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今から思えば校則違反?

私は かなりユ二ークな個性派な生徒だったようだ

子供のころから 無口な割に外で遊ぶことが好きで

女の子の遊び「お人形ごっこ」なるものに 全く興味がなく

男の子と「ターザンごっこ」や京都の路地で「鬼ごっこ」や「かくれんぼ」が大好きだった

私の姉や妹は 母親の言う通り中学から「女子私立学校」に通った

私も中学受験をさせられたが、面接の時

待機している部屋で、見知らぬ女の子に目を付けられたのか

いきなり嫌なことを言われた

その言葉は記憶に残っていないが

とても感じが悪く「こんな子と同じ学校には行きたくない!」と思い

面接の時点で「尊敬する人は?」と聞かれ「アンリ―デュナン」と答えた

「どんな人ですか?」と聞かれた時、「日赤の創始者」と知っていたが

私は答えなかった

当然のように「不合格」だった

残念がる母をよそに 私はホッとしていた

だから小、中、高校と公立だった

私は男女共学の自由な校風の中で

「コーラス」を通して、思いっきり青春を謳歌した

今でもクラブの人達との交流は続いている

今、古い「校則」について 疑問が起こっている

髪の形や服装、ひどい所では下着の色まで「校則」に記されているらしい

私の通った高校は比較的校則は厳しくなかった

しかし、「派手な色」などは校門に立っている先生に注意される

私は 今から考えるとオシャレだったようで

姉からのおさがりの服もあったけれど

おさげ髪に長い三つ編みをしていて かわいくふくらんだ提灯袖に

襟には2,3スミレの刺繍をした白色のブラウスに

色は地味でもそれなりの個性的な柄(大きな風車の柄)のスカートを穿いていたりした

あるとき、朝礼で風紀委員の先生が皆の前でこうおっしゃった

「色が地味でも大きな柄のスカートは穿かないように!」

私は自分のことを言われているとは 全く思わなかったので他人事のように聞き流していた

しかし、今から思えば「あれは私のことだったのでは?」と思う

先生たちは 私に注意をせず、それとなく皆に注意を喚起してくださっていたのだ

先生の思いやりに何十年後に気づき、今更のように感謝する私だった。



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