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文月煉、不惑になる

7月22日で40歳になりました。

40歳は「不惑」というらしい。
出典は、大昔の中国の哲学者、孔子の言葉から。

われ、十有五にして学を志す(志学)。
三十にして立つ(而立)。
四十にして惑わず(不惑)。
五十にして天命を知る(知命)。
六十にして耳順う(耳順)。
七十にして己の欲する所に従えどものりをこえず(従心)。

『論語』

孔子は今から2500年も前に74歳まで生きたスーパーおじいちゃんで、
70歳を過ぎて自分の人生を振り返って残したのがこの言葉。
日本でもとてもよく知られていて、特に40歳の「不惑」は圧倒的にわかりやすい言葉だからか、いちばん多く言及されている気がする。
定番は「私はもう『不惑』の年齢になりましたが、まだまだ未熟、惑うことだらけで……」ってやつだ。

「不惑」は、わかりやすい言葉のせいで「ふらふらしないで安定する」という意味だと誰もが思っている感じがあるけど、たぶんそういう意味じゃないと思うんだよなぁ。
実は40歳のころの孔子は、仕えていた上司がクーデターに失敗して国を追われ、一緒に隣国に亡命中。
安定どころか、住むところも自分の仕事さえも定まらない状況だったのだ。
しかも、この言葉の続きをみると、「五十にして天命を知る」とある。
自分が生涯これをやるべき!という確信に至ったのは、50歳になってからなのだ。

じゃあ、「惑わず」ってなんだろう?
孔子の本来の意図を知ることはできないけれど、自分自身の実感も込めて考えるなら、
「自分はこのまま生きていていいのか」という答えの出ない問いに対して、「このままやれることをやって生きていこう」と開き直った、ってことかなと思う。
これからもたくさんの選択があって、暮らしの環境や働き方、考え方や生き方は変わっていくだろう。
でもそれは闇雲に「惑っている」わけじゃない。
自分が自分として「こうありたい」「こういうことがしたい」という想いを軸にして、選び取っていく。
こういう「自分で考えて選びとり、生きていく」という姿勢そのものについて、惑わなくなったということじゃないかな、と僕は思うのだ。

孔子も、本来は農民だった。15歳で学を志して思想と政治の道に入り、30代には国を追われたりして不安定な生き方になる。
そんななかでちょうど、40歳くらいのときに、選択の内容そのものではなくて「選択して生きてきたこと」について、これでよかったのかと思い悩むことをやめた、ってことなんじゃないだろうか。

まさに僕もそうだ。

今の僕は「東京の外れに住み、フリーランスでこどもの本を作っている編集者(ときどき学童の先生)」だけど、10年後もそうだとはとても思えない。

そういう意味ではこれからも惑い続けるわけだけど、
「こんな僕でよかったのか。
ちゃんと大企業に勤め続けて出世して家も建ててこどもも産み育てて、
人並みの生き方をするべきだったのでは」
というような葛藤とは無縁になった。

これからどんな選択をするにせよ、僕は僕にしかできない生き方をし続けるんだろう。それでいい、それがいい。
そんなふうに思えている。

これってちょっと、「不惑」ってことなのかも。

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