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トドス・サントスに何が起こった グアテマラ日本人襲撃の背景(週刊金曜日2000年10月27日)

 世界の秘境をもとめる旅行者に人気のある中米グアテマラで、日本人旅行者がリンチにあい殺害されたという衝撃的なニュースが飛びこんだのは今年(2000年)の4月だった。悲劇の舞台となったトドス・サントス・クチュマタンでいったいなにがおこっていたのか。

 中米グアテマラで4月、日本人ツアーが数百人という群衆に襲われ、ツアー客1人と運転手が殺された。「写真を撮ろうとしたから」「子どもに不用意にちかづいた」……と日本の新聞やテレビはつたえ、「純朴な先住民族に対する配慮」をもとめているように見えた。
 何かおかしいと思った。私の知っているグアテマラの田舎はそんな「秘境」ではないし、トドス・サントス・クチュマタンという町はバックパッカーには有名な観光地である。そう思って訪ねると、内戦と先住民族に対する抑圧の歴史がおぼろげながらうかびあがり、新たなリンチ事件も発生していることがわかった。

異口同音の不可解な「混乱」

 トドス・サントス・クチュマタンは周辺の集落をふくめると人口約2万人。グアテマラ西部の大都市ウェウェテナンゴから約70キロ北にあり、バスで3時間ほどかかる。

 私が訪ねた8月末には、町から20キロほど手前にある高原の広場で週に1度の大規模な市が開かれていた。近隣の農民が牛や馬、羊といった家畜や農産物をもちより、商人のトラック百数十台が仕入れのためにあつまる。羊はその場で毛をそぎ、解体して肉や内臓をとる。
 事件があったから緊張してカメラをかまえたが、杞憂だった。羊の解体をする男性はポーズをとりながら、「このふくれてるのが胃、こっちが肝臓、これは腎臓だ。ここはこうやって切るんだ」「毛を刈る手数料は1頭分で1ケツァル(14円)だよ」などと説明してくれる。
「日本人のリンチ事件のことは知ってるかい?」とたずねると、
「混乱してたんだ。不幸な偶然だよ」
「そうだ混乱してたんだ」
 周囲の男たちもそう言ってうなずいた。

事件の現場

 トドス・サントスは襲撃事件のあった土曜日は市があったためにぎわっていたが、この日は閑散としている。コカコーラの看板がある安ホテルにも客の姿は見えない。事件現場にほど近い市役所や教会がある中央公園には、欧米人のカップルがすわりこんでくつろいでいる。
「襲撃事件はなぜ起きたの?」
 何人かの通行人にたずねた。
「混乱してたんだ。悪魔教のうわさがあった。日本人が子どもに近づいた。それでこわくなってパニックをおこした」
 だれにたずねても判で押したように「Confusion(混乱)」と答える。
 中央公園の目の前にある市役所を訪ねると、代理市長がインタビューに応じてくれた。2階の市長室に私たちと一緒に十数人の男たちがなだれこみ、壁ぎわにすわった。好奇心旺盛なんだなあ、と最初は思った。
 代理市長の説明はこうだ。
「事件の2週間ほど前から、悪魔教団がやってくるという噂があった。噂はウェウェテナンゴからながれてきて、ラジオや新聞でもそんな話がでていた。日本人が偶然、子どもにさわったのがきっかけになった。私が駆けつけた時にはもうおさまっていた。混乱してたんだ。だれがどうしたのかはわからない。だれにもわからない……」
 壁際にすわる男たちが堰を切ったようにしゃべりはじめた。
「もう混乱は終わった。旅行者も来てる」
「大型バスも小型バスも来ている。スペイン語学校もある。もうおさまったから大丈夫だ」……。
「観光客側が気をつけるべきことはないのか」と尋ねると、周囲の男たちに促されて代理市長は自信なさげに口をひらいた。
「全然ない。写真もどんどん撮ってくれ。市役所の2階にあがって展望を楽しんでくれてもいい。もう何も問題はない。日本人の旅行者にももどってきてほしい」
 たしかに危険な雰囲気はない。写真撮影も問題ない。「観光客の配慮が足りなかったから」というステレオタイプな報道のおかしさはよくわかった。だが、気になる。なぜみな「confusion(混乱した)」というおなじ単語をつかうのか。なぜ代理市長はオドオドしているのか。


 翌日、ウェウェテナンゴ市にもどり国連グアテマラ和平検証団(MINUGUA)のオフィスを訪ねた。
「実は3週間前(8月はじめ)にもあの町でリンチがあったんです」と言う。酔っ払って車を運転していた警察官が子どもをひっかけ、怒った群衆が警察官をひきずりだして袋叩きにした、という。首都の人権団体ではこんな噂もきいた。
「リンチ事件の2,3日前、『今週は国際的な麻薬密売人のグループの集まりがある』と警察官が住民に注意をうながしていた−−」
 私が出会った住民がすべて警官リンチ事件を知らないわけがない。警官が騒ぎを大きくするようなことを言ったというのも全く根拠のないデマとは思えない。なぜかくそうとするのか。
 トドス・サントスでは、内戦時代の暴力支配をになった元自警団が今も力をもっている。代理市長はなにかを恐れて口ごもり、警官リンチ事件もかくしていた。「混乱した」というおそらく特定の出所からの情報を住民も鵜呑みにしていた。それだけ情報が統制された地域なのに、さまざまな噂が特定の時期に突然噴出した。ほかの地域の多くのリンチ事件で指摘されているように、軍か自警団によるなんらかの扇動があった、とかんがえてもよさそうだ。

