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なぁいい加減、掛け算の順番揉めるの止めようぜ


★最初に

小学校のテストやプリントで、

5個の飴玉が入った袋が12袋ありました。飴玉は全部で何個ですか。

~~~~~~~~~~

12✕5 = 60

答え. 60個

なんて書いて渡したら、

を、食らったという話が、たまに且つ「まだ」出て来ます。例えばこんな感じ。

コレに対し、大人サイドは、、、

・掛け算は順番を替えても、答えは変わらないから先生が悪い。
・いや、「掛けられる数」✕「掛ける数」がルールだ!
・この問題では交換則が成り立つからOKだ
・答えは合ってるんだから
うんたらかんたら・・・・

小学生の(しかも低学年の)問題に議論迷走無知蒙昧百家争鳴何でもアリ。
挙げ句に、こういうココロの狭い教師が子供の向上心や可能性を失わせている!とか出てく始末。。。ホントにそうか?

いや、私も最初はどうでもいい位にしか思ってなかったのですが、会社の同僚にも先生をディスる人が現れて、ちょっと考える様になりました。

★どうでもいい語り

「確かに、この掛け算では順番を替えても答えは変わらない」
「でも、順番を替えると答えが変わる掛け算もある(行列の掛け算など)」
「なら、良い場合悪い場合ではなく、もっと原理的に貫く何かがあるはず
「でなければ、確定的に✘なんて付けられない」

こんなトコロで意見がぐりんと変わるのが、行列の掛け算を死ぬ程やらされた物理学科出身だからカモですが、ホントに行列の掛け算は順番を替えると得られる答えが変わります。

数学アレルギーがない人は上のサイトで、確かめてほしい。ちなみに数学は私もキライです。(よく、そんなで量子力学の単位を取りきったと思う。摂動とか。。。)

でも、よく考えると、この手の問題で揉めてるのって、ホント小2?くらいの問題で揉めてる。少なくとも高学年の問題で揉めてるのは寡聞にして聞かない。

それは、大人が既に高学年の算数で先生に勝てなくなってるからなのか?

実は、そうではなく低学年には低学年なりの算数に(そして数学に(さらにはサイエンスに))貫くコダワリがある為です。

ちなみに、こんな小2レベルの算数で一回✘を付けられたって、向上心や可能性は1ミリも失いません。

私も、九九を覚えるのには苦労しましたし(天国のおばあちゃん有難う)。分数の足し算引き算が出来なくて、夏休みに補修を受けさせられたものです。。。ホントです。

それでも、物理で大学院を出ました。大丈夫。必要なのはニガテ意識を植え付けないことです。そしてそれは、小学校の先生の仕事では有りません。親の仕事です。

みなさん、勘違いしてませんか?学校とは機関なのです。一定のインプットをすれば、一定のアウトプットが返ってくる。こうでなければ成りません。ゆえに、そのアウトプットを捻じ曲げる行動をするのではなく、まず受け止めて、そして考えて決める。それが必要ではないですか?

しかも、コレは「交換則」だの「場合」だの小難しい話では有りません。大人は小難しい話しして、持論に持ち込むからキライさ。

★やっと解答編

そもそも、掛け算とは何でしょう。定義から説明すると、、、

遠い遠いむかしのむかし、掛け算とかなくて、足し算がある時代



5が12あるときの、ぜんたいのかずはいくつ?

5+5+5+5+5+5+5+5+5+5+5+5

だから、60!

でも、面倒くさいから、✕ って記号を使って

5✕12 = 60 

って、書いて「掛け算」って呼ぼうぜ!

てなカンジで、掛け算というものが出来ました。コレは小学校で必ず習います。

そう、低学年には低学年なりの算数に(そして数学に(さらにはサイエンスに))貫くコダワリ、とは、原理原則に従え です。

掛け算の定義が

5+5+5+5+5+5+5+5+5+5+5+5

=5✕12

=60

ならば、

5個の飴玉が入った袋が12袋ありました。飴玉は全部で何個ですか。

~~~~~~~~~~

5✕12 = 60

答え. 60個

で、◯! しか無いワケです。12個の飴玉が入った袋が5袋じゃないからね。

たったコレだけの話なのです。

で、こんな原理原則が問題になる学年がこの頃だったダケなんよ。

学校の決めた・先生の決めたルールに従えと言うのではなく、算数の定義には従えって話さ。

好き嫌いの話じゃないんよ。

もっと、高学年になるとあまり問題にならないのは、できる子はなんとなしに気づいてソコを間違えない。出来ない子はソコにまで至らない。っていうのは残酷でしょうか。

★最後に(またどうでもいい語り)

袋が12袋あり、それにはそれぞれ5個の飴玉が入っています。飴玉は全部で何個ですか。

~~~~~~~~~~

12✕5 = 60

答え. 60個

だったら、私なら△を付けます、究極の温情として。この手のテストでこの手のミスを全部してで0点ってゆ~のは忍びないから。(全部を引っ掛けにしないっていう配慮は要ると思う)単に甘いだけなのかも。

最初に例として出したXのポストでも、△かなぁとは思う。引っ掛けがあるから、応用で出てるのかな?年度末のテストって書いてあるし。(5の問題は素直そうだし)

う~ん。でも2点かな。5点はあげられない。まして、0点と言う先生の主張を否定できない。

式は違うけど答えは認めるってのはアリだから、5点くれてやれってのは違うと思う。式がなくて答えのみ書いてあったとき、果たしてソレを正解と認められるか?ってトコに行き着くからね。

ココは、式はあってるけど答えを計算ミスしたら、部分点として5点は付けるよって意味と思うよ。このあたりは採点基準がみんなそうだったら、問題ではない。もう少し優しい問題をテストの中に入れておけばいいだけ。

文章題とは何か、部分点とはどこに付けるべきか、実に悩ましいけど✘を付けないといけない場面ってあるのよ。

教育はシロウトですが、こういうのも、「考える種」だと思うのです。✘がつくのが悪いんじゃないです。学生なんだから、間違ったって取り戻せば良いんですよ。

皆さん、如何でしょうか。


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