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近世実録を読む

最近、江戸時代の実録(実録体小説)を読んでいる。

実録とは、近世の小説のジャンルのひとつ。当時実際に起こった事件や人物について、「実際にあったこと」という体裁で小説化したもの。実名が用いられているのが特徴で、写本で流通していた。
実録とは何かについては、こちらが詳しく、かつ、手軽に読める。

人形浄瑠璃には『伽羅先代萩』など、実録から派生したと考えられているものもあり、実録という文芸には興味を持っていた。実録は近世文芸研究の中では比較的(?)人気がある(?)ジャンルとのことで、専門書は存在している。だが、一般書や新書・選書などでの手軽な入門本はない(浄瑠璃も同じだけど)。そのため、興味はあっても学びを深めるにはやや遠い存在だった。
ところが、コロナ禍において様々な大学研究室主催の内々の会までもが申込制でオンライン公開されるようになったころ、実録研究で著名な研究者の方のレクチャーが聞けるという機会があった。呼んだのが近世文学とは関係ない分野の研究室だったため、基礎知識から説明があり、質疑応答も本物の「素人質問で恐縮ですが」だったのがちょうど良かった。これによって、興味が一層高まった。
その後、いろいろ本を読んでみたり、実際に写本で読んでみたりしたが、こういうのは結局、数を大量に読んで実践を積まないと、感覚的に「ジャンル」の相貌を掴めない。浄瑠璃も、文楽の実際の舞台だけでなく、本として大量に読んではじめてわかったことがたくさんあるし。
ということで、国会図書館デジタルコレクションで公開されている実録の大集成、『近世実録全書』を片っ端から読んでみることにした。

以下、これまでに読んだ6作の感想。(X[twitter]に投稿していた内容のまとめです)


1 唐人殺し

朝鮮からの使節・崔天宗に父を殺された子供が対馬の交易通詞となり、仇の再来日を待って敵討ちするという話。
朝鮮使節随行員殺害事件は事実ながら、敵討ち部分は作り話らしい。朝鮮商人と長崎丸山の遊女のあいだに生まれ、対馬藩通詞の武士の養子となった少年が最終主人公だとか、仇・崔天宗が父が大切にしていた〈雄鶏雌鶏の目貫〉を持っており、それが父殺害の証拠になるとか、仇が最後に突然反省しだして潔く討たれるとか、かなり作り話っぽい体裁。こういうの浄瑠璃や歌舞伎でもよくあるよね。的な。
主人公が父親の敵を狙う場面で、夜遅くまで起きている敵の描写に「まだ寝もやらず読書の声聞こえたり」とあった。読書史の本を読むと、近代以前の「読書」は黙読ではなく音読だったと書かれている。あまり実感(?)がなかったが、本当だったんだなーと思った。


2 姫路隠語

酒井雅楽頭は代々の所領であった前橋から姫路へ所替となり、それを勧めた奸臣に加増して調子づく。忠臣・勘解由左衛門は、栄転とはいえ代々の所領を手放すこと、意味のない加増はお家代々の方針に反するとして雅楽頭を諌めるが、公儀の手前、雅楽頭は姫路へと移る。が、直後、勘解由左衛門は自邸に奸臣を呼び出して殺害。自らは切腹する。
最後がサイコホラー状態ですごい。奸臣2人を個別に離れ座敷へ呼び出し、不意打ちで右腕を斬り落として反撃できないようにしてから殺害。その前に、不行跡な自分の息子も病と偽り自邸に閉じ込めて殺害。浄瑠璃にも相当狂ってるヤツがわんさと出てくるが、ここまでのマジモンの「忠臣」、浄瑠璃(演劇)ではオチをつけられず成立できない。こんなんやってるの、『国言詢音頭』くらいだろ。あれは逆恨み大量殺人だけど。と思った。


3 拾遺遠見録

佐々木九郎右衛門は、江戸在番中、遊女を身請けしたいという親友のために藩の金を使い込み、その罪を被って国元へ帰る。国元では兄の家に預けられるが、兄は、九郎右衛門のかつての恋人・おときと家庭を設け、子をなしていた。九郎右衛門はおときに使い込みの理由の真実を打ち明け、二人はモトザヤになってしまう。あるとき兄は勉学等に身を入れない九郎右衛門を叱るが、九郎右衛門はおときとの密通が露見したと思い込み、出奔を企てる。ところが、暗闇の中に動く人影を見つけた兄は、それが九郎右衛門と知らず斬りかかってしまう。九郎右衛門は思わず反撃して斬り殺してしまい、それを見つけたおときとともに国元を立ち退く。二人が去ったのち、家は閉門となり、兄の子・重太郎は祖父へ預けられるが……。
過失とはいえ兄を殺害し、密通していたその妻とともに出奔した男が、成長した兄の子・林右衛門に討たれるまでの話。すべて偶然のなすことながら、流されるままに生きてしまったゆえの末路というべきか。
と、あらすじをまとめるとこうなるのだけれど、それは最後まで読んではじめてわかること。実際に読むと、上記のまとめほど面白くない(?)。『大経師昔暦』はあらすじだけ聞くと面白いけど、実際の舞台で見ると終わってるのと同じ(?)。
余計な枝葉話が死ぬほど多くて、何の話なのかわからない。途中で天一坊と大岡越前が割り込んできたりとか、偶然知り合った武闘家に寄宿させてもらうとか、本筋に全然関係ない話が大ボリュームで展開する。特に天一坊。オプションでつけるような話か? ピンで主役張れるやろ?? この過剰装飾っぷりが、いかにも実録らしい。