リンチあおる自警団 動かぬ警察機構

 グアテマラは36年間に及ぶ内戦が1996年に終結した。だがその後もリンチ事件は多発し、99年だけで約100件あり48人が死亡した。ウェウェテナンゴ県はそうした事件がとりわけ多いことで知られる。
 この地域は、政府軍に押された左翼ゲリラが逃げこんで、和平の直前まで戦闘がつづいていた。軍主導で村々に組織された自警団(東チモールの民兵のような組織)の統制が強く、農民組織や教会のリーダーらは「ゲリラ」とされて殺されつづけた。トドス・サントスも自警団が強く、人権問題などにかかわる市民団体は組織できなかった。
 夫を殺された女性たちが作る「連れ合いを亡くした女性たちの会」(コナビグア)の共同代表で、元国会議員のロサリーナ・トゥユクさん(42歳)は、95年に大統領選挙のキャンペーンでトドス・サントスを訪れたことがある。現地の5家族が「うちの町でもやってくれ」と要望したためだ。町にはいる直前には検問があり、行く先や目的を詰問された。中心部の広場で開かれた集会には100人ほどあつまったが、1人も発言しなかった。「集まった人の半分は自警団のメンバーで、発言がチェックされていた」という。組織づくりは失敗し、協力してくれた5家族はその後、村を出ざるをえなくなった。
 裁判官や警察幹部は「リンチはマヤに古くからつたわる慣習法だ」などとマスコミで発言している。それにたいしてロサリーナさんは「マヤの慣習法は長老がとりしきるが、リンチは若者が主体になっている。『参加しないやつは泥棒の仲間だ』などと脅してリンチに参加させる例が多く、元自警団のメンバーがかかわっている。『マヤは野蛮』というイメージをつくり、先住民族の権利獲得を妨害するために利用されている」と反論する。
 国連グアテマラ和平検証団(MINUGUA)のスタッフは、リンチ事件の背景をこう説明する。
 −−内戦時代に地域のリーダーが殺され、指導的な役割を果たしていたカトリック教会の影響力も失墜した。軍が暴力で支配し、虐殺の責任者が裁かれたことはなかった。和平合意後、文民警察がもうけられたが、犯人が捕まっても証拠不十分ですぐに釈放され、公平な裁判もない。人々は法や司法制度を信じていない。また大半の住民は内戦が終わったことさえ知らない。さまざまな紛争を解決する回路がないから、何かきっかけがあれば爆発する。頭ではリンチはよくないとわかっていても、状況次第で内戦時代にたたきこまれた身体的反応(惨殺)にスイッチがはいってしまう−−。
 リンチ事件のほとんどは犯人逮捕にはいたらない。事件を調査しようとした国連スタッフが襲撃されたこともある。真犯人探しはとてもできる状態ではないという。

真相解明へ 魂の発掘

集会に参加した母娘

 グアテマラの農村には、殺した側と殺された側が共存している。殺した側が力をもちつづけ真相究明にふみだせないトドス・サントスのような地域がある一方で、失踪した夫や子が眠る「秘密墓地」の発掘によって事実を明らかにする動きもある。
 首都グアテマラ市から車で2時間ほどのサンホセ・ポアキル市郊外の山間にあるサキタカ村は、水田のようにみずみずしいトウモロコシ畑にかこまれ、家々の庭にはアボガドやザクロが実っている。
 コンクリートレンガとトタン屋根の20畳ほどの小屋にはいると、色とりどりの民族衣装を着た女性たち約50人がむかえてくれた。
 みな80年代初頭に夫や兄弟を軍の基地に連行され、いまだに遺体と対面できていない。この日は首都の弁護士とコナビグアのロサリーナさんが彼女らを訪ねて、発掘の手順について説明し、希望者を登録するための集会だった。
「発掘を申請するには、だれがどうやって夫を連行し、どこに埋められたか、わかる範囲で役所に説明する必要があります」
 そう弁護士が説明すると、
「自警団にはいれ、と軍によばれたまま帰ってこない。基地で殺されたと思うけど、くわしい場所はわからない」
「夫は2回、基地に連行され釈放された。3回目は帰ってこなかった」……と、次々に立ち上がり、泣きながら訴える。人口2200人のこの村で、約300人が行方不明になったという。
 この村で、教会や農民団体などのリーダーの失踪が相次ぐようになったのは、近所に軍の基地ができ、軍の指導で自警団が組織された1979年からだった。
 フルヘンシオ・ペレスさん(33歳)の父は、農民の互助団体の指導者だった。82年4月の夕方、家に5人の兵士がなだれこみ、「こいつはゲリラだ」と言って父に銃をつきつけ、トラックにおしこみ連行した。そのまま帰ってこなかった。文句を言ったら殺されるから、だまっているしかなかった。
 フルヘンシオさん自身、12歳の時から自警団に強制的に入隊させられ、軍に食糧を提供したり、不審人物がいたら軍に通報する役目をになっていた。ある女性は声を潜めてこう言った。
「このムラにはね、軍の命令で自分の兄弟を殺した人もいるのよ。殺さなければ自分が殺されてしまうから」
 95年に軍は基地を閉鎖し撤退した。まもなく自警団も解体された。
 せめて骨だけでもどこにあるか知りたい。発掘して埋葬することで少しは痛みがいやされるはずだから」とフルヘンシオさんは話す。

秘密墓地発掘を希望する人たちからコナビグアのメンバーが失踪時の様子などをききとる

 帰りの車のなかで、自ら前夫を殺されているロサリーナさんはこう語った。
「マヤの文化ではね。人間も動物も植物も大地から生まれるの。誘拐されて殺されたままでは、命のサイクルが終わらず、今も魂がさまよっているのよ。ちゃんと発掘して埋葬することで死者の魂も家族の心もいやされるの」
 グアテマラの大地には、内戦時代の犠牲者約20万人という死者の魂がいまもさまよっているのである。

集会の食事のためのトルティーヤを焼く女性


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