藤本 遼|株式会社ここにある代表取締役|場を編む人

1990年兵庫県尼崎市生まれ。株式会社ここにある代表取締役。すべての人がわたしであるこ…

藤本 遼|株式会社ここにある代表取締役|場を編む人

1990年兵庫県尼崎市生まれ。株式会社ここにある代表取締役。すべての人がわたしであることを楽しみ、まっとうしながら生きられる社会を目指す。主に尼崎と淡路島でプロジェクトを展開中。代表的なものは「ミーツ・ザ・福祉」「カリー寺」「生き博」など。『場づくりという冒険』著。

最近の記事

よー、そこの若いの

干支が一周した。あの日ぼくは、トムブラウンのスーツとディオールのドレスシューズを身につけ、成人式の会場にいた(イキってたなあ)。 若い人の目に届くかはわからないけれど、大人や先輩から言われて無視すべきだ(だった)と思ういくつかの発言や現象に触れておきたい。 ・「まだ(君には若すぎて)わからないと思うけど、、、」 相手を確実に見くびった物言いの仕方に、ぼくはいつも反発していた。確かに経験がないとリアリティを持ってわからないこともある(と今となっては思う)。けれど、大人になる

    • 遊びを忘れたぼくに生み出せるものは、なにもなかった。

      ぼくが残念だなあ、と思うことでもっとも深くにあるものが「一緒に遊びたいのに、遊べない」という状態です。仕事のパートナーやクライアントさんと遊びたいけれど、難しい。友達ともうまく遊べないことがある。そんな「遊び」に関する難しさを、社会生活の中でいろいろと感じます。 今回は、年末なので抽象レベルでぼくが考えていること、それを現実にどう落とし込んでいくのかについて目論んでいることなどを書きたいなと思います。最近、エモい記事見てないな!という声がチラホラありますので、多少のエモを込

      • 便意の果てに到達した「サーキュラーエコノミー(ソサエティ)」の真理について

        もうぼくはダメかもしれない 特急電車 腹痛 京都への移動中 みなさんもご存じの通り、腹痛である間、別のことは一切考えられない そう、腹痛は人の思考を解体し、殺すのだ もし、人に連続的かつ継続的な腹痛を恣意的な形で味わわせることができるのなら、組織や国家でさえ動かせるかもしれない だが、腹痛は修行僧のように意識を無に帰していく鍛錬としては良い なにも考えずなにも感じない そうして途方に長い15分間を過ごす 猛烈な腹痛の際の15分と普段の15分では圧倒的に体感

        • 寝起きでふと書きたくなった文章

          めちゃくちゃ筋肉痛だ。あばらが折れているのかもしれない。それくらいに筋肉痛だ。 先月から畑(「武庫之のうえん」という)をしている。いや、畑はそもそも「する」という表現で合っているのだろうか。わからない。昨日、堆肥を入れ、土を掘り返し、畝をつくった。土をもう少し整えてから、野菜などを育てていきたい。新潟でウコンを育てている友達がウコンを送ってくれるそうだ。 最近、雨が多い。今朝も起きると雨が降っていた。午前中から予定がある。少し出かけるのが億劫だな。そんなことを思っていた。

          つぶれてしまったじいちゃんの楽器屋。「資本主義」と「場づくり」をつなげて考えてみる。

          「だいたいね、場づくりなんてやってる奴はクズで寂しがりでクソなんですよ」とtwitterで書いたところ、やたらと反応をいただいたので、最近クズなりにいろいろと考えていることなどを書いてみようと思う。 どうして、自分は「場」をつくるのか。 どうして、分かたれた関係性を編み直そうとしているのか。 なぜ、そうしたことが社会的にも要請されているのか。 なんか、そのあたりのこと。 --- ぼくは幼少期、ピアノを弾いていた。母親が音楽の学校を出ていたこともあって、ピアノ講師をして

          つぶれてしまったじいちゃんの楽器屋。「資本主義」と「場づくり」をつなげて考えてみる。

          終電を逃して京都から大阪まで歩いた話。ウォーカーズハイとアンサングヒーローとお金。

          ありがたさってなかなか気づけないですよね、という話なんですけど。 これはぼくが大学生の頃の話です。当時、一応就職活動というものをやっていまして。その日は京都(河原町)で会社説明会かなにかがあったんです。で、終わったあとに友人らと飲んでいて、気づいたら終電を逃しているという。まあ、たまにあるやつです。 当然、ホテルやマンガ喫茶はあるわけですけど。でも、なんか全然面白くないよなと。 「歩いて帰ってみるか」 なぜか、そう思ったんです。住んでいる尼崎までは難しいかもしれないけ