4 風聞雉声

オムニバス。武家イイ話(忠義ってイイネ👍、立派な武士の条件とは🧐的な話)が主体ながら、村まるごと桃源郷へ引っ越した人々の話、蛇の怨念の話など、説話的なものも混じる。
「鼻毛がすごい侍の話」「主君の口上をド忘れして客先に来ちゃたけど、いざとなったら切腹すればいいやと思った使者の話」が、「どういうこと????」感満載で、良かった。
「鼻毛がすごい侍の話」では、「江戸時代でも鼻毛を手入れするのはマナー」ということがわかった。どういう話か、かいつまんで言うと、鼻毛ボーボーすぎる侍が水戸光圀に「お前、奥さん離縁したほうがええで」と言われる。帰宅後、奥さんに相談したら、「鼻毛全部抜け」とアドバイスされて、全抜き。翌日光圀に「離婚せんでええわ」と言われる話。言われな出来んのかい。
桜町弘子さんだったかが、新人時代にものすごく自然体で生きていたら、相手役スター(大川橋蔵だったか?)の付き人から、「女の子はヒゲを手入れするものです!(by橋蔵)」との伝言をいただき、「そうなの???」と思った、という話を思い出した。(人名、すべて記憶あいまい)
それにしても、蛇の話が多い。水戸黄門×蛇のコラボネタがすごい。黄門様が「蛇島」と呼ばれ恐れられている島へ渡るが、蛇は一匹もいない。「蛇おらんしw言い伝えとか嘘やしwwこの島開拓して殖産殖産www」とみんなでイキっていたら、黄門様が座っている石がなんだか動いているような気がする。よく見ると、無数の小蛇の群れが固まって岩のようになっていたのだった。知らん顔して船に乗り、島を離れると、今度は島がなんだかうねっているし、黒雲みたいなのはわいてるし、水面も見えなくなっている。それは島の奥から這い出てきた無数の蛇の軍団だった。ドン引きした黄門様は「言い伝えって、大事」と言って、二度とこの島の話をしなかった。という話。そのほか、道成寺説話の類似譚、蛇にまつわる不思議な話など、蛇ネタがたくさん入っている。江戸時代は蛇がそんなにも身近な動物だったのだろうか。


5 九六騒動

郡山藩本多家の家督をめぐるお家騒動もの。最終的には本家が勝つが、どう考えても無理な当主を支える家臣団の活躍がよみどころ。本家当主は病弱で、政務がままならない。延々と療養しており、途中で頓死する。それを差し引いても分家のほうが実務能力が高いので、今の感覚で読むと、悪役が家督を継いだほうがお家繁栄発展するだろと思ってしまう。悪役のほうを魅力的に描くというのは、歌舞伎や浄瑠璃にとどまらず愛好された手法なのだろうか。
両家とも、公儀役職者に取り入るなど、政争劇が交えられるのも面白い。地方ヤクザ題材であっても山口組が干渉してくる/山口組に干渉する設定を盛り込む東映ヤクザ映画的なテイスト。老中の屋敷へ押しかけ、言うこと聞いてくれんのやったら今すぐ玄関先で切腹するからな。場所拝借!とおどしてくるジジイ家老とか、パワーがある。『北陸代理戦争』の松方弘樹くらい、ある。
『先代萩』よろしく、本家家督の暗殺方法としては、毒殺が検討されている。分家が本家当主の家臣として毒薬調合の技術を持った医師親子を送り込むくらい、「毒殺」は重要要素となっている。そいつらが本家当主の食事に入れる毒というのが、「芋虫の汁」「斑猫」。トリカブトとかじゃないんだ。なぜ虫さんなのかの理由は、本家当主は虫がまじ苦手だから、です。
あと、顔がいい男の子を小姓にしてかわいがるのって、最高😍っていう話が、延々、出てくる。顔がよければ出世できる。世の中、顔。
全体がめちゃくちゃ長いし、家督争いが起こる代に辿り着く前にクソ長い家系発端話(ちゃんと読んでおかないと家督が正統かどうかの根拠がわからない)が冒頭に入っているので、読むのがかなり大変だった。登場人物もやたら多いので、家系や主従をまとめた関係図を書きながら読まないと、なにがどうなっているのか、わからなくなる。長大すぎ。


