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市民が町を変えるということ

 千葉県から大阪に転勤になり、枚方市のこの場所に住むことを決めたのは
近くに小学校があり 夫の通勤にも便利で、緑ゆたかな田園都市だったから

 当時 右肩上がりの経済成長の中、田園の都市化が急速に進み、宅地開発が進んでいた時代だったが「帯に短したすきに長し」で、なかなか気に入った物件を見つけることが出来ずにいたので、夫が単身で 1年間京都の親元から会社に通い家を探すことになった。
「いずれ親を引き取らなければならない一人息子である夫である」ことを
自覚していた私たちは がんばって少し大きな家だったが、この団地の一角の家に決めた。

 京都から見て 阪急が先駆けて開発され、母など「住むんやったら 阪急沿線がええなあ」と言っていたのだが、ようやく京阪沿線が開発され、徐々に開けて来てはいるものの、まだまだ田舎の町だった。
現在、居住して50年近くになるが、最近 やっと「町」が「街」になった

それまでは 居住者が少なかったせいか、人と人との間柄もぎくしゃくしていて「なんて住みにくい所なんだろう!」と思っていた。

住み始めて、ゴールデンレトリバーを飼っていた当時、散歩の役目はやはり主婦である私が 朝夕の散歩をしていた時のこと。
 ある夕方、ゆるい坂道に沿って白壁の続くおおきな家に差し掛かると 門の前におじいさんが立っている。私を見るなり大きな声で血相をかえ、いきなり怒鳴ってきた。
「あんたか! いつも 犬の糞をここに残して帰るんは・・・」と、指さす先を見ると 大きな犬の糞がドグロを巻いていた。
「いいえ、私と違います! 私はこうして 犬の糞を取ってますから!」と、ティッシュペーパーに包まれたビニール袋の中の糞を 突き出した。
おじいさんは それでもぶつぶつ文句を言っているので、私も 気分が悪くなり さっさと帰って来た。
 それからしばらくして「犬の糞は 持ちかえりましょう!」と書かかれた回覧板がまわり、その1年後、犬の糞を持って帰るよう「罰金つきの条例」が出来た。
それからというもの「糞取グッズ」も出始め、犬の糞は道路から消え気持ちのいい道路になったのだった。

 私は運転免許を持たない。いえ、持っていないので、夫の運転する車の助手席に座る。
整備されていない狭い道路で 車が鉢合わせすること屡々、その時どちらかが道をゆずらなければならない、どちらがゆずるのか?
自分が先だ!と当然のように思っているのか、強引に突っ込んでくる人が多かった。
たまに 譲ってくれる人もいて、その時には 夫は片手を上げ助手席の私は頭をさげた。そんなことが長い間続いていたが、いつの間にか譲ってくれる人が多くなり、譲ってもらった人は片手を上げ 助手席の人が頭を下げることが 当たり前の光景になった。
それは とても 気持ちのいい光景であった。
 この話を 車に乗っている若いご近所さんに話すと、
「この前、車ですれ違った時 先に行かしてくれはったんで、いつもなら
プッとならしてたんやけど、片手を上げて頭を下げたら、なんや気持ちよかったわあ、年配の人の話は聞くもんやなあ!」と言われた。

 近くの小さなスーパーの裏になだらかな丘があり、緑ゆたかな木々は散歩の憩いの場でもあり 桜がとりまく平らな敷地では 草野球が盛んに行われていた。
そんな 場所に個人の美術収集家が集めた美術品を枚方市に寄付して美術館が出来るという話が持ち上がった。その維持費に年間700万の税金が使われる。それを議会に掛けず「当時の市長が承諾した」という話が飛び込んできた。
「寝耳に水」の市民は 猛反対した。が、もう承諾した!とのこと、丘の周辺の住人は勿論のこと、私たちも「個人の集めた美術品が皆にも興味のあるもの」とは限らない。そんな美術館なんぞ建てても、一度は見に来る人もあるけど、美術館としては成り立たないこと明白で、そんなことに税金を使われてなるものか!と、反対運動は膨れ上がった。
しかし、承諾したものをひっくり返すわけにはいかない。
ちょうど、その直後 ラッキーなことに市長選挙があったのだ。当然 その市長は落選した。そこで、私は 新しい市長に手紙を書いた。
原文は残していないので、記憶している内容を書きだしてみる。

「個人の美術館をつくるのであれば、古い図書館を新しくしてほしい。
老若男女問わず憩える図書館を!
この枚方市を文化度の高い市になることを希望します。
文化度が高い市ということは そこに住んでいる人達つまり市民の意識が変わります。ぜひ、文化度の高い枚方市を!
   「よいこのすんでる よいまちは
   たのしいたのしい うたのまち
   ・・・」
この童謡の歌詞も書いたのも 記憶しています。

 その後、新しい市長さんは 美術品を寄付して美術館を建てるはずだった人に 自ら出向いて頭を下げ、説得し、前の市長が出した結論を 取り下げてくださったことを 巷の噂として耳に入ってきたのです。そして 丘の公園は残り、公園の一部にそんなに大きくはないけれど 図書館を建ててくださり、高齢者のサロンとしても使用できる場として利用されています。

 そして、この地域は特に「ボランティア活動」が 活発で、いろんなアイデアが出され、充実した住人のみなさんがとても住み心地のいい所として
「ここ ええとこやから、引っ越されへんわ」と言い合っています。

 枚方市駅南側には ツタヤビルが出来たことによって、枚方市は「町」
から「街」になりました。

 枚方市駅北側の開発に関西医科大学及び関西医科大学病院も出来、大学のホールと合わせるように 枚方市芸術文化センターが作られ、演劇、音楽はクラシックからジャズまで、落語など幅広い催し物が開催され、特に「ワンコインコンサート」と言って、ワンコイン(500円)で60分のミニコンサートを設けてくださったことは、拍手喝さいを持って
「いいアイデアだ!」と、感心するばかりです。
その上、色々な講座も開かれていて、私はこの文化センターで「片野が原万葉の会」にご近所さんに誘っていただいて、月一(これもワンコイン)で学ばせてもらっております。
低料金で参加できる文化が身近になることは 市民の意識も向上すると思います。

 この先枚方市は とても良い街になるでしょう!
それは発信し行動していく市民と、それをくみ取り実行実現してくれる
リーダーがいる限り、ステキな街づくりがなされるということを証明して
いることなのですから・・・

 日本の国のリーダーには 学んでほしいところです。

えらい、手前みそのような記事になってしまいました。
どうか おおらかなお気持ちでお許しいただければ 幸甚でございます。

お読みいただきありがとうございました。 感謝




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