見出し画像

語る人間は疎まれる? 環境問題をシェアすることの難しさ

突然だが、あなたの友人や知人が、それまでにはまったくそのような行動はとっていなかったにもかかわらず、誰かの著書や発言の引用をしながらあなたの興味のない話をし始めたり、いままで食べていたある種の食べ物を一切口にしなくなったり、生活スタイルを大幅に変え、「それらをしたことによって自分の人生は素晴らしいものになった」と語り出したら、あなたはどう思うだろうか。

「こいつヤバいものにハマったな」と思うのではないだろうか。

私が環境問題に関心を示し、プラスチック依存を断ち切るべく生活を見直し、それをSNSで発信した結果、実際に会った友人から得られたのは上記のような反応である。

順を追って話そう。まず、私が環境問題の深刻さを改めて認識するに至ったある出来事に遡る。

気候変動を実感せざるを得ない、ヨーロッパの異常気象

今年の夏、フランスやイギリス、ドイツなどのヨーロッパ諸国で最高気温の記録が塗り替えられた。7月某日のフランス・パリは42.6℃にまで気温が上昇し、エッフェル塔前の噴水で水浴びをする人々の様子が日本でも報道されていた。ちなみに、7月のパリの例年の最高気温は26℃程度である(ソース:NOAA)。

我が家はテレビの回線を繋いでいないためニュース番組を観ることができないが、ヨーロッパの熱波についてはツイッターを介してネットニュースを読むに至った。これまでにもさんざん、地球温暖化が進んでいます、環境が汚染されていますという報道や発信を目にしてきていたにもかかわらず、私はこのニュースに頭を撃たれたかのような衝撃を受け、激しい恐怖を感じ、また、この恐怖から逃れたいと強く思った。

ニュースを読んだあと、私がまず調べたのはむろん地球温暖化についてだ。思えば、地球温暖化について私たち平成生まれの人間は小学校の時点から教育されてきた。にもかかわらず、私の内にある何かはこの手の問題を母親の小言のように、耳にタコ状態で無意識的に聞くまい、理解しまいと避けていたのではないだろうか。改めて調べてみれば自分がこれまでどれほどこの件に関して無関心であったのかを、まざまざと実感させられた。

地球温暖化についてや環境問題については実にさまざまな説や意見、考えがあり、私のような学のない人間がここでわかりやすく説明することはとてもできない。頭の悪い私が次に調べたのは「個人にできること」だ。そしてたどり着いたのが、プラスチックオーシャンと日本の使い捨て文化の結びつきについてだった。

プラスチック依存が生み出す環境汚染

プラスチックオーシャンとは、要するに海洋ごみに侵された海のことである。ペットボトルやレジ袋、プラスチックカップなどのプラスチックごみを中心に、世界中でなんと年間およそ800万トンもの海洋ごみが発生しているという。

私たち日本人の共通認識として「海にポイ捨てをしてはいけない」という考えはあると思うが、何も海にポイ捨てしなくたってごみは海へ流れてしまう。使い捨てカップを捨てる場所が見つからず、街の一角にでも放置したとしよう。そのごみが風に乗って飛ばされたり、雨とともに側溝から流れたりすれば、いずれは川を渡ることになる。そして川から海へ流れたごみはあっという間に日本を出て、見知らぬ国の海岸へ漂着することとなるのだ。事実、海に面した192の国のうち、日本は30番目に海洋ごみを流出させている国なのだという。

そうでなくても、もともと石油から作られているプラスチック製品は化石燃料を大量に消費しているし、処理の際にも大量の二酸化炭素が排出され、結果として温暖化を進めることになる。詳しくは下記のような記事をご参照いただきたい。

私がこれらの問題について知り、改めて認識したのは自分の生活はプラスチックで溢れかえっているということだ。私はおこがましくもこれまで、自分はエコの精神を少なからず持っている人間だと自負していたが、そんなことはなかったのかもしれない。

毎日仕事の前にプラスチックカップのカフェラテを買ってプラスチックのストローを挿して飲み、昼食にはコンビニでビニル包装された食べ物を複数買い、使い捨てのフォークやスプーンをもらって食べていた。小腹が空けば小袋のお菓子を買って食べ、仕事に疲れていればビニル袋のレトルト食品を湯煎して食卓に並べ…という生活を送っていたのだ。食事だけ見直しても、いったいどれだけの使い捨てプラスチックを利用していたのか計り知れない。

食事だけではない。ファストファッションのブランドで購入したナイロンやポリエステル製の洋服、新色があればつい手に取って買い集めていたプラスチック容器のコスメ、イヤリングやヘアアクセサリー、スキンケアや洗剤の容器、何もかも…。自分の持ち物や家の中の物を見直せば、プラスチック製でないもののほうが少ないくらいだった。

私は愕然とした。環境問題は恐ろしいものとして認識してはいたものの、自分がその片棒を担いでいたとは思いもしなかったのだ。

ごみを極限まで減らすライフスタイル「ゼロウェイスト」

いままで環境破壊に加担していたとはいえ、「もう取り返しがつかないな。仕方あるまい」と開き直ることは、私にはできない。私は、いまからでも自分にできることを考え、探し始めた。そしてたどり着いたのが「ゼロウェイスト」というライフスタイルだったのである。

Zero Wasteは、すべての製品が再利用されるように、リソースライフサイクルの再設計を促進する廃棄物防止に重点を置いた一連の原則です。目標は、埋め立て地、焼却炉、海にゴミを出さないことです。現在、プラスチックの9%だけが実際にリサイクルされています。
出典:Wikipedia

つまりゼロウェイストとは、長く使えるものやくり返し使えるもの、資源として再利用できるものを使って生活をし、プラスチックに限らずごみを極力発生させないライフスタイルのこと。「ゼロウェイストホーム」という本の著者であるフランス人のベア・ジョンソン氏は、4人家族の家庭で発生するごみを、なんと1年あたり1リットルほどにまで抑えたというから驚きだ。彼女は個包装されているものを買わないし、生ごみも捨てない。鼻をかむティッシュすらガーゼハンカチに置き換えるというストイックさ!すっかりこれまでの生活に罪悪感を抱いていた私は、彼女にひどく憧れた。

とはいえ、いきなり彼女のようなパーフェクトな暮らしを目指そうとすれば、失敗したときにストレスを感じるし続けていくことが難しくなるだろう。私は、私よりもずっと早くサスティナブル(持続可能)な生活に意識を向けていた夫と話し合い、まずは脱プラスチック・ローウェイストな生活を目指すべく、生活を見直し始めた。すべては無理でも、少しの不便のために選び取っていた部分は排除できるはず。

飲み物はマイボトルで購入するようにし、使い捨てのストローやフォークを使わないよう、木製のカトラリーとステンレスストローを持ち歩くようになった。野菜は個包装されているスーパーは避け、容器や布袋を持って八百屋を利用するように。今あるものを使い切ってからと決め、コーヒーは袋詰めの粉末で淹れるのをやめて量り売りの豆を買って挽くようにしたり、プラスチックボトルのクレンジングはアルミ缶入りのバームに変えたり、ごはんや肉の保存はラップでなくスタッシャー(シリコン容器)を活用するようになった。

まだまだ見直すべきところは多くあるものの、少しの不便を負うだけで大幅にごみは減らせるのだということがわかり、私は感動した。そして自分の経験したそのすべてを、SNS上で発信していくことに決めた。私自身がゼロウェイストやプラスチックフリーについてSNSなどを通じて知ることができたからというのもあるが、情報を広く共有できる時代に、これを利用せずなにをすればいいというのだろう。

語る人間は疎まれるのか。マイノリティは受け入れられにくい

背景を語るのがだいぶ長くなったが、ここで表題に戻ろう。

私がそうした想いで発信をはじめたSNSを見た友人や知人のリアクションは、実にさまざまであった。もちろん「自分もこういうことは意識している」と共感してくれるものや、「知らなかった。自分も気を付けてみるよ」という肯定的なものもあったが、「なんかそういうことやってるみたいね」というさして興味のなさそうなものから、「急にどうしちゃったの?」という苦笑交じりなもの、「なんか宗教にでもハマりそうな勢いだね」という、冗談交じりにしても明らかにバカにされたものもあった。

私は私のまわりの人々の生活様式や行動を制限したり、強制したり、否定したくはない。にもかかわらず私自身と私の家庭の取り組みについてそうした発言をされるのは、その人の価値観と違うものは「あやしげなもの」として排除されがちだからなのではないだろうか。

先述のとおり、おこがましくもエコロジーな活動に肯定的な立場であると自負していた私も、環境問題の深刻さを真には認識できておらず、具体的な行動を起こすこともまたなかった。これまでさまざまな人が「地球は大変です。人間によって環境は壊されています」と声を大にしてきたにもかかわらず、その声を心に留めることをしてこなかったのだ。私もまた異なる価値観を排除し、“語る人々”を苦笑交じりに回避していた一人だったということだ。

政治問題に言及する人たちも、同じような憂き目に遭っているのではないだろうか。実際、7月の参議院選挙の投票を促す人々、自分が支持する政党について熱弁をふるう人々は、政治的なことに興味のない人々から否定的な態度、頑ななまでの無関心を貫かれているのを私も目にした。私には、このような反応には、そうした人たちの「めんどうごとに巻き込まれたくない」という想いがあるのだという気がしてならない。

異なる価値観や考えについて、一度飲みこんでみてほしい

そもそも、私がゼロウェイストではなく何かしらの宗教に感銘を受けたとして、それがどんなものなのかも知らずに「なんかあやしい思想を抱き始めている」として嘲笑されてしまうのは、悲しくて残念なことだと思う。私自身のキャラクターや人望のなさにも原因があるような気はしないでもないが、それはさておいて…。

私たちには、それがたとえ自分の理解に遠く及ばない考えだとしても、その人の考えていることや訴えたいことについて一度飲みこんでみる必要があると思う。その人の意見を聞き、考えを知ったうえで、自分には賛同できないことだと判断したのなら、それはそれでまったく問題ない。知らずに否定することは、新たなことを知る機会を失うとても残念なことではないだろうか。私は、自分自身がこれまでそうであったから、なおのことそう思うのだ。

とはいえ人はそれぞれに個人的な問題や悩みを抱えているものだし、話題にするにはあまりに重い環境問題についてシェアするのはそう簡単なことではないだろう。だからこそ私は個人的な発信の場であるSNSを今後も活用していきたいと思っているし、発信するならばネガティブなものよりもポジティブなものに注力したいと思っている。タピオカの写真を撮りシェアすることがおしゃれのブームとなり得たように、ゼロウェイストがブームとなる日を夢見ているからだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?