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呪いが成立する時代

呪術廻戦、人気だったんですね。


 鬼滅の刃も、アニメで放送していたときには初めは「古めの感じ」と思ってうっちゃってましたが、録画したのを見たら面白くて、イッキ見しました。

 呪術回戦は、友人が数名はまっていたので、録画を見たら、やっぱり面白くてイッキ見しました。(うちのレコーダーは基本新作アニメは全部録画している)

 両面宿儺は、これで初めて知ったが、説明を見て、日本の民俗学を思い出しました。両面宿儺の身体は、腕4本、足4本、顔が2つとある。千手観音みたいなものですが、アニメでも両手の指20本が、各地に点在しており、これを全て虎杖が飲み込めば、復活する?ようなストーリー展開になっています。

 日本の民俗学では、高い能力は、異形にものに宿るとされていて、逆に言えば、身体の欠損や死に至る病などを得ている者が、高い能力を与えられているという理が昔からあるようです。

 すなわち、あえて欠損を持つことで、高い異次元の力を有するともいえます。アニメで言えば、呪力を継承しなかった真希が、肉体的には、非人間的な力を持つことや、メカ丸の実体、与幸吉が大きな呪力を持つことなどがそれに当たります。天与呪縛という名前で表現されていますが、これは、日本における「病者の表現」の理に通じます。

 鬼滅の刃でも同じような表現が使われていますが、こうした欠損と能力を抱き合わせにしている考えは、日本では古来からあります。これは言い換えれば、高い能力とは、普通ではない(異常である、畏怖もしくは忌むべきものである)という考えでもあるでしょう。

 もっとも、呪いとかいう概念は、現在と過去では考え方が違います。おそらく昔の方が呪いに対して、畏怖の念はあれど、毛嫌いしたり憎んだりする感覚は、現在より薄かったと思います。それは現代人が、整備された現代社会の上で生きているため、逆に言えば、この社会を維持するためのルールに呪縛された状態で生きているためであり、過去の人たちにはこのようなルールはなかったのです。もっと曖昧で、もっと自然に近いルールに縛られていたはずで、この頃には呪いというのも、生活の一部であったように思います。という事は、清濁併せのみ、利用しなければ生きていけない時代だったともいえます。

 毒が薬になる時代、とでもいいましょうか。

 両面宿儺が異形の形をしているのもその現れでしょう。

 阿修羅というのも、手がいくつもあって、顔が3つある像がありますが、この三つの顔が何を表しているかは色々説があります。有力な説の1つは、1人の人間の生まれてから死ぬまでの顔を象徴しているというもので、メインの真ん中の顔が、青年から壮年の間の顔らしいです。成長に合わせて、3つの顔の表情も変わっているようです。

 両面宿儺の両面が、何と何と表ししているかは興味深いところですが、それが虎杖と両面宿儺と考えるのも面白いかもしれません。

 平安時代はなぜ呪いの時代なのか。

 呪術回戦をみると、現代日本を平安時代の呪術全盛時代に戻したいという話が出てきます(渋谷事変)話全体がそういう話なんだろうと思いますが、ここでは、呪力を持った者だけが存在する時代になれば、その力はコントロールされ、やがて呪霊は消滅する、という事をめざしているようです。

 これは、呪術師は、呪力をコントロールできる。しかし非呪術師は、自分の呪力をコントロールできない。すると呪力がだだ漏れて、結果として呪霊(呪いが具現化したバケモノ)が出来てしまう、という理(この物語の中の理)からくるもののようです。

 従って、物語は、敵キャラによる、一般人皆殺し計劃になっております。

 物語の中でも、平安時代は、現在よりも呪術師が多く、しかし呪霊もたくさんいた事になっているようです。同時に一般人もたくさんいたわけで、呪術全盛の時代という事らしいのですが、この説が正しいなら、少しおかしいことになります。

 現在も一般人はたくさんいます。当然呪力はダダ漏れのはずです。そして呪霊が生まれます。でも彼らは、現代が呪術全盛時代とは思っていません。どうしてでしょうか。

 呪術回戦の原作にそういう考えがあるかどうかわかりません。そもそも、単に、呪術師大戦ファンタジーが描きたかっただけだったのかもしれませんが、民俗学的もしくは、哲学的意味で言えば、現代が呪術全盛時代ではないのは、多くの人が呪術を信じていないからです。(簡単なことですな)

 でも、実は現代も平安時代も、人がいて、生活があるという状況は変わりません。人間の生物学的構造が変わったわけでもありません。

陰陽師のお仕事に見る、呪いの構造

 実は平安時代にいた陰陽師という役職(人を呪ったり、病気平癒の祈祷をしたり、もっと大きな政治的な方向性を決める助けをしたり、安倍晴明とかがそうです)が何をしていたかという説明を学者の方がしているのを聞いたことがあるのですが、結構目から鱗でした。

