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あるべき場所へと還りゆく心

東京へ来る度に、美術館へ行きたいと思うようになった。歴史的な作品や、第一線で活躍する芸術家たちの作品が集まっている場所としては、やっぱり東京が一番だと思う。伊東という自分的にベストな制作環境と、東京というたくさんのアートに触れられる環境が、電車で約2時間ほどの距離感であるのはとてもほどよいと感じている。

いつしか美術館は私にとって、心を整える場所になった。サウナで整えるような感じだろうか(サウナは行かないから分かんないけど)。美術館へ行くと、ぐしゃぐしゃと乱雑していた気持ちがあるべき場所へスッと戻っていき、見終える頃には、私はこうしたかったのだという気づきすらも与えてもらえる。他者の感性の広さや柔軟さは、自分の窮屈で小さな脳みそを解放するきっかけにもなる。だから美術館へ足を踏み入れる際には、どんな気づきを得られるのかとワクワクしたり、価値観をどう打ち砕かれるのかとドキドキしたりする。


芸術人類学者の中島智氏がピックアップしていた、画家の山口晃氏のインタビューを読んでとても心に響くものがあり、ちょうどアーティゾン美術館にて展示会が開かれていたため、これは見ておかなければならない気がすると衝動的に見に行った。坂口恭平氏の展示会を見るために、熊本まで飛んで行った時もそんな感じだった。

「ジャム・セッション 石橋財団コレクション×山口晃 ここへきて やむに止まれぬ サンサシオン」展というタイトルにもある「サンサシオン」とは、感情にいたる前の感覚らしい。どの感情にも微妙なグラデーションが存在し、美しいと言葉にする前に際限なく感じ取っているものが確かにある。でも私たちは感情を自分が理解するため、人に伝えるために無意識にカテゴライズし、当てはめようとしてしまっている。展示会では、そのサンサシオンを彷彿とさせる作品がいくつもあり、感情に至らぬよう一歩手前で踏み止まらせ、その場所から何かを見せられているような感じがした。特に「来迎圖」はその眩さに感動し、現世でこの神々しさを表現してしまう山口晃氏の頭の中がより一層気になった。


サントリー美術館では、「激動の時代 幕末明治の絵師たち」を見た。最近では日本画に興味があり、兼ねてより本物をしっかりと見ておきたいと思っていたため、こちらはぴったりの展示会だった。江戸から明治へと移り変わる時代背景と共に、変わりゆく絵師たちの表現。力強い描写からは波瀾万丈の時代を生き抜く命の鼓動が感じられ、怪奇的な描写からは戦乱の狂気と血生臭がありながらも、鮮やかな色彩がそれらを華麗に演出していた。

中でも歌川国貞の「相馬の古内裏」は、惹きつけられるものがあった。覆い被さるように描かれた巨大なガシャドクロが不気味さを際立たせ、登場人物の滝夜叉姫や大宅太郎光国の動きからは様々なストーリー背景を想像し、一気に物語の中へと引き込まれていく。文明開花に伴いガラリと変わる描写や色彩は、まさに時代が切り開かれていく様が伺えて、激動の転換期をこの目で感じることができた。


特にお目当ての展示はなかったものの、国立新美術館を見たくて行ってみた。全面緑色に見えるガラス張りの外壁は波打つような曲線を描いていて、その曲線美は超近代的な佇まいにも関わらず、「森の中の美術館」というコンセプト通り自然との調和を生み出していた。内観は高く吹き抜けていて、円錐状の空間が空中庭園のように浮かび、直線と曲線を美しく両立させている。まさに建物全体がアート。

そこでふらりと入ってみた企画展「大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ」。無料だったためあまり期待せずに入ったのだけど、初っ端から作品の存在感に圧倒された。大きな白い壺の中で揺らめく明かりが光と闇を不規則に交差させ、わずかに恐怖心を煽る。自分や現世もまたこの光のように、ほんの短い間に瞬く命なのだと思い出させられた。広大な暗闇の空間で永遠と波打つ白い布を見た時は、生まれた場所へ還るような、世界の真髄へと吸い込まれていくような感じがした。大巻伸嗣氏が掲げている「存在するとはいかなることか」というテーマ通り、こことは違う場所へ自然と誘われていく空間作りはとても心地よく、どこか伊東の街で過ごしている自分に近しいものもあった。


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