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からだを愛し始めている。

4月の半ばに、ひどいぎっくり腰になった。
登壇仕事で立ちっぱなしの日々が終わり、やっと今日は家でオンライン仕事だから座れる〜!という日に、デスクの前で椅子に座るべく上体を傾けた瞬間に、息も止まるほどの魔女の一撃がきた。

かなり低い位置での重度のぎっくり腰で、1.5ヶ月経った今でもまだ治療を続けており、日常生活も完全には普通には戻っていない。日々治療をしてくれる整骨院の先生方には感謝しかない。


ところで。
私の人生、「お?これは違うステージに突然入ったぞ?」とわかる時期が何年かに一度くるのだけど、今年の2月から「おやおや?」と思い始めていた。

変化のはじまりは、ずっと抱えていた思春期からのトラウマが本当に嫌になり、意を決して1月に仲間の臨床心理士に依頼してトラウマケアを受け、びっくりするくらいスルッとそこから抜けた、というあたりだと思う。

トラウマを手放して自分の感じ方や考え方が変わると、もちろんその先の行動と、ついてくる結果がかわる。なので当然、それまでと違うことが自分の身に起き始める。これは本当に嬉しく軽やかな変化だった。
(これは支援者として普段クライエントに対して行っていることだけど、自分が今回クライエントになってあまりの大きな変化に改めて感動した)

そして、ひとつのトラウマが消えると、その次に待っていたやつ(手放して欲しがっているトラウマ)が、表面化してくるのである。

それが私の場合、『体についてのトラウマ』だったのだと、今はわかる。


前にもnoteに書いたことがあるけど、私は幼少期から体が過敏で、体調が悪いことが多く、『具合が悪くて○○できなかった』という思い出が割と、多い。痛い・苦しい・気持ち悪い・だるい、という体感覚は常に私の一部で、何かやりたいことをするためには、その痛み達と思いっきり戦わねばならなかった(そしてたいてい、負ける)。もちろん、大学時代に競技ダンスをやれたことや、その後子どもを2人産めたことなど、『体とまさか折り合いがつく』経験もあるので、大人になってからは負けっぱなしというわけではないのだけども。

でも、体というのはいつも、
『私の邪魔をする、鬱陶しいやつ』
だった。
私の足を引っ張り、体を重くして、とにかく色んなことをさせまいさせまいとするのだ。

なので体は嫌いだった、いつだって。
そりゃもちろん、部分で見れば気に入っているところは少しはある(大きい目、ほくろの位置とか)。でも、全体としては、『面倒くさいやつ』『煩わしいやつ』『鬱陶しいやつ』『弱いやつ』と自分の体のことをずーーっと、長いこと、思ってきたのである。
 
心理の人間として、身体性やソマティックアプローチの重要性は嫌というほどわかっているし、クライエントには身体的アプローチは使うのに、自分の体のことだけは、全く受け入れていなかった。お恥ずかしい話だが。

そして春の怒涛の登壇シーズンを乗り越えた矢先、冒頭のように突然ぎっくり腰になった。
一人では歩くこともトイレに行くこともできず、治療を受けるために外出するときもパートナーになんとかかんとか運んでもらうレベル。1日の殆どをただただ、横になって過ごす。

その時、寝室の天井を虚無感とともに見上げながら思った。
私はよくこうして、天井を見てきた。と。
息苦しさや吐き気や熱と戦い、貧血や痛みと戦い、重くてだるくてままならない体で、色んな天井をぼんやりと見上げてきたなぁ、と。

そして、
ああ、この景色はもう、手放したい。
と、心から思った。

その後、腰の治療とともに、これはどうしてもやらなければならない、と決意し、体のトラウマについてのケアを受けた。

天井を見上げているときの、馴染みのある、ゆるーい絶望感。世間から切り離され、置いていかれる感じ。海の底から、水面の煌めきを見上げているような、音も光も遠くに感じるあの感覚。自分は海の底から背中を離すことはできない、だからあそこに憧れてはいけない、寂しがってはいけないのだ。

体がダメなら頭で戦え、と育てられてきた。だから体を嫌って、体から逃げるようにやってきた。そこそこにやれてきたとは思う。悔しさで、なにくそ精神でやってきた。体から逃げるように頭を使い、体を痛めつけて、思うようにならない体をまた憎んで、より一層頭だけを使おうとして……の繰り返し。

でも、私はいつだって、水面の上にいる人たちが、羨ましかった。寂しかった、悲しかったのだ。
トラウマケアの後半、やっとやっと、悲しみを認めて受け入れることができた。
瞬間、涙がポロポロとこぼれた。


私の腰は、私にこれを受け入れさせるために、傷んだのではないか、と思う。体が、それこそ要を壊してまで、必死に、「そのやり方はもうやめて!」と訴えてきたのではないかと。


ぎっくり腰をやってから、私はひたすらに治療と横になる日々を過ごし、他にやれることもないので眠くなったら寝て、お腹もたいして空かないので枕元の白湯をこまめに飲みながら、ただただ休養した。PCの前にも立てない(ましてや座れない)ので、仕事はスマホでやれることをちょびちょびとやるだけ。毎日、腰やその周辺に受けた治療のあとを撫でさすり、少しでも早く良くなあれー、と、そればかり考えていた。

そしたらある日、5キロほど体重が減っていることに気づいた。
5キロだよ??
1キロ減らすにも悪戦苦闘していたのに!


