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なぜ出来ない

 こんにちは、ふいちゃんです。
 今回は知っていてできるのに、なぜ行動に移せないかについて考えていきたいと思います。 
 例えば、朝少し早く起きて気持ちいい朝の散歩をすることによって気分もいいし、運動にもなるので良いとはみんなわかっているし、できないことでは無いのにやっている人の方が少ないのはなぜ何故なのか?
 希望を語り、ネガティブ発言をたくさんする割に意外とやれていないことに目が向けられない事はなぜだろう最近は少しは自分に矢印を向けてやれるようにはなってきたと思うが、年齢的にはもう少し早くできるようになりたかった。
 10代20代30代を思い返すと本当に何をしていたのかと思ってしまう。過去があるから、現在があると考えれば、私には必要な時間だったかもしれません。しかし気づくのをもう少し早くできなかったと思う事はあります。
 どうしたらもう少し早く気づいたかと言えば、成功体験をするのが遅かったのは要因な気もします。私は42歳ですが、現在まででよくやったと思うエピソードはあまりありません。努力してなくはなかったと思いますが、継続性がなかったり、ベクトルの向きが違ったり方法が違ったりとうまく行かなかったように思います。
 そもそもどこに向かって進んでいたのかもよく解りません。できるだけ働きたくなかったし、楽して適当に行きたかったのは本音ではあります。大学生活の延長でずっとダラダラとしたかったです。なぜそんなにダラダラとした人間かと言うとよく分かりませんが、正確なのでしょうか?
 現在はダラダラするのも嫌いじゃないですが、色々とやっている方が楽しく感じます。充実感が人生の満足度と言うことに最近ようやく気づきました。そして時間は有限なので無駄に使ってはいけないと言うことも感じます。
 若い頃は、時間が無限にあって、いつか本気を出せば、人生何とかなると適当に考えていたと思います。そもそも、人生をどのように生きてどういう風に進んでいくかと言う信念が私にはありませんでした。自信もなく、自己コントロール能力もなく、もがき苦しんでいたようにも思います。
 なぜ自己コントロール能力が低かったかと言えば、メンタルの安定性がないと言うところに行き着くとは思います。メンタルの安定性は育ちによるところも大きいと思いますが、そこに目を向けて取り組むことの大事さを気づいていなかった。要は知らなかったと言うところが大きいと思います。
 知っていてできることをできるだけやると言う観点からすると知っていないと話になりません。私は若い頃にあまりにもいろんなことを知らなさすぎたと思います。それは本を読んでいなかったり、チャレンジしなかったり、自分で考えていなかったからかと思います。なんとなく流されて生きているだけだとあまりにも経験値が低いように思います。
 自分で考えてできることをやると言うシンプルなことが本当は大事なんだと思います。ここからの人生において、自分で考えてできるだけ行動するシンプルなことだけど頑張ります。

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