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超コスパの時代、1本の記事にどこまでこだわるべきか?

「マジでやること多すぎ……」

 時間に限りがあるなかで、記事の内容にどこまでこだわるべきか、悩んでいる編集者・ライターは少なくないはずだ。

 とくにWebメディアの場合、ギャラがよいわけではない。フリーランスならば、1本の記事に引きずられてしまうと、収入面でキツくなってくる(がんばったはずなのに、むしろ稼げないとか……)。

 社員あるいは業務委託スタッフとして編集部で仕事しているならば、収入は安定するものの、定量的な目標(というか数字のノルマ)が課され、会議で吊るしあげられる(苦笑)なかで、どうしてもコスパやタイパは意識せざるをえないだろう。

 記事の量と質のバランスは、非常に難しい問題である。自分にとっての“最適”が見つけられないと、やる気がどんどん削がれていって、それこそ手が進まなくなってしまう。

 僕はフリーランスと編集部員、両方の立場でそれなりに長く働いてきたが、じつは少しだけ“コツ”のようなものがあると思っている。

“迷い”は日々のパフォーマンスを低下させる


 どうしても自分が譲れないポイントに関しては、コスパやタイパをすべて無視しても構わない、“やる”と決めたらやるということだ。それが、めちゃくちゃ大変で時間がかかることだとわかっていても……。

 “迷い”は日々のパフォーマンスを低下させる。つべこべ言わず、“やる”と決めたらやることで、自分にブレがなくなる。行動に一貫性が出てくれば、言葉にも説得力が生まれてくる。どんな大物を相手に仕事をする場合でも自信を持つことができるのだ。

 たとえば、僕は編集者として仕事をする場合、ライターさんが書いた文章に対して、もしも少しでも内容を修正するならば「赤入れした原稿を戻す」と決めている。連載などで、あらかじめ「細かい調整はお任せします」「言い回し程度は勝手に変えてもOK」という場合はのぞき、基本的にはどんなに急ぎのネタでも確認がとれない場合は記事を出さないスタンスを貫いている。

 原稿の赤入れは手間と時間がかかる。なぜ修正する必要がある(と思った)のか、WordやGoogleドキュメントなどにコメントを入れていくが、根拠がなければならない。伝え方にも頭を悩ませる。それでも、“やる”と決めたらやるのだ。

(※)タイトルに関しては、自分だけでなく、編集長や配信ディレクターなどが状況によって修正する場合もあるので、あくまで「仮タイトル」として変更がある可能性も伝えている

メディア側には「数字しか見ない」という人も

 記事の内容を置き去りにして、コスパやタイパばかりを追い求めれば、WELQ事件のようなことが起きる。2016年よりも前は、多くのWebメディアが情報の信憑性や著作権など、いわゆる“クオリティ”の部分で問題を抱えていたと思う。

 Webで長くやってきた人たちにとっては「今さら?」かもしれないが、改めて少し振り返ってみたいと思う。

 当時ちょうど、僕は雑誌からWebの世界に仕事の軸足を変えるべく動いていた。Webメディアを実質握っているのは編集者ではなく、PM(プロダクトマネージャー)、エンジニア、広告などの営業担当ということを知って驚いた。編集に関してはほぼ素人で、他の業務と兼任などのかたちで運営されていたので「数字しか見ない」という言葉もたびたび聞いた。

「結局、記事のクオリティとか内容うんぬんの良し悪しはわからないから、数字だけで判断するしかないんだよね」

 これが本当に嫌すぎた。コスパやタイパを重視した結果、ほぼコピペの記事が大量生産されて内容はノーチェック。それはネット上のゴミでしかなかった。

 そして、DeNAが謝罪会見を行っているのを横目に、僕は記事に取材や実体験が含まれているWebメディア(主に出版社系)で仕事をしようと思った。まあ、あれからずいぶんと年月が経過して、SEO界隈もだいぶクリーンになったはずだけど。

何に労力を注ぐべきか?

 ただ、いくら仕事上のポリシーを掲げたって、そもそも1本の記事に対して「120%」満足するまで尽くせるわけがない。その1本だけで100万円が稼げるならば、目の前に集中すればいいだけの話なのだが、現実は甘くない。実際はかなりの本数を同時進行しているはずだ。

 からだ(脳みそ)はひとつしかないので、がんばる方向を間違えてはいけない。数字に直結する部分(タイトル、リード、サムネ)に労力を注ぎ、それ以外は省エネモードでスルーする?

 PVというものは、ある程度はハックできることは言うまでもない。Googleなどの検索エンジンのアルゴリズムに沿ったり、ニュースサイトやアプリでトピックスとしてピックアップされやすい傾向に寄せたり。もちろん、“当たる方向性”に導くことも編集者の仕事だと思うけど……。

 昨今のWebメディアでは、編集者の役割が変わってきているようにも感じる。

 編集者から赤入れした原稿は戻ってくるだろうか? もしかすると、フィードバックが一切もらえないなんてこともあるかもしれない。

「Webメディアで記事を書くようになって数年経ちましたが、今まで編集さんから原稿の内容について何も言われたことがなかったので驚きました……」

 以前、初めて一緒に仕事をしたライターさんからこんなことを言われて絶句してしまった。

「勝手に原稿が直されていて、知らぬ間に記事が出ていますね」

 僕自身、フリーのライターとして記事を書くこともあるが、自分の名前(あるいはペンネーム)がクレジットされるのにもかかわらず、勝手に意味が変えられたり、まず書かないような表現が使われたりしていたらたまったものじゃない。

変わりつつある“編集者”の仕事

 編集者という呼び方ではあるものの、今は取材や撮影などの仕事だけではなく、Webマーケティング、SNS運用、デザイン、イベント運営……業務内容は、めちゃくちゃ幅広くなっている。

 雑誌からWebメディアに来てから“とてもじゃないけど、この量を完璧にさばくのは無理だ……”と思ったこともある。

 そんななかで、原稿に赤入れをしない編集者が増えているのかもしれない。でも、自分がライターだったら、絶対にそんな編集者は嫌だと思った。

 前述のように1本の記事に120%尽くすことは不可能である。コスパやタイパの時代、それと逆行するような自分のポリシーに悩み、苦しむことさえあるかもしれない。それでも譲れないものがあるならば、もう“やる”と決めてやるしかないのだ。

<文/藤井厚年>

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