私は鍼がとても好きで、今回の治療でもわりとまめに打ってもらっている。あの、圧がかかってウーッてなってから、ぶわあああ〜!と解放されるのがとても気持ちいい。なんというか、体の中の滞りが緩んでいって、よく流れていく感じというのだろうか。全身のこわばりが解けていく感じというのだろうか。とにかく、体が、細やかに反応していく、その手応えが嬉しいのだ。

それもあって私は、毎日体の反応をちゃんと見るようになった。

前は、体の扱いは、「凝ったから揉んでもらう」「痛いから治してもらう」「乾燥で痛痒くなるから塗る」という、マイナスなことが起きるからそこに仕方なく処置をする、という順番だった。あるいは「飲まないと具合が悪くなるので薬を飲む」、だ。

腰を痛めて、治療やトラウマケアをする中で、その順番がある日突然、逆転したのがわかった。

これに気づいた瞬間は、忘れられない。
 
ある日寝る前に、布団の中で腸腰筋を揉みほぐしていたのだけど、その時にふと、自分の骨盤に両手がかかった。
なんの気なしに、整骨院の先生が鍼を打つときにするように骨盤を触ってみたのだけど、その時に「あれ?私の骨盤って、このくらいの幅だっけ。なんか、思ってたのより小さい」と思ったのだ。

もっとがっしりしてて、安産型の広い骨盤だよなぁ、というイメージがあったのだけど、両手で優しくもみほぐした私の骨盤は、案外、思ってるより、幅が狭かった。

不思議な感覚だった。
思ってたのと違う。
思春期以来、25年くらい思ってた、体の感じと違う。

そうすると不思議なもので、ほかもあちこち触って確認してみたくなる。
腕、お腹、脚、首……思ってたよりも、だいぶ、柔らかい。なぜだ。もっとこう、ゴツくて硬い体だったはずなのに。


それから毎日、不思議な気持ちで自分の体に触れ、色々きいてみる日々が続いている。
不思議なもので、こちらが「あなたは柔らかいのだね」「あなたはこのくらいのサイズだったのだね」と思って接すると、体の方も「そうよ?」と言わんばかりに機嫌がいい。
そしてまた少〜しずつ体重が減っていく。

何が起きているのだろう……と、ほんとに不思議な(不思議を連発しすぎ)気持ちで、前述の心理士に話してみたところ、「体と仲良くなったのね〜!」と朗らかにかえってきた。

ああ、そうか。私は、憎み続けてきた体と、ついに和解して、仲良くなり始めているのか!!
私が体をずっと受け入れなかったから、そりゃ体の方だって私を受け入れなかったわけだ。
どちらも私なのだけど、どうしてもそうは思えなかった、これまでは。でも、不思議なことに、今は素直に体のことを大切に思える。やっと。

これまでいくら、「頑張りすぎ」「休みなさい」と言われても、正直全く、まーーーったくピンときてなかった。努力は足りないし、この程度のしんどさで休んでたら私は何もできない!と思っていた(これまでアドバイスくれた皆さんほんとごめんなさい)。

ところが今はやっと分かったのだ、どこから先が「やりすぎ」「頑張りすぎ」なのか。まだ、その手前で止めることはうまくはないが、ちょっと越したあたりでわかるようになった気がする。前なら、「この程度で!!」と体を憎んでいたのが、今は、「あ、この辺で休む?」と相談できている気がする。まだ、気がする程度だけど。


というわけで、よくわからないままに、自分の身に起きたことを言語化してみた。きっとこれは、大きな変化なのだと思う。
私は今、大切な人に触れる時のような触り方で、自分に触れるようになった。よく言う、LOVE YOURSELF, LOVE MY BODY,ということが初めて、しっくりきはじめているように思う。

この気づきへと導いてくれた、臨床心理士のHさん、フィジカルコーチのDさん、ライフパーパスコーチのYさん、そして整骨院の先生方、本当にありがとうございます。そして、整骨院のお気に入りの鍼灸師の先生が、いつもとても丁寧に私の体に触れてくれるのだけど、彼女の手の優しさが私を、不思議なあの気づきへと、いざなってくれたように思います。異動になっちゃうO先生、本当に本当に、ありがとうございました。

雨にぬれる紫陽花がきれい

読んでくださってありがとうございます。力が抜けたり元気が出たり、人間ってそんなもんかーと思ってくれたら嬉しいです。