ぷらぷら日記とつらつら日記 1/10

今日はいつものように日々のあれこれをぷらぷらと書いたぷらぷら日記と、後半はいつもより少し深く考えたことをつらつらと綴ったつらつら日記の両方を書きます。

ぷらぷらというのは、ここ数日で私が使っている表現で、起きたこと考えたことを気楽に綴るようすを表し、つらつらというのは、考えたことを自分の中で咀嚼して、ひっかかりをなくし、すっと入ってこれるような状態にしたものを綴るようすを表しています。
上手く伝わったかはわかりませんが、自分の中ではそんなイメージで使い分けています。
読みたいところだけぜひ読んでみてください。


1、今日のぷらぷら日記

今朝はここ数日の中ではダントツに早い5時半に目が覚めた。
昨夜はわくわくがとまらなくて興奮状態にあったので、なかなか寝付けず、睡眠時間はかなり少なくなってしまったけれど、シャキッと起きれて気持ちのいい朝だった。

今日は遅番のお仕事の前に、近所のマックで友達とマク活をする約束をしていた。
余裕しゃくしゃくで朝ごはんや準備を済ませ、集合時間より早めにマックに向かい、まずは久しぶりに自分とマク活をした。
2019年の手帳を買ったので、早く手帳にワクワクリストや、おもしろそうな企画案、会いたい友達との計画などなどを書きたくてたまらなかったので、手帳時間がほしかったのだ。
こんなに朝早くに、マックに来るのはひさしぶりで、なんだかルンとした。
早朝のマックはワクワクすることが浮かぶ。
これからも自分とのマク活を定期的にしたい。

そうして手帳時間を過ごしていると、あっというまに集合時間になり、友達がマックに来てくれた。
こんなに近くのマックで会えるなんて、地元の友達ならではのことだ。
友達と話したことは多すぎてここには書ききれないので、私と友達の心に留めておくことにするけれど、本当に充実した時間だった。
昨夜の興奮が冷めやまぬままのマク活だったので、もしかしたら私ばかり話し続けていたかもしれないけれど、お互いに得るものがたくさんあった。
そして友達が少しでも元気になってもらえたらなという気持ちで伝えた言葉や、持って行ったおすすめの本たちに、何度もありがとうと言ってくれて、とっても嬉しかった。

そんな充実した朝のマク活を終え、そのままお仕事に向かった。
朝から活動していると一日の時間が長く感じられて得した気分になる。
この状態でお仕事なんて最高だなと思いながらお店に歩いて行った。

今日はお店の大幅棚替えをするということで、私より勤務歴の長い2人のスタッフさんが棚替えを担当し、私はセールになっている全商品のPOP書きを担当することになった。
今はどんどんセールになっていく時期なので、POP書きをしなければならない商品がたくさんある。
タグに値段やオフ率も書いてあるけれど、それだけではお客さんがお得感を感じてもらえないので、元の値段とオフ後の値段を書いてほしいとのこと。
たくさんセールになっている商品があるので、ほぼ一日中POP書きをしていた。
どうやったら早くきれいに書けるかを考えながら、次々にPOPを書いているうちに、お店が閉まる時間に。
あっというまに今日のお仕事も終わってしまった。
POP書きも嫌いじゃないけれど、早く棚替えを担当できるようになりたい。
こんなふうにディスプレイしたらどうなるかな??がたくさん頭の中に浮かんでくる。おもしろそう。


2、つらつら日記

夜インスタグラムをひさしぶりに見てみると、小学校のころの友達が、小学校のころの友達のインスタグラムに写っていた。
きっと年末年始で集まったのだろう。
写っていた友達をフォローしていないので、この投稿で見れただけでも嬉しかった。
ほんの少し元気そうだった。

私は小学校のころの友達が特別好きだった。
なぜなら私が毎日いきいきしていたころを一緒に過ごした友達だったから。
今なら今の私が一番楽しいし、一番いきいきしていると思えるけれど、大学生までの私はどんなにがんばっても小学生のころの私を超えられなかった。

小学生時代の私はいつでも素の状態でいれたから、毎日が楽しくてしょうがなかった。
同じ教室に机を並べ、同じ時間をともに過ごした小学校の友達は、素でいる状態で仲良くできた友達だったから、特別好きだったし、今も特別好き。
だからか、小学校のころの友達はどうかみんな幸せに元気に暮らしてほしいと思ってしまう。
自分でもよくわからないけれど、変な立ち位置に立ってしまう。
どうか幸せに暮らしてねって。


小学生のころ、毎年のようにあなたの夢をかいてみようという時間があった気がする。
それは文章であったり、絵であったり、お話であったり、いろんな形で表現する、それはそれは楽しい時間だった。
みんな思うままに自分の夢を表現し、先生も100%応援してくれて、あのころの私たちはなんでもできると思っていた。

でも、いつからか夢を応援してくれる人たちが減り、夢は小さく、大人たちの言う現実味を帯びたものに形が変わり、変えられ、小学生のころのようなキラキラした夢を見る時間が減っていった。
小学生のころの私たちは夢で溢れていたのに、中学高校と進むにつれ、夢がしぼんでいってしまったような気がする。


小学校のころの友達が元気がなかったり、苦しんでいたりするととても悲しくなる。
私は好きなものと夢で目がキラキラしていたころの友達を知っているから、逆にそのころの友達しか知らないから、なにが友達のキラキラを奪ってしまったのだろうと悲しくなってしまう。

今日インスタグラムで見かけた友達は、大工さんになって家族に大きな家をつくってあげたいと小学生のころ言っていた。
友達のやさしい性格があまりにも現れすぎていて、素敵な夢だなって思っていた。

小学生のころに描いていた夢を叶えてほしいわけでは決してないけれど、でもあの頃のキラキラを思い出してほしいなと思ってしまう。
まわりがなんと言おうと主人公は私しかいないし、あなたしかいないのだから、どうか夢を笑う人や、摘み取ってしまう人、レールに乗せようとする人たちに負けないで。
って言えないけれど、言いたい。

前にはあちゅうさんが書いてあったエッセイの中に、「人は変えられない。変えられるのは自分だけ。」というのがあった。
本当にそうだなあと最近やっとわかるようになった。
私には人を変えられないし、他の人は私を変えられない。
だから、こんなふうに、どうか負けないでとここに綴っても、伝えたとしても、その人自身が変わりたいと思わない限りなにも変わらない。
そもそもその友達とnoteもインスタグラムもなにも繋がっていないのだから、なにも変えられないのはわかっているけれど、それでもここに綴るのは誰かのなにかが変わるきっかけになれたらと思うからで、なにより自分のためだから。

子どもたちが中学高校と進んでも、大人になっても好きなものや夢を持ち続けられるような環境をつくれるような人になりたいな。
そういう環境をつくれれば、そうやって育った子どもたちがまたその子どもたちに同じように夢を持ち続けられるような環境をつくってあげられるようになってどんどん良い連鎖がうまれていくと思うから。
私にできることってなんだろう。
難しい。
でも今の私なら、そしてここまで読んでくれたあなたもきっと、なんでもできる。
なんでもできるよ。


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