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硬券0083 大阪商船

大阪商船

明治17年5月に瀬戸内航路を主として運航する60余りの船問屋を統合して、大阪商船が設立されました。
昭和14年には南米航路に貨客船を就航。
昭和17年、宇和島運輸など五社共同で関西汽船を設立し、瀬戸内の内海部航路の殆どはは関西汽船に引き継いでいます。
戦後は、会社は継続して南米など海外航路などを主としますが、昭和39年に三井船舶と合併して「大阪商船三井船舶」となり、
平成11年には、商船三井という会社になっています。

硬券趣味としての切符は、やはり戦前の国内の航路時代のものが主になります。

昭和 A型硬券 赤OSK自社地紋 三等寝台券 縦型

見栄えのする硬券ではありますが、廃札としは有名なもので、昔から特に珍しいものではありませんでした。


実券は最近は見かけることも時折ありますが、

大正13年 A型硬券 青GIRてつどうゐん地紋 一般式 旧2等 省線連絡運輸

これは、28共同丸を使用していた大阪ー小松島航路のもので、神戸(兵庫桟橋)に寄港(省線連絡駅)し小松島港へ航行していたときのもののはずで、
小松島港~徳島は省線だと思われます。
地紋は鉄道院地紋です。過渡期の地紋ではなく、鉄道院時代の正規の
「GIRてつどうゐん」地紋のままです。
船の券の発行数が鉄道より少なかったのか、大正9年に鉄道省になってから4年経っていても、まだ鉄道省の地紋になっていないのですね。
旧二等(異級券か)の青色です。
しかし、共同丸にせよ小松島線にせよ、最初は阿波国共同汽船が発端のはずですが、航路も共同運航になり大阪商船(大部分は後の関西汽船)との競争になり、共同丸や旧阿波国共同鉄道線(小松島線を院線が買収)が使われ、共同汽船側には皮肉感が残ったのでしょうか。

昭和18年 D型硬券 赤OSK自社地紋 補充片道 3等 省線連絡運輸 大分港発行

これは少々疑問のある券で、昭和17年には別府航路やその他瀬戸内の航路が関西汽船に変わったのですが、一部の航路は引き継ぎが残ったともいい、大分航路も少し遅れて大阪商船(会社は存続しますので)名義で残ったのでしょうか。もっとも単に旧券で発行された着札の可能性はありますので、
多分残券使用でしょうね。
他港の昭和16~17年の着札の放出品は何度か見ました。

昭和4年 D’型硬券 赤自社地紋 連綴式 3等 浦戸丸  高知


D型に似ていますが、少しサイズの違う券で、左側は切り取られでいます。
日付、船名は裏にありました。


上段最初の券は別として、まだまだ古い実券の入手は簡単ではありませんので・・・


もっと面白い券は存在しますが、深い収集は難しいですね。

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