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明日はこない。かもしれないという件。

私、麻酔もせず、患部を切り開いて、
腫瘍を毟り取るような生き方をしてます。
(あ、比喩です。以下同じ)


いつの頃からかなぁ。

そこにしこりがあり、
明らかに体内を蝕んでいるのに、
違和感があるなー、おかしいなーと思いながらも、
気にしないで、あるいは
気になっても、放っておける、
寝かしておける人のことが、
本当にわからない。
 

理解できない。
 

麻酔が届くまで待つのか、
麻酔が効くまで待つのか。
あるいは、
切開したら、思ってたより悪いかもしれない?
だから怖くて切らないのか?
そのままそっとしておけば、
いつか自然に消えて行くと思っているのか?

私には理解ができない。

  

昨日、大切な友人との対話の中で、しみじみと気づいたことです。

  

私は、
「そこに、何かある」
「身体が、心が、それを嫌がっている」
「違和感を感じる」
と思ったら、
その辺にあるもので、麻酔もなしに、切り開いてしまうような生き方を、してきてます。

いつからこうなのかなぁ?と考えてみたけど、
10代〜20代で、何度か死にかけたことがあり、
(喘息の発作、誤嚥、窒息で)
それぞれに辛くも助かっているのだけど、
強い恐怖と、命の危うさと、
あっけなさみたいなものが、
身体の奥底に強烈に叩き込まれてしまった。


たぶんそれが強い原体験になって、
「今、どれだけ自分の状態に正直に向き合ってるか」
「どれだけ悔いなく生きているか」
が、それこそ苛烈なほど、
私の指針になってしまってると思う。

あした?
ないかもしれない。
放っておく?
膿んだらどうする。
痛み?
今なんとかしたい。

あしたも、放っておくということも、
明日がくると根拠もなく信じている、強者の論理だと、
どこかで思ってるんだな。

あなたの大切な人が、朝、手を振ったら、それが最後かもしれない。
「またね」と言った、そのまたは二度とこないかもしれない。
 

悲観的だと言われようと、私は常に、それを思って生きてる。
(もはやあえて思うこともなく、無意識でずっと持ってる)

こんな生き方は、そこそこに辛い時もあります。
でも、私ものすごく弱いくせに、それ以上に強いんだと思う。
この、麻酔なしの痛みに、耐えられるわけなので。


そっとしておけばいいじゃない。
時間が解決してくれるよ。
しばらく、忘れよう。気を紛らわせようよ。

うん、私もそう思うのよ。
それができたらどんなにいいかって。

でも、うまくやれない。
血みどろになっても、何がしこりなのか探り当てたいし、早くそれをなんとかしたいのよ。

このやり方で生きてきたから、後悔は本当にないし、
この苛烈さが人の役に立つことも多いのは知ってる。
でも、時々、内側から焼き切れそうになることもあるし、
私のあまりに血みどろな手が、
誰かを追い詰めてしまうこともある。

   

自分の執着、感情の執着や、やり方の執着を、手放したいよおお〜〜。
でも、まだまだまだまだ、下手くそすぎるわあああ〜〜。
そして、これが私なのだとも思うし、無理に変えなくてもいい、
でももっと楽になりたいとも思う。

どうも、このテーマはあと50年位はかかりそうです。
山に登ってちょっと向き合ってこないとだなw


少しずつ、楽になっていけるかな。
うん。少しずつならいけるだろう。

読んでくださってありがとうございます。力が抜けたり元気が出たり、人間ってそんなもんかーと思ってくれたら嬉しいです。