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激しい欠乏感

3月10日~3月20日頃
ベトナムから戻り仕事で東京に居る時のメモ


寂しさ、欠乏感が込み上げてくる。

今まで、大丈夫なフリをして隠し続けて生きていただけだと、奥さんと距離が離れてハッキリ見えた。奥さんがきっかけには見えるがそれではない。

大丈夫だと思っていたのは全く大丈夫じゃない。

絶えない欠乏感がある。

この絶望的な悲しみを何とかして、この世界を利用して隠すために、今まで仕事に没頭したり将来に想いを馳せたり、仕事仲間と語り酒を飲んだりして気を散らしていただけなのかもしれない。


仕事の相談もありベトナムから帰ってきてすぐ5日間の予定で東京に行った。一人日本に戻ってきてから、悲しみ、孤独感、欠乏感、空虚感が温泉の源泉の様にブクブクと湧いている感覚がある。
自由な喜びの感覚と静寂を時折感じ、すぐに激しい欠乏感が一日中続くのが連日続いている。

コレを隠したい。
なんとかして抑圧したい。
何かで散らしたい。

結婚する前の東京生活の時、仕事に夢中になっていたり、仕事終わりに一人酒したり、未来の仕事の妄想にふけってみたり、本の虫になって知識人になってみたり、部屋で一人映画鑑賞してみたり、どれもコレを隠す為にやっていたんだと感じた。

この世界の何かでこの欠乏感を埋めたい。

久しぶりに東京で居酒屋一人酒をやってみて、一瞬欠乏感を散らせた感じがあっても全く通用しなかった。奥さんとテレビ電話してみるが全く通用しなかった。

今までのこの世界で散らすようなやり方では、この欠乏感は無くならなかった。

3月の勉強会で「欠乏感と悲しみがある」とシェアして、勉強会後すぐには開放感があったが、その翌日もっとそれが増しているように感じた。


帰る場所が無く、存在している事への後悔の様な、絶対に助かりようが無い感覚がある。


「この空虚感を何とかこの世界で埋め続けさせて下さい。」
という祈りの様な深い願望があるのを感じる。

今まで奥さんが悲しそうにしていたのは、僕の中にある悲しみ、欠乏感を鏡のように見せてくれているだけだったのか。

「俺はこんなに忙しいんだ!少しくらい分かってくれ!」
って言い張り証明しながら抑圧し続けてたのか。


のり子さんの言っている「反動形成」を、
今までずっとやっていただけなのかもしれない。


本当は寂しくて、悲しくてたまらない。

吐き気がするほど欠乏してる。


「私にはどうすることもできません。どうか助けてください。」


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