見出し画像

ゴッドファーザー PARTⅢ【あらすじ解説】

ゴッドファーザー3は、駄作でもなく、名作でもなく、良い所もあり、不完全燃焼の部分もあり、それでも一度は見たほうが良い映画です。コッポラは、こと音楽の使い方に関しては、歴史に残る才能でした。

画像1

ゴッドファーザーパート3はゴッドファーザーシリーズの最終作です。
主演のマイケルが死にましたから、おそらくもう続編が作られることはないでしょう。思い起こせば第一作の最高のポイントは、教会での洗礼と殺人の同時進行、宗教と殺人が背中合わせになっている姿でした。パート3ではそこを活かして、ローマ法王庁を取り上げています。
しかしPARTⅡと同じく、問題はあります。

編曲が悪いです。PARTⅡと同じく編曲をコッポラ父がやっており、原曲の雰囲気を台無しにしています。

画像2

PARTⅠのキラ星のような俳優陣はほとんど居なくなりました。ブランド、カザール、デュパルみんな居ません。代わりにコッポラは、自分の娘をヒロインにするという暴挙に出ました。結果は良くありません。この自分の親族をじゃんじゃん登用しちゃうイタリア人の公私混同っぷり、悪い習慣ですね。

画像3

しかしそれでも、映画の最後に出てくる「カバレリア・ルスティカーナ」間奏曲の効果は素晴らしいです。「カバレリア・ルスティカーナ」間奏曲は、クラシック音楽を聞く人なら誰で知っている、いわば定番の曲ですが、殺人の現場、そして過去の追憶シーンと結びつけることによって、大きな効果を生んでいます。

画像4

マイケルは最愛の娘を殺され、壊れます。負けることを知らないはずだった男に訪れた、敗北の瞬間です。

画像5

マイケルの周りの人々は、壊れたマイケルの姿を見て、マイケル王朝の終わりを悟ります。長い三部作の物語の終わりの瞬間です。

ファミリーの後継者ヴィンセント(マイケルの甥っ子)も

画像6

マイケルの妹のコニーも

画像7

マイケルの元妻のケイも

そしてマイケル一生の回想シーンの裏で、静かで瞑想的な、「カバレリア・ルスティカーナ」間奏曲が流れます。とても美しいシーンですので、是非最後まで御覧ください。

襲撃の後、悲鳴の中で静かに間奏曲の音楽が入ってくるタイミング、ヴィンセント、コニー、ケイ、それぞれが「マイケルの壊れ」に気づいてゆく、微妙な表情の変化による雄弁な演技、しばらくマイケルの絶叫の声を入れず、最後の一声だけ入れる演出、絶叫シーンのあとしばらく階段全体を写し続ける間合い、全てが完璧です。

(2019年のアニメ「さらざんまい」9皿目ラスト、
https://amzn.to/2ET8HY3
この「カバレリア」が使われています。当作を下敷きにしています。芥川とコッポラの合体!! 素晴らしい作品です。)

「カバレリア・ルスティカーナ」間奏曲のラストシーンは、コッポラの作品としては、「地獄の黙示録」ヘリコプターシーンと双璧の、素晴らしいクラシック音楽による演出です。

コッポラは音楽と映像の結合という意味では、映画史上最大レベルの天才の一人ですね。この迫力のある戦闘シーンと、上の静かな追憶シーン、同じ監督が作ったとは思えません。

あらすじ

マスカーニのオペラ「カバレリア・ルスティカーナ」を参照したストーリーです。物語は前半のアメリカと、後半のシチリア、2パートに分けられます。

そして「カバレリア・ルスティカーナ」が都合3回含まれる、という面白い内容になっています。
1回目は前半アメリカでの、ヴィンセントとザザの物語、
2回目は後半シチリアで上演されるカバレリアそのもの、
3回目は同じく後半シチリアでの、マイケルとアルトベロの物語です。

まずはカバレリア・ルスティカーナのあらすじ

画像8

若い男と、馭者が、馭者の妻をめぐって繰り広げる三角関係物語です。

画像9

若い男が馭者の耳を噛んで、関係は決定的に最悪になります。最後は決闘になって、若い男が死にます。

画像10

そしてその日は、よりによって復活祭の日なのです。信仰心も台無しですね。イエスの復活の聖なる日に、殺人が起こる、このことが「カバレリア・ルスティカーナ」と「ゴッドファーザー PARTⅢ」をつなぐ、最大の主題になります。

ゴッドファーザーにもどってあらすじの解説

画像11

前半のアメリカでは、若い男がヴィンセントです。馭者がザザです。

ヴィンセントはマイケルの甥っ子でファミリーの後継者候補、ザザはマイケルの手下の地位を引き継いだ人物で、マイケルには面従腹背の状態です。

仲が悪かった二人の手打ち式で、ヴィンセントはザザの耳を噛みます。仲直りは失敗、敵対的な関係になります。

画像12

そんなザザは車を景品に出すのだから馭者です。

画像13

カバレリアと違って若い男が勝ちます。馭者が負けます。くしくもニューヨークの祭りの日です。

画像14

殺人のどさくさで、聖母マリアは地に落とされます。まさにカバレリアですね。偶然かどうか幼子イエスの首が吹き飛んでいます。これで1回目のカバレリアは終わりです。

画像15

後半、シチリアでカバレリアがオペラとして上演されます。主演、若い男役はマイケルの息子です。2回目のカバレリアです。1回目は甥っ子でしたね。

画像16

その裏では、3回目のカバレリアが進行しています。マイケルとアルトベロの決闘です。ザザの裏で糸を引いていたのはアルトベロだったのです。

画像17

アルトベロは殺し屋を雇っています。殺し屋の弟子は、ロバの鳴きマネが上手です。

画像18

と言うことは、ロバを制御しているのだからこの殺し屋も又、ザザと同じく馭者なのです。

画像19

そして最後に馭者が意地を見せて、マイケル最愛の娘を殺します。個人としてもマイケルは殺せませんでしたが、マイケル王朝そのものを殺します。

画像20

そのころローマ法王庁では、新しい法王と、ルケージ大司教が共に殺されます。「Hanno ammazzato compare Turiddu!(トゥリッドゥが殺されたよ!)」 というオペラの最後のセリフと共に、大司教は転落してゆきます。(映画の字幕はオペラのこの部分を訳していないので、意図が伝わりにくくなっています)

カバレリアと同じく、そしてニューヨークでの襲撃事件と同じく、キリスト教が地に落ちるのです。

画像21

劇中マイケルが枢機卿に懺悔をします。

泣きながら兄殺しの罪を告白したマイケルに、枢機卿は言います。
「神は救ってくださるが、君はそれを信じないだろうし、改めないだろう」

パートⅡではコッポラはアメリカ批判を繰り広げました。今作では西洋文明そのものを批判しています。神を地に落とす行為ばかりを延々と繰り広げていることを、「カバレリア・ルスティカーナ」を3回繰り返すことによって強調し、批判をしているのです。

画像22

マイケルは、まるでニューヨークのマリア像のように、あるいはルケージ大司教のように、最後に地に落ちて死んでしまいました。因果応報です。彼は、はたして神を信じられたのでしょうか?

画像23

すくなくとも心を改められなかったのは、確かですね。

映画の冒頭、教会から勲章をもらって喜んでいたマイケルでしたが、なんにも実の無い勲章でしたね。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?