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場面かんもく症だった私*きっかけは?

これから自分のことを少しずつ書いていこうと思います。

私は元場面緘黙症です。当時のことを振り返り、長年ひとりで隠していた気持ちを出していくことは自分と向き合うことになり、辛いこともあります。この話に共感してくれる方は同じ経験をした、今している、ほんの一部の人かもしれない。でもその周りに居る人達にも気持ちが伝わったり、この症状を知ってもらえるきっかけになればと思い書き留めておきたいと思います。

私は場面緘黙症(ばめんかんもくしょう)でした。家の中で家族とは普通に話せるのに学校等、外へ出ると話せなくなってしまう症状です。たとえ家族でも外出をすると言葉が急に少なくなっていました。幼稚園入園をきっかけに、そこから中学卒業までの約12年ほど。長い長い時間です。4歳から15歳その間外で話せず、途中から動きもぎこちなくなり、固まってしまうことになりました。かろうじで歩けるけれど、人の10倍くらい時間がかかるような、ロボットのようなぎこちないゆっくりとした動きしかできません。

この症状に名前があることを知ったのは、それから20年後、35歳頃のことでしたが。。。

そのころ、「ささいなことにもすぐ動揺してしまうあなたへ」という分厚い本を読み、HSP(繊細な人達)の存在を知り私もその一人だとわかりました。これだけでも「そうだったのかー!みんなは平気なのにどうして私は?何か生きづらい、社会生活が大変、と思っていたことが自分の性質の為、むしろ繊細さを肯定してくれる内容に安心したことを覚えています。

今、HSPはやっとテレビで取り上げられたり、発信されたりと認知されてきましたよね。当時辛くなる度にHSPの方のブログを読み漁っておりました。ある日たどり着いた方の記事に子供の頃、家では普通に話せるのに学校へ行くと話せなくなる症状の話があって。。。

こ、これは?!!!私と同じ人がいた!?世界で自分だけだと思っていたのに、そしてこれは私の性格や人見知りでは到底思えない程の障害レベルのことだったとわかりました。ばめんかんもく という名前もそこで初めて知りました。雷に打たれたような衝撃でしたね~。(打たれたことないけど。。。)今までの理解不能な話せない状態が、動けない症状が、不安障害のひとつだと書かれていて・・・救われたんです。

小学校時代はクラスメイトになんで話さないの?あ。って言ってみて。先生からはお口無いのー?生きてるの?死んでるの?母からも恥ずかしい子!と責められてましたから。(かんもくあるある。。。?)自分が一番謎だったのに、なぜ話さないかと聞かれ、いつも責められている感覚だった。私が1番知りたいことだし、理由があれば周りも自分も納得できるのに。。。

訊き方が純粋に「どうしておしゃべりできないの?」じゃないんですよ。文章だとわかりづらいけど、「なんでお前話さないんだよ!」と怒られている感覚です。そりゃ、全く家でも話せないなら病気を疑われるでしょうが、家では話せるんだから。わざと話さないと思われていました。自分だって不便で嫌でしたが、私の場合、きっかけは不明です。何かショックなことがきっかけで話せなくなったわけではありませんでした。幼稚園に入った日から周りの子、先生とお話しできなかった。今思うと今まで近所の数人としか接していなかったのに、とつぜん沢山の同じ年の子供と一緒になりパニックを起こしていたようです。幼稚園では先生に「トイレに行ってもいいですか?」は言った記憶があって、お友達と楽しく遊んでた記憶もある。けれどおしゃべりはしなかった。でも、家に帰るとお隣の同じ歳の男の子とそのお姉ちゃんとはとても良くおしゃべりして、楽しく遊んでた。その男の子に園で話せないのがバレちゃうの嫌だなぁと思っていた。クラスも違ったし、何も言われたことが無かったから気が付いて無かったと思いますが。

幼稚園時代は声を出せないことが「つまらないな」と思ってた。幼稚園が怖い場所とは思っていなかったけど、一気に大勢の同年代の子が同じ空間にいて圧倒されていた・・・?最後まで慣れなかった感じ。

母に今でいうとカウンセリング的な?クリニックに1度連れられて行った記憶があるけど。。幼稚園児だしそこまで問題視されてなかったような。

でも小学校に上がっても話せないままだった。




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