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ポルトガル2023TIP① なぜポルトガル?

ここからは、2023年5月に行ったポルトガルについて、様々な点から触れたいと思います。

今日では様々な国に行きましたが、2初めてのヨーロッパは2004年のポルトガルでした。

では、なぜポルトガルだったか

それは遡ること小学生の頃のことです。

当時、「アメリカ横断ウルトラクイズ」が毎年放映されていて、見ていました。日本からグアム、ハワイ、そしてアメリカ本土にクイズをしながら横断する番組です。そして、とある回が北米大陸から南米大陸に渡ります。その際にブラジル・リオデジャネイロからの際にカメラを逆さまにして、「ここは地球の裏側です。」という演出がありました。私はその場面を覚えていて、初めて「南米」を意識しました。

その後、いろいろ触れる機会がある中で、高校生の頃にある本を購入します。それが「ラテン・アメリカを知る辞典」(平凡社)です。スペインやポルトガルと、それらの国の植民地だった南米の国の関係性が書かれていて、そこでスペインやポルトガルへの関心が高まります。つまり、「ラテンアメリカ→スペイン・ポルトガル」という興味の持ち方です。

そして、大学生(観光学)を経て社会人になります。既に大学生の頃に初海外のアメリカ西海岸、卒業旅行のタイと海外一人旅に行きは、新卒時は旅行会社に勤務しておりましたが、仕事で中国に行く機会もありました。その中で2004年春、いよいよ興味を持っていた「ポルトガル」に行きたくなりました。

ただ、当時は時期的に長期の休みは取れなかったので、ポルトガルの植民地だったマカオに行きます。マカオでポルトガル文化にも触れることができ、やはり、欧州への憧れが強くなります。ちなみにマカオはその後、2016年に妻と行く機会があり、その後料理を始めてからマカオの方と知り合いになり、札幌でお会いする機会があったので、マカオにも良い思い出があります。いずれは息子も連れて行きたいです。

そうして、マカオに行った同じ年の秋、休みをやりくりして、ついにポルトガルへの旅行に行きます。当時はサッカー欧州選手権が2004年夏に開催され、インフラが整った時期でした。この時はリスボンとポルトに行き、歩き回りました。

その後スペインやアルゼンチン、ブラジルにも行きました。ポルトガルは2004年、2009年(リスボン)、2013年(リスボン・アレンテージョ)に行きました。2013年に行った際はスペインに住む友人と合流し、友人の運転でアレンテージョを回りました。ワイナリーや城塞都市、市場や友人の友人の実家まで行きました(笑)その際、友人の友人のご両親がアゾレス諸島出身と伺いました。

その後妻と結婚し、妻が妊娠した際につわりがひどく、何とかしようとして作り始めたのがポルトガル料理でした。なぜか?それは基本的に「素材の味を活かす調理法」でスープストックやソースを作る必要が無く、スーパーで売っているもので料理が可能だったから。

それからは休みの日はポルトガル料理を作って、妻と息子が食べてくれます。これもかれこれ6年になりました。

そうした中で、2019年に妻の妹夫婦が住むアメリカに、妻と息子、そして妻の両親と行きます。最初のサンフランシスコの夜、私のリクエストでポルトガル料理レストランに行きます。妻が妊娠してから、外食に行く機会がかなり減り、かつ自分の住む地域にはポルトガル料理レストランが無く、料理を始めてからレストランでポルトガル料理を食べたのはこの時が初めてでした。

こうした中で、妻がポルトガルに興味を持つようになり、2020年からのコロナ禍でいろいろなことが偶然にも重なり、ポルトガルに行くことになるのです。

(最近、Twitter界隈で移住ビザで注目を浴びていますが、日本から遠いことを除けば、ポルトガルは本当に良いところ。)

リスボンのサン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台より

(この項、了)

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