          終電を逃して京都から大阪まで歩いた話。ウォーカーズハイとアンサングヒーローとお金。

          生きるということを考える。差別と排除と分断と炎上とマウンティングについて。

          年末にめんどくさすぎる。当然のように紅白と笑ってはいけないを交互で見るべきだと思う。このタイトルのブログは読むべきでもないし、書くべきでもない。でも書きたくなったので書く。 「意外と自分って繊細だったんだな」という気づきは、自分の中でも大きかったなと思う(今年の発見!)。 基本的に細かいことは気にならないと思っていたし、いろんなことを適当にしている部分も多いのだけど、その実そうじゃないところもあるんだということに気がついたことは、自分の中でも大きなインパクトだったように感

          生きるということを考える。差別と排除と分断と炎上とマウンティングについて。

          某牛丼チェーン店で感じた強烈な違和感。「お客さん」であることのさみしさについて。

          23時過ぎ。仕事と打ち合わせを終えて、家に帰る。いや、少し腹が減ったな。最寄り駅の近くで牛丼でも食べて帰るか。 僕が暮らすエリアは繁華街ではない。夜になるとほとんどの店が閉まっていてかなり暗く、人もほとんど歩いていない。唯一、ショッピングモールの一階にあるその牛丼チェーン店とラーメン屋だけが開いている。 「え、この時間でこんなにいるんか」 あと1時間で日が変わるのにも関わらず、店内はかなり賑わっていた。テイクアウトを待つ客が3組、テーブルに座る団体客が2組、カウンターに

          某牛丼チェーン店で感じた強烈な違和感。「お客さん」であることのさみしさについて。

          知らないということは、これから知ることができるという幸福のための、余白。

          高校の頃に、友達がいた。 彼(仮に「福田」としておく)とは、ほとんど毎日遊ぶような仲だった。意味もなく自転車で山を越えようとしたり、深夜に公園で屯ろ(たむろ)したり、仲良く一緒のベッドで寝たり。高二の頃の修学旅行では、担任と学年主任をめちゃくちゃに怒らせて、二人でニュージーランドのホテルの廊下に2時間立たされたこともあった。 この一件は、高校生の自分たちにも反論すべきところがある。福田のパスポートの証明写真がただただニヤニヤしているというくだらない理由でヘラヘラ笑っていた

          知らないということは、これから知ることができるという幸福のための、余白。

          未来は変えることができるし、過去も変えることができる。

          そうか。あれからもう5年経つのか。 友人の投稿を見て思い出した。尼崎・塚口の商業ビル「塚口さんさんタウン3番館」の一角に「amare(あまり)」というスペースをオープンさせたのが、2015年8月1日だった。 ぼくは、その2ヶ月後に当時勤めていたNPOを退職し、個人で仕事をスタートさせた。25歳だった。スキルや経験なんてほとんどなかったけど、それでも力を貸してくれる人がいたり、仕事をお願いしてくださる人がいたりした。 この時期は、自分にとって大きなターニングポイントだった

          未来は変えることができるし、過去も変えることができる。

          つながること、問うこと、生きること。

          場づくりについて学ぶオンラインスクール(『場づくりという冒険オンラインスクール』)を開催している。受講してくださっているみなさんとの対話が楽しい。その中で話したこと、考えたことなどをまとめておきたい。 ◯他者とどうつながればいいのか。 よく、ビジョンが大事だと言われる。そうだろうと思う。バラバラな個人をひとつにまとめるための北極星を描くこと。それは、クリエイティブな作業だと思う。けれども、それだけでは圧倒的に足りない。どうもぼくにはそう思われる。なぜなら、ぼくにとってビジョ

          つながること、問うこと、生きること。

          【イベントレポート】場づくりは”バグ”を生む問いから。オンライン化のなかみえてきたこと。

          こんにちは。ひよっこライターのおじまです。 今回は4/30(木)に行われたNPOグリーンズ主催「第2回 green drinks STAY HOME!!!『いかしあう場づくり』」のイベントのご様子を皆さまにお届けします。「バグ」というキーワードをテーマに盛り上がりを見せた本イベント。オンラインでの開催でしたが、オフラインのように「