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地獄

若冲展を見るために、朝九時半に東京都美術館に向かったが、シニアデーというものにあたってしまい、結局炎天下の中、3時間も入場待ちしてしまった。行った手前、途中で抜け出すこともできず、結局素直に並んでしまった。

何度も折り返し、先の見えない列の中、シニアにもまれながら前に進んでいった。

「いま来た人たちははもっと待たなければいけないだろう」「昨日は雨の中4時間待たされたらしい」と、他人と比較し己を鼓舞する声が聞こえてきた。

ちょっとした曲がり角で道が広くなると、その隙に前に進めないかと、列を乱しながら、かき分け前に進む人もいる。

わたしは、蜘蛛の糸を前にした地獄の人間たちもこんな感じだったのかな、なんて思いながら、ひとりぼんやり並んでいた。


ちょうどその列に並んだ同日、蓮實重彦という人が三島由紀夫賞を取ったというニュースを目にした。

インタビューで、「自身の青春期を元に作ったのか」というありきたりな報道陣の質問に対し、「馬鹿な質問はやめていただけますか」と答え、いたずらだけど素直な応対に、なんとなく腑に落ちる部分があった。

近年の報道は常軌を逸していると感じている。なにかネタがあれば人扱いせず、ボロボロになるまで追いかけ回す。

そうやって注目を集めた時に、なぜ人々は、「良い解答」に努めるのかを考えた。

蓮實氏のように、自分の言葉で、思いを伝えても良いのではないかと考えた。


なんとなくだけど、ボロボロになりながらも正解を答えることに努める人たちは、「その先」がある。

今思いの丈をありのままに話してしまったら、その報道をきっかけに、明日を失ってしまうかもしれない。

蓮實氏は80歳なので、だからこそ割りきった軽やかさがあるのだろうか。

基本的には、みんな明日が愛おしいのだ。


ふと、今朝の地獄を思い出す。みんな蜘蛛の糸を掴みたくて、生きている。

この世は地獄だ。

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