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防災大国日本のモデル 「立山砂防」が世界遺産に?

 私、藤井だいすけが生まれ育った、富山市新庄地域の小中学校の校歌に必ず登場する常願寺川。その上流に、富山県2つ目の世界遺産が誕生するかもしれません。その名も「立山砂防」。
 
 平成20年に立山砂防は黒部ダム関連施設と併せ『立山・黒部―防災大国日本のモデル―』として世界遺産暫定一覧表に記載されました。さらに平成29年には「常願寺川砂防施設」が日本を代表する近代砂防施設として国の重要
文化財に指定されています。加えて、平成30年の国際防災学会インタープリベント2018では、立山砂防が人類共通の遺産として普遍的価値があるとする「富山宣言」が採択されるなど、近年その評価が急速に高まっています。

 県としても、さらなる立山黒部のブランド化推進のため、新たなロープウェイ構想や、黒部峡谷鉄道の終点・欅平駅と黒部ダムを結ぶ「黒部ルート」の一般開放など、富山の自然景観を活かした観光資源開発に力を入れており、立山・黒部の世界遺産登録に向けていよいよ本腰を入れ始めたと言えるのではないでしょうか。

 そして強調しておきたいのは「立山砂防」は今でも“現役”であることです。ご存じの方も多いと思いますが、立山カルデラには1858年の安政大地震で崩れた土砂がいまだに滞留しており、仮にその土砂が全て流れると富山平野が約2mの厚さで埋まると言われているほど。その土砂流出を防ぐために、立山砂防はこれまで150年間にわたって富山県民を守り続けてきたのです。

 かつて明治時代は、ヨーロッパの土木技術を輸入して砂防を建設したのですが、現在では富山の砂防や治水の技術がヨーロッパに輸出されるまでになっています。「立山砂防」には、富山県人の自然との共存共栄を考える知恵
と技術が集約されているのです。

 そもそも富山県が明治16年に石川県から分県したのも、治水事業がきっかけ。災害の少ない富山県になったのは、先人たちの努力があったからこそなのです。いまでもその伝統は富山県議会に受け継がれていると感じますし、これからも安心安全な未来の富山のために、県土強靭化に取り組んでいかなければならないと思っております。

藤井大輔/富山県議会議員(富山第一選挙区)1973年(昭和48年)1月19日生まれ。46歳。
新庄幼稚園、新庄小学校、新庄中学校で育つ。富山中部高校、大阪大学経済学部を経て、95年に株式会社リクルートへ就職。
2004年フリーマガジン『R25』を創刊し編集長となる。40歳を機に東京から富山に戻り、現在は富山市新庄地域で高齢者福祉事業を行う株式会社アポケアとやま専務取締役。社会福祉士の国家資格を持ち、新庄地域包括支援センターの相談員も務める。