流れ方が違うのだ。

『松ステ』の世界では誰も生産性とか売上目標だとかガタガタ言わないし、戦争も起きないし、地震も起きないし、不正疑惑に関与したと見られる職員が謎の自殺を遂げたりしない。世界は平和で、日常は緩やかで、誰も競い合ったり傷つけ合ったりせず、お互い「バカだな~」って笑いながら生きている

それが、どうしようもなく羨ましい。

どうか僕も人を蹴落としたり僻んだりせず、ちんちんネタひとつで転げ回るほど笑い倒して、そうやって1日を終えたい。

6つ子は、ずっとケーキも6等分だったそうだ。よく考えれば、みんな同じ誕生日ってことは、年に1度の誕生日パーティーでさえ自分ひとりが完全な主役にはなれないのだ。6人、同列扱い。そんなの、僕だったら嫌すぎる。両親の愛情を一身に浴びて、高価なプレゼントを独り占めしている同級生を見て絶対に妬ましく思ったことだろう。

なのに、6つ子はどこまでも健やかだ。だって彼らはわかっているからだ、ケーキやプレゼントを独り占めするより大切なものが世の中にあることを。

僕だって、こう書くくらいだから、わかってる。地位や名声より大切なものが世の中にはあるんだということくらい、そんなの『FRaU』で60回くらい読んだ。なのに、どうして僕はそう完全には信じ込めないのだろう。いろんな人がさっさと私欲を捨てて、足るを知ることを覚えていくのに、どうして僕は不釣り合いな幸せに手を伸ばしては、届かぬ悔しさやみじめさにのたうち回って生きているのだろう

カーテンコールを終えて、6つ子の中でも一番脳天気な十四松(小澤廉)が「マッスル!マッスル!」といつもの調子で舞台から去っていった。

あんなふうに、ガハハと笑えたら、もう少しだけ元気になれるだろうか。

34年生きて、幸せのなり方だけは、今もまだわからないままだ。





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