6 皿屋舗弁疑録

講釈師・馬場文耕の作といわれており、いわゆる「番町皿屋敷」を実録として語ったもの。番町にあったとある屋敷の因縁深い謂れ、屋敷を拝領した青山主膳の横暴と下女菊への暴虐、菊の井戸への投身と怨霊化、了誉上人による導きを描く。
「番町皿屋敷」と聞くと、お菊がいかに怖く化けて出るかが重要なのではとイメージされるが、本作は怪談・幽霊譚というコンセプトではないようだ。化けて出ること自体にホラー味はなく、「お化けが出るって話が広まって地域保安問題とか出て迷惑しちゃって」という世間の都合のほうがフィーチャーされている。
というか、正直、菊の幽霊より、青山主膳の悪行のほうが怖い。盗賊取締を公儀から任じられながら、不良旗本「神祇組」の一人であり、前歯を2本抜いて銀歯に差し替えてイキってるとか。皿を割った菊の処罰をしたくてウズウズしているが、いま正月だし、世間体もあるから松の内あけてから殺そ!!!と考えているとか。
最後は、お菊(念仏無効)が皿の数を数えて「7、8、9…ない〜😭」となっているところに、高僧・了誉上人がクソデカボイスで「10〜〜〜‼️」と言ってあげて、安心した彼女が成仏する✌️という皿屋敷ものでよくあるオチになっている。この坊さんは頭がいいからこのアドリブができたという説明がついているのだが、この了誉上人の頭の良さを説明するエピソードとして入っている「蛇につきまとわれている女」の話が奇妙。
とある田舎に、始終、蛇につきまとわれている女がいた。女は蛇のストーカー行為に迷惑していたが、周囲は「変に殺したら一生怨念が付きまとっちゃうから」とそのままにしていた。そこで了誉上人が念仏を唱えると、女はやたらと💩をしたくなり、便所へGO。ついていこうとした蛇を上人が数珠で抑えると、蛇がこっちを振り向いた。そのすきに女は便所へIN。上人は蛇の頭を火箸で叩きまくって殺したが、特に蛇の祟りははなかった。それは数珠で抑えられて、蛇が女のことを一瞬忘れたからだろうね☺️上人かしこすぎ🎓という話。
この手の頓知話が江戸時代に好まれたというのはわかるのだが、ツッコミどころが多すぎて、本編よりこっちのほうに気を取られた。本作の創作なのかもしれないけど、もしかして、同じような説話がどこかに存在するのだろうか?
前述の通り、本作の菊には念仏無効設定がある。なぜ念仏無効なのか? 恨みが深すぎるから? 実は、これにはちゃんと理由がある。
菊は、皿を割った罰として、青山主膳に右手の中指を切り落とされる。菊は親にもらった体を生まれたときのまま大切にしなければ罰当たり、親不孝であると考えており、激しい折檻よりも、この「指を斬られた」ということ自体にショックを受けている。つまり、皿の数だけでなく、指の数も足らない。彼女が数えているのは皿の数だけではないのだ。皿、そして指がないという無念によって彼女は死んでもこの世に留まっている。なので、本作でのお菊カウントは「1枚、2枚……」ではなく、「1つ、2つ……」と、何とでもとれる単位で行われる。了誉上人は、菊がしきりに数を数えている様子から念仏無効の理由に気づき、「10!!」と叫んで彼女の無念の原因をダブルで解消してやる。相当ロジカルでよく出来ている設定なのだが、あまりにロジカルすぎて、舞台とかで目の当たりにしたらちょっと笑ってしまいそう。この了誉上人も、公儀からの派遣で来たとはいえ、幽霊を鎮められなかったら宗門に瑕瑾が……と考えているあたり、冷静。縁起物などのありがたイイ話とは違うリアリティがあった。
(でも、了誉上人自体は、南北朝〜室町時代に生きた人だそうで、時代考証ガン無視)


いろいろと読んでいると、娯楽としての方向性が浄瑠璃と近いと感じる。
歴史的事件や市井の事件を題材にドラマを描いているという点は同じ。注目したいのは、その描き方だ。
まず感じた共通性は、ロジック自体が非常に重要であること。その瞬間がおもしろければなんでもいいというその場その場の継ぎ合わせではなく、論理的整合性が強く勘案された展開となっている。物語の筋(伏線回収を含む)が太く通っていることが重要であるという点においては、浄瑠璃の物語構造に近い。
江戸時代は「合理性」が重視された時代だというが、これもその「合理性」のひとつなのか。江戸時代に考えられていた「合理性」やそのありかたは、見識を深めたいと思っている事項のひとつだ。
また、「あの有名な話の裏には実は」「ここだけの秘密として解き明かす」的な、周知の事件の謎の解明がなされ、享受者に納得させることをカタルシスとする構造になっていることも浄瑠璃と同じ。書き出しが中国古典や歴史的逸話の引用になっているなど、「もっともらしさ」を感じさせる手法も、重なる部分が多い。

違う点を挙げるとすれば、実録のほうが、文章での説明が細かい。また、セリフ・心情描写が少ない。そして、女性登場人物がかなり少ない。浄瑠璃はその逆ということになるが、そこに、同じような題材、同じようなノリであっても、浄瑠璃が浄瑠璃たる特性があらわれていると思った。


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