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京都ボヘミアン物語④「内ゲバ」がこわくて寮を脱出

 大学に入学したはいいけど、なにをしたらよいかわからなかった。
 テニスサークルのミーハーなのりとはあわないし、テニスをするカネもない。世界を変革する小説を書くつもりだけど、その前に、女の子との出会いはほしい。真剣に、ないものねだりをしていた。

吉田寮の新棟(左)の位置に、サークルの部室が入居する建物があった

「舞踏研」というサークルの新入生歓迎の飲み会は、かわいい子が多くて酒が飲み放題だと、人づてに聞いた。参加してみることにした。
 部員たちは東欧の民族衣装を着ておどっている。一段落すると古びた木造の部室で酒宴になった。このサークルは気前がいい。日本酒をボウルになみなみとそそぎ、
「それイッキイッキ!」
 くはー、うめぇ。高校時代は酒がもったいないから、こんな飲み方はしたことがない。ボウルでガブガブ飲めるなんてすごいぜいたくだ。
「今日のお酒がうまいのは、○○くんのおかげです。それイッキイッキ……!」
 これがうわさのイッキか。いい文化だなぁ。
 ひととおりイッキが行きとどくと、外にでてダンスをおどったり、なぜか夜の大学構内を全力疾走したり……。そのうちに新入生があちこちでたおれはじめる。
 室内にもどってまた酒をあおったら、部屋ががくるくるまわりはじめた。
 すげーな、楽しいな。これが大学生かと思った次の瞬間、胃から酸っぱいものがこみあげてきた。外にかけだして、ゲーッと吐いた。酒によるゲロははじめての経験だ。
 そのまま部室の先輩方にあいさつもせず、吉田西寮の部屋にもどってたおれこんだ

 二日酔いの頭をかかえて目をさまし、教養部の構内を歩いていると、まっすぐな黒髪で白いシャツの飾りっ気のない女性に声をかけられた。
「社会問題についての読書会をやってるので来ませんか?」
 キャンパスの一番奥のE号館4階の階段下、重い鉄扉がついた小さな部屋につれていかれた。
「テキストはこれです。古本だからあげますよ」
 手渡されたのはパラフィン紙でつつまれた岩波文庫で、カール・マルクスが書いた「賃労働と資本」だ。

 マルクスの名を見て、高校時代の世界史の先生の授業を思いだした。先生は最初の授業でこう宣言した。
「今まで学校で教えてきた歴史は本当の歴史ではありません。きみたちは、信長や秀吉や家康が歴史をつくったと思っているだろうけど、歴史をつくるのは民衆の力です」
「民衆が歴史をつくる」という言葉にしびれた。
 そして、原始共産制にはじまり、生産力が上昇して余剰生産物ができることで奴隷制が生まれ、さらに生産力が増すと封建制、つぎに資本主義へと発展してきたという流れを教科書の記述とリンクさせながら教えてくれた。
 目から鱗のような歴史観だった。それが唯物史観であると理解するのは大学にはいってからだ。
 世界史の授業をとおしてマルクスに興味をもち、図書室にあった「資本論」に挑んだが2割も読めずに挫折した。

 だからマルクスにひかれて学習会に参加することにした。
 2回、3回とせまい部屋にかよううちに、4、5人のメンバーの怜悧で刃物のような議論についていけないものをかんじた。夜中に部屋に話しにくる中核派のお兄さんの押しつけがましい態度とは次元の異なる不気味さだ。

ある晩、中核のお兄さんが成田空港闘争などの資料をぼくの部屋にもってきたとき、「賃労働と資本」の文庫本を見せた。
「これはいい本だ。しっかり勉強したらいい」
「実は政経研というサークルの人にもらったんです」というと、血相を変えた。
「あれは革マルだ。ぜったい近づいちゃだめだ」
 中核と革マルが犬猿の仲だというぐらいの知識はあったからおどろいた。(実際は革マルとはちがうらしい)

なんだかやばい人たちとかかわっているのでは。このまま寮にいたら内ゲバにまきこまれるのでは……急にこわくなってきた。
 すぐに大学の学生部をたずねて下宿をさがした。大学近辺の下宿の家賃は安くても1万3000円だが、3キロ北の北山通りまでいくと1万円で借りられる。
 比叡山のふもと、修学院離宮近くの農家の敷地にある四畳半ひと間の下宿を契約した。
 京都に住む親類に車をだしてもらって、布団袋と茶箱を積みこんで寮から逃げだした。まさに夜逃げだった。
 数カ月後にはまた吉田寮にいりびたり、寮の劇団に参加することになるのだけど。

四畳半の下宿。後ろの布はチベットで買った。押入のふすまは取り外している(1987年?)

四畳半にひとりで住みはじめると、孤独はいっそう深まった。
 大学まで歩くと40分かかる。電車をつかうのはもったいない。3000円の中古自転車を買って、新歓でにぎわう大学構内をさまよった。
「ボランティアに興味ない?」
 ナカジマと名のるやさしそうな男が声をかけてきた。でもやさしすぎるのはあやしい。また宗教団体ではないのか? 身がまえてこたえた。
「ボランティアとかは偽善に思えるんです」
「じゃあ、なにに興味があるの? サークルをさがしてるなら手伝おうか?」
「旅行やアウトドアが好きですけど」
「だったらいいところがあるよ」
 つれていかれたのが「ボヘミアン」だった。そこで「大文字キャンプ」のチラシをわたされた。
 チラシをくばっている連中は、政治団体のような鋭さや押しつけがましさがない。どちらかというと素朴な田舎者というかんじだ。
 さっき声をかけてきた人はボランティアサークルの人だった。
 あとから聞くと彼は、まじめな人は自分のボランティアサークルに誘い、へんな奴がいるとボヘミアンを紹介していた。
 ボランティアサークルでは、へんなやつをボヘミアンに紹介することを「ボヘ送り」と言っていたらしい。「島流し」のようなあつかいだった。(つづく)

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