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現行上演のない浄瑠璃を読む

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人形浄瑠璃文楽での現行上演がなく、テキストでのみ残っている浄瑠璃を読んだ記録。
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#古典芸能

後三年奥州軍記(ごさんねんおうしゅうぐんき) [現行上演のない浄瑠璃を読む #7]

初演=享保14年[1729]正月 大坂豊竹座 作者=並木宗輔、安田蛙文 後三年の役に取材した内容。八幡太郎義家・加茂次郎家綱兄弟と、奥州の清原武衡・家衡兄弟の戦いを描く。 戦国時代物にあるような、華やかな武将の活躍や知略に秀でた軍師が奇抜な策で窮地を切り抜けるとかの話は一切なし。ひたすら人々が悩み続ける、ものすごく地味で後味悪い系の話。『南都十三鐘』より不条理感がさらに増幅している。 ■ 敵方の家臣に姻戚関係があるため「自分は敵方に内通していると疑われているのでは」と後

南都十三鐘(なんとじゅうさんがね) [現行上演のない浄瑠璃を読む #6]

初演=享保13年[1728]5月 大坂豊竹座 作者=並木宗輔、安田蛙文 奈良時代、長屋王子が藤原広嗣とともに帝位簒奪を図る中、橘諸兄が国家安泰を守ろうとする物語。 最終的には題名通り、「鹿殺しの罪で(身代わりとして)死罪になった子供の追悼のために撞かれる13回の鐘の音」の由来にまつわる物語に収束していく。それ自体は普通と言えば普通で、地味。 しかし、話がそこに至るまでに、わずかな欲心やその場しのぎのごまかしからしたことが最終的にどうしようもない事態を招くというエピソードが

桜御殿五十三駅(さくらごてんごじゅうさんつぎ) [現行上演のない浄瑠璃を読む #5]

初演=明和8年[1771]12月 大坂竹本座 作者=近松半二、栄善平、寺田兵蔵、松田ばく、三好松洛 近松半二作品のうち『妹背山婦女庭訓』の次に発表されたもので、足利義政公の時代を舞台にした華やかな時代物。 将軍兄弟の放埓、御殿にはびこる佞臣、金閣寺へ招かれるはずだった宗純法親王(一休禅師)の失踪、明智によって管領にまで取り立てられた鷹匠・太郎治の大出世、足利家に滅ぼされた赤松満祐の残党など、多くの要素が絡み合いながら物語が展開してゆく。 本作では、物語の本当の目的が、か

尊氏将軍二代鑑(たかうじしょうぐんにだいかがみ) [現行上演のない浄瑠璃を読む #4]

初演=享保13年[1728]2月 大坂豊竹座 作者=並木宗輔・安田蛙文 足利尊氏亡き後、将軍の座を巡り、尊氏の嫡子・義詮と、弟の直義が対立するというストーリー。 『太平記』の塩谷判官高貞とその弟、高師直まわりの登場人物が取り込まれ、『太平記』の有名エピソードの「実は」が描かれている。『太平記』の物語をうまく翻案した、面白い構成。 悪役が善人に反転するというのが眼目として大きいため、本作を楽しむには「塩谷判官讒死事」あたりの物語を知っている必要がある。っていうか、『太平記』

摂津国長柄人柱(せっつのくにながらのひとばしら) [現行上演のない浄瑠璃を読む #3]

初演=享保12年[1727]8月 大坂豊竹座 作者=並木宗輔・安田蛙文 蘇我入鹿の叛逆を藤原鎌足がおさめるまでを描く王代物。 物語の枠組みは『妹背山婦女庭訓』に近い。物語の舞台として大神神社も登場し、ここから『役行者多峯桜』そして『妹背山女庭訓』へと繋がってゆく浄瑠璃の系譜を感じられる。 ■ すごいのが、蘇我入鹿が逆心を起こした理由。 帝(女性)に懸想して、それが叶えられなかったから。 そんな大胆な奴、おる????? かねてから帝に恋文を送りつけまくって父・蘇我

現行上演がない浄瑠璃を読む [近松半二篇]

最近、文楽で現行上演がない浄瑠璃を、翻刻で読んでいる。 いままでも、通し上演がなく、一部の段を見取りで上演している演目を、現行にない段を含めて全段読むというのをやっていた。その目的は、見取りにしたために意味不明になっている部分を補い、観劇をより楽しむためというものだった。 いま、まったくもって現行上演がない作品を読んでいるのは、実際の観劇のための実用からは少し離れ、江戸時代の人はどういう芝居を楽しんでいたのかという、もっと大きく漠然としたことをを知りたくなったからだ。そし