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和らぐ暑さの中で日常を愛でる

蝉の鳴き声が聞こえなくなった。鳴いているとそれだけで暑さを感じてしまうけれど、聞こえなくなると夏の終わりを告げるようでどこか寂しい。地表に上がった蝉の寿命が短いのは、鳴き声が大きいためすぐにオスとメスが巡り合うことができ、短期間で繁殖が可能なのと、成虫になると細胞があまり分裂せずどんどん老化してしまうかららしい。子孫を残したらはい終わり!というのは潔い。命を燃やしながら子孫繁栄に勤しむ蝉たちを聞きながら、生きている意味が分からないなどと悩んでしまう人間は進化の仕方を間違えたようにしか思えない。


暑さも少し和らいできたから、買い物に行きがてらサイクリングへ。海岸沿いに出たら、いつもと真逆の方向へ自転車を走らせた。新井のMVを撮影していた時に見つけた小さな堤防。海底がよく見えて、エメラルド色に輝いている。ちょうどダイバーたちが集まっていて、そのエメラルド色の中へと潜っていった。初めての伊東の夏は一度イルカと泳いだだけで、海水浴はしないままだった。私は見ているだけで充分らしい。堤防の上で寝そべり、波の音を聞きながら水平線を眺めた。吸い込まれそうなほどの青さに心が洗われていく。前に進むことだけを考えて、忙しさに巻かれていく充実さもいいけれど、近所でただ海を眺めるという充実さが今は心地いい。幸せの価値観はその時々で変わる。大事なのは今の自分にとって何が必要なのか見つけてあげることと、見つけた時に無視しないことだと思っている。


今度は商店街へと向かい、自転車をゆっくりと走らせながら風景画に描く景色を探した。以前から気になっていた珈琲焙煎屋さんが開いていたから入ってみることに。店内の雰囲気が自分好みでドツボにハマる。年期の入った古道具が使われながらも、温もりと上品さが漂い、統一感のあるデザイン性にセンスを感じる。自分が生まれた年と同じ、1992年創業の老舗だった。多くの店のシャッターが閉まる中、珈琲焙煎屋として30年以上も続いているのは本当にすごいことだ。普段は深煎りを飲んでいるからたまには浅煎りにしてみようと思い、店主にオススメされた酸味の少ない豆にしてみた。淹れ方も丁寧に教えてくれて、また通いたいお店を見つけられたことに嬉しくなる。

わざわざ扉を開けて写真を撮りやすくしてくれた。
商店街の猫にもご挨拶。


風景画に描きたい絵を探していると、こうしたたまたまの出会いが起きるから楽しい。ただ描くのが目的だと、その絵は紙の域を出ない。描きたいと感じるまでに生まれるストーリーが、実際に描いた時に絵を育てていき、紙の奥にある目に見えない何かを宿すような感じがしている。だから私は絵を描いているというより、起きた日常を愛でているのだろう。

防災訓練で漁港へ行った際に、たまたま出会った釣りをしていたおじちゃんに絵のモデルを頼み、描いたら見せに来ると約束したことがあった。連絡先を聞かなかったため確実に再会できる保証はなかったけれど、SNSですぐに繋がれるようになった時代だからこそ、たまたま会える関係性のままにしておきたい出会いがある。絵を描き上げて、出会った日と同じ時間帯に漁港へ探しに行ったらまた会えた。嬉しくて思わず駆け寄る。私的にはもう絵のことはほぼどうでもよくて、偶然出会い、再会して、海と山に挟まれた伊東の街を眺めながらたわいもない話ができたことが何より嬉しい。このかけがえのない時間のために、きっと私はペンを握っている。

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