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ワンピースは終わらない

平成最後の夏が終わった。

街にたくさんいた麦わら帽子がなかなか見られなくなった。
ウキウキ気分の籠バッグも、涼しげな真っ白ワンピースも、
真夏の真っ赤なネイルも どこか遠くに行っちゃったみたい。

そういえばなんだか過ごしやすくなってきた。
タオルケットが朝までおなかの上にかかっていることが多くなった。
暑さで眉間にしわを寄せる朝も、髪が額にくっつく夜も、
1日中忙しく鳴くセミの声だってだんだん少なくなった。
虫の音が聞こえる。 
セミじゃない。

秋だ 秋がやってくる。
それと同時に夏が 終わってしまう。
平成最後の夏が。

夏が好きだ。
ノースリーブのワンピースが着られるから。

え、そんなこと?って思う人もいるかもしれないけれど、
そんなことが理由。
少女のような無邪気な女の子にもなれるし、
流し目がよく似合う大人な女性にもなれる。
そんな素敵な気分にさせてくれる魔法のワンピース。
それを1枚でさらっと着られるのが夏だから。
だから夏が好き。

どうして "ノースリーブの" ワンピースが好きなのか
はっきりと理由はわからない。
1つ考えられるとしたら、幼いころお母さんが作ってくれた
ワンピースの思い出があるからかもしれない。

幼稚園に通っていたころ、お母さんは専業主婦だった。
お裁縫がとても上手で、家の中はお母さんが作った
手作りのもので溢れていた。
ハートやギンガムチェックの布をいくつも縫い合わせた
パッチワークの壁飾り、
赤いギンガムチェックのクッションカバー、
花柄のカフェカーテン。
その中にお母さんが私に作ったノースリーブのワンピースがあった。
たしか5着ほどあったと思う。

今でもよく覚えているのはワクワクするような
カラフルな布でできたワンピース。
ショッキングピンクや黄色、青と緑の中間色(調べたらライトシーグリーンというらしい)、それに黒に白のドット。
これらの色がカラフルに散りばめられた世界に1つだけのワンピース。

幼い頃の写真を見返すとよくこのワンピースと写っている。
きっと1番のお気に入りだったのだろう。
たしか幼稚園の夕涼み会にも着て行ったはず。

その年の夏、お母さんが作ってくれたワンピースを毎日のように着ていた。
よく覚えていないけれど、たくさん着た覚えがある。

次の年の夏、背が伸びて、
1番のお気に入りカラフルワンピースが
寸足らずになってしまった。
子どもなら誰しもが経験する
成長による大好きなものたちとのお別れ。
ショッキングなイベントだ。
もちろん私もショックだった。

そのショッキングなイベントをどうにか乗り越え、
公園から帰ってきた私に
お母さんはあのカラフルワンピースをもう一度プレゼントしてくれた。
裾に白のレースを縫い付けて。
また1年着られるように
お母さんがワンピースにかけてくれた魔法だった。

時は経ち、私もずいぶん大きくなった。
通っているのは幼稚園ではなく、会社で
背が伸びてワンピースが着られなくなることはなくなった。
あの頃と変わったところはたくさんあるけれど、
変わらないところもあるみたい。

ノースリーブのワンピースが好き

ああ夏が終わってしまう。
ノースリーブのワンピースが着られる夏が。
けれど幼い頃の夏とはちょっと違う。

次の年の夏も、このノースリーブのワンピースがまた着られる。

だから平成最後の夏は終わったけれど、
このワンピースは終わらない。
来年の夏もその次の年の夏も。

今日のノート
Typo 「いつでもあの夏を思い出せるノート」
ニュージーランドのオークランドで出会った思い出の夏ノートです

Typo


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