半分眠っていても読める文章を書きたい
こんばんは。
山梨旅行から帰ってきた職場の方に、「富士山て、山梨側からみると茶色いんですね」と言われました。
フジコです。
私は静岡出身なのですが、青い富士山しか知りません。
山梨のみなさん、富士山て茶色く見えるんですか?
どうか、無知な静岡県民に教えてください。
半分眠っていても読める文章を書きたい
昨日の記事で、「半分眠りながら書いています」とお伝えしたのですが、今日は1日中ずっと、このことについて考えていました。
半分眠りながら書いても、意味ないんじゃない?
逆に、そんな文章を毎日書いていたら、文章下手になっちゃうんじゃない?
私が出した結論から言うと、ノーです。
というより、ネットの記事や文章をまじまじと読む人なんて、ほぼいないと思っています。
完読されることのほうが少ないのではないでしょうか。
そのため、自分のnoteにおいて書く側である自分も、完璧や文学美を求めて書かなくていいという結論に至りました。
そのほうが、読者の方に伝わりやすい文章になるんじゃないかなと思います。
以前、ほかのWEBライターさんも同じようなことをおっしゃっていました。
しかし、例外もあります。
ネットに載っているものはちゃんと読まないとはいえ、しっかり読む記事や文章もあるでしょう。
私にはあります。
好きな雰囲気を醸し出す方のnote、好きな作家さんが書いている連載記事、きれいな文章、楽しい文章…。
これら私のお気に入りには、書いている方の人柄がのっている気がします。
私にとって、「その人が書く文章が好き=勝手に想像するその人の人柄まで好き」なのです。
さらに、ネットの記事以外でも、私は文章を読むことが大好きです。
小説や純文学を読んでは世界感や文章の味に浸り、エッセイを読んでは涙したりゲラゲラ笑ったり。製本された文章には、ネット記事とは全く別の魅力があります。
こんなに文章が好きと言っているのに、半分眠った脳みそで書くnoteを毎日投稿するなんて、矛盾している気もしますが、まぁいいか。
私も、魅力的な文章を書けるようになりたい。
そう思いながら、今はまだ、自分にできることを少しづつやっていこうという段階です。
半分眠りながら書く文章に、半分眠りながら読むみなさん、どうかお付き合いください。
それでは本日も、おやすみなさい。
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