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不便さの中にしか存在しない美しさと暮らす

先輩移住者として、伊東市が主催する「伊東暮らし移住相談ツアー」へ同行した。先輩と名乗れるほど長く住んでいるわけではないけれど、まだ新鮮さが残っている視点での良さなら伝えられるかもしれない。移住にはたくさんの不安が付き纏う。仕事も人間関係も生活のルーティーンも変わり、人生そのものが変わると言っても過言ではない。現状を変えるためには、移住は手っ取り早いだろう。だから変わることを前提にして、それ自体を楽しめる体勢になっていれば大体の不安はなくなる。理想の生活みたいなものを掲げて、何か物凄い期待をしている方がこんなはずじゃなかったと思うことになるだろう。


移住希望者と共に訪れたのは、伊豆高原にある「橘陶房」というカフェ&ギャラリー。オーナーさんはステージ4のガンになってしまったため、最後にやりたいことをやるためにこの場所へ移住し治療もやめたにも関わらず、ガンは治ってしまったらしい。そんな映画みたいな話が本当にあるんだと驚くと同時に、どこか納得してしまう自分もいた。豊かな自然に囲まれた健康的な生活と、本当にやりたかったことをやる充実した日常が身体を治療したのだろう。これらは簡単そうに見えて実はとても難しく、多くの人がやりたくてもできないことのように思える。

ビーフシチューランチがデザート&飲み物付きでまさかの1500円。
おみやげ。


私たちは本当にやりたいことがあっても、無意識のうちにたくさんのストッパーをかけて見えづらくしてしまい、それが何だったのかすら思い出せなくなっていることがある。仕事や家族という存在、慣れた環境から変化させることの面倒臭さ、誰かに認められたい気持ち、頑張らなくてはいけないという思い込み。ストッパーは人それぞれにあるだろう。社会的動物である人間は他者と関わり合わなければ生きていけないため、その関わりを保つために様々なストッパーをかけて、自分自身の方を調律させていく。そうなってしまうのは人間である以上、現代社会のシステム上、仕方がないことなのだろう。私にも自分では外せないストッパーがたくさんあって、海の見える暮らしをしながら作品を作り続けるこの生活は、老後の夢としてずっと後回しにされていた。でもそのストッパーは、病気などで人生の終わりが見えた瞬間に外れることがあって、私もオーナーさんもそのおかげで本当にやりたかったことを思い出せた。その後、病気が治ってしまうことは医学的に何の証明もできないけれど、ありのままの自分でいることはどんな薬よりも効くと感じている。私は年中不健康で希死念慮に襲われていたのに、今はその面影すらなく、薬も減らしているのに躁鬱の波は穏やかになってきている。


移住者が皆んな口を揃えて言うのは、何年経っても飽きないってことと、毎日が充実しているってことだった。いつしかこの美しい景色に慣れてしまうのではないかと移住したばかりの頃は思っていたのだけど、慣れたくないと思う自分がいれば自ら新しさを探しにいき、慣れない工夫をするようになるのだと知った。そうしているとたくさんのやりたいことが生まれていき、自然と毎日が充実していくのだ。田舎は不便だから、何事にも時間がかかり忙しくなるのもある。実際に不便さは悪いとされることが多いけれど、私はここへ来てからそうは思わなくなった。不便さの中にしか存在しない美しさがあって、それを愛でる時間は、便利さで余ってしまった時間よりも充実していると感じるからだ。駅近の家があるのにわざわざ山奥に住んでみたり、スーパーで買えるのにわざわざ畑で野菜を作ってみたり、AIでハイクオリティな絵が描けるのにわざわざ紙に鉛筆で手描きしてみたり。不便さをわざわざ自分で選ぶことは慣れからの回避と、心の充実さに繋がっていると、ここでの日常から感じている。

伊東にはたくさんのクリエイターがいる。オーナーさんは陶芸家でもあり、同じく先輩移住者の山本さんはミツバチや、自然農法で野菜を育てたりしている。伊豆高原はどこもかしこも個人店ばかりで、何かしらを作って売っている家が多い。でも東京のように切磋琢磨してせめぎ合うわけでもなく、それぞれが独立しマイペースにやっている様子だ。だから逆に団結力はあまりなく、皆んなで一緒に何かをやるのは難しそうではある。でも心が充実していると競争する必要もなく、無理に加えたいと考えることもなく、ただただ今流れていく時間を大切にしていきたいと思うようになるため、それぞれが独立していられるほどいい時間を過ごせるような場所なのだと思う。そんな場所だからクリエイターたちが引き寄せられてくるのか、そんな場所だから皆んながクリエイターになってしまうのかは分からないけれど、橘陶房のオーナーさんも言っていたように、この場所には不思議なパワーがあると感じる。自分が自分に還ってしまうような、不思議なパワーだ。

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