 「陰陽師は、貴族に、○○に恨みがあるので呪ってくれ、と依頼されると、しばらく待って、○○の家に、何かしら不幸があったら、尋ねていって「あなたは呪われています」と伝えるのが仕事」

 アホみたいですが、当時はこれで呪いが成立します。

 これには条件があります。

 それは当時の人が、人に呪われると、不幸が立て続けに起こって、命を削られると思い込んでいると言うことです。

 誰にも不幸は起きます。小さいのから大きいのまで日々起きています。その不幸が、全て人の呪いから来ると思うと、すごいストレスになります。ストレスが重くなると、それで人は死にます。今のように医学も心理学も発達していないのですから、呪われたら死ぬと思っている時代です。

 今でも人はストレスで死にますし、当然当時も死にます。実は人の構造は何も変わっていないのです。


 丑の刻参り、というのがあります。これにはルールがあって、丑の刻(夜中の2時頃)に、五徳(鉄の輪かな)を頭に乗せ、火のついた蝋燭を三本差し、白装束で、神社の森とかに行って、恨んでいる人間の名前を書いた紙を巻き付けたわら人形を、五寸釘で木に打ち付けます。これを何晩も繰り返します。

 ところで、夜、電灯もない夜中に、提灯も持たない、白装束の、蝋燭を頭につけた人間が、形相も穏やかならぬ様子で森の方に歩いているのを見たら、そりゃあ怖いでしょう。今だって怖いです。こんな人。

 もし、出会ってしまったら、それはそれは噂になります。

 また、丑の刻参りの痕跡が神社の森に残っていたりして、そのわら人形の腹に名前が書いてあったら、思いっきり噂になるでしょう。そして事実は呪われた人の耳に入ります。呪われた人は、さぞやぞっとしたでしょう。

 当時は現代より、ずっとずっとコミュニティーが狭いのです。ちょっとしたことも噂になります。平安時代の貴族の屋敷の生活を解説していたところを読むと、例えば、天皇の中宮に使えた紫式部などは、大きな広間に、御簾で区切っただけのプライベート空間に生活していることがわかります。彼女は中宮の屋敷に住み込みで入っていたのでしょうが、実は当時、現代のようなプライバシーの概念はなく、何人も女性達が、このような御簾だけで仕切られたプライベート空間で生活していたようです。当時は現代より男女関係がおおらかで、男性は狙った女性の所に忍んで行きます。この御簾だけという、何でも聞こえてしまう状況で、隣の御簾の女性の所に男性が来れば、誰が来たかすぐわかってしまうのです。何を話して、何をしたかも。

 という事で誰と誰がつきあってた、なんて噂はすぐ流れる時代です。

 世間が狭い、噂が飛び交う、秘密が作りにくい。

 皆が情報を共有してしまうような時代に、恨みの儀式は克明にやり方が決まっています。それは、皆が何をすれば人を恨むことが出来るか知っていたという事です。その痕跡がちょっとでもあれば、誰もが何が起こったか理解してしまい、噂になり、必ず相手には伝わります。

 呪術が信じられていた時代に、このような噂が当人に知られますと、もう恨まれた人はものすごくストレスになって、病気になって、結構死にます。

 これが呪術の正体です。

 現代丑の刻参りをしても、恨んでいる相手になかなか伝わりません。同じSNSのコミュニティー内に互いが存在していなければ、ネットで騒いでも伝わりません。だから本人に脅迫メールを送るとかという話になります。非常に直接的に「殺すぞ」と言わないと、恨んでいることが伝わらないのです。

 でも、「恨んでます。」といわれても、それは個人の見解であって、気にしない人は気にしません。ストレスで死ぬほど気にしません。相手が気にしてくれる人だと呪詛が効くのですが、だいたいに恨まれるような人は、気にしない人が多いので、呪詛が効かないのです。

 平安時代は、みんなが呪術を死んでてくれていたので、恨まれていることを伝えるだけで、呪詛が効きました。でも、現代では、皆が呪詛を信じてくれないから効かないし、そもそも相手に恨んでいることを伝えることが難しい。直接言えば伝わりますが、今度は脅迫罪で捕まります。

 これで結構、捕まらずに呪詛が成立する環境が現代ではないのです。

 現代が呪術全盛時代にならないのは、人が呪術を信じていないからで、人間の構造自体は平安時代と何も変わっていないので、もし本当に呪力というものが存在するなら、呪術回戦のような事になるはずなのですが、ならないのは、たぶん、呪力というもの事態が、存在しないからでしょう。

 ま、両面宿儺がいなくても、現代社会には怖いことはたくさんありますけどね。

 


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