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乾杯


No.5 飯田隼人 (明秀日立)


こんにちは。

今回のnoteを担当させていただきます。

富士大学 サッカー部 飯田隼人です。

まず初めに、日頃より富士大学サッカーをご支援いただいている全ての皆様に深く御礼申し上げます。



自分がなぜここまでサッカーに没頭することができたのかを、書かせていただきました。
是非、最後まで読んでいただけると嬉しいです。




何をきっかけにはじめたかわからないサッカー。


でも気づいたら今年で16年。


今までのサッカー人生を振り返ると

正直に言って、辛いこと、苦しいこと、悔しいことの方が多かった。



なぜ、ここまで続けてこれたのだろう。



最近は就活で忙しい。毎日のように面談、面接を繰り返していくなかで、毎回聞かれる。

「なんでここまでサッカー続けてこれたの」


この時はじめて疑問に感じた。

何でここまでサッカーを頑張れたのか。
何でここまで本気になれたのか。

過去を振り返ると、



「仲間と喜びを共有すること」



このことがあったから頑張れたし、熱中することができた。



中学は部活には入らず、

鹿島アントラーズノルテに入団。

監督からチームの主将を任された。

今思えば違う人がやった方がもっと良い結果が出たのかもしれないと感じるが、当時の自分は、右も左も分からないまま引き受けてしまった。


自分は悪いことをしてないのに、怒られるのは自分。

合宿に行って宿舎でご飯を食べている時、違う友人が大声を出して一般の方に注意され、なぜか自分が1人で謝りに行かされる。

意味がわからなかった。

本当に、主将を辞めたいと思った時もあった。

でもこんなチームでもクラブとして初の高円宮杯全国大会に出場することが出来た。





高校は明秀日立に入学。

高1は、1年チームのリーダーをやっていた。

学校から練習場までバスで移動し、人数が揃ったらリーダーがコーチを呼びに行かなければいけない。

そんな中、練習開始時間3分前、腹が痛いからトイレに行ってくると言う友人がいて、しょうがないからと行かせたが、コーチが時間を過ぎても呼びにこないことに対して、怒鳴りにきた。

それでも怒られるのはトイレに行ったやつではなくて自分。

本当に意味がわからなかった。

さらに、高2では、脛骨疲労骨折で手術。

高3は副主将に任命されるも特に結果を残すことが出来ずに終了。




大学は、親元を離れ、富士大学に入学。

大学1年は、脛骨疲労骨折が再発。
大学2年は、社会人カテゴリーで全国大会出場。
大学3年は、社会人カテゴリーでプレー。日本一を観客席で経験。

社会人カテゴリーでプレーしていたせいか、自分含めて、周りの友人たちはなぜか、髭を生やしてみたり、社会人体型になってきたから食事制限するって言ってくるやつが毎日チートデイだったり。


本当に意味がわからない。






こんなサッカー人生でも必ず応援してくれている人がいて、どんな時でも支えてくれる仲間がいる。

どれだけ結果が出なくても、どれだけひどいプレーをしても、


実家に帰れば、

母さんが、「がんばれ、怪我しないでよ」
父さんが、「試合ある時言えよ」
じぃちゃんが、「後悔しないようにな」
地元の友人が、「最後までやり切れよ」


自分には応援してくれる人たちがいる。
皆のためにも頑張らないといけない。勝手にそう思っている。

最終的な結果がどうであろうと、最後は皆と喜びを分かち合いたい。

練習がきつい時、皆で励まし合う瞬間、それを乗り越えた後バカ騒ぎする瞬間。

その瞬間の、喜びを共有していきたい。

最後の笛が鳴る時、全員で「やり切った」と思えるように、


そして、社会人になったら

また皆で集まって、
ビールでも呑みながら、過去振り返ろうよ。



ラスト1年、頑張るよ



そして最後に、

仲間と家族にこれからもよろしくお願いします。
あと少し応援してください。

2つの意味を込めて、



『乾杯』



次回のnoteは、

富士大の番犬 松田星良です!

タイトルは「OH〜〜〜YES!!!!」

是非ご覧ください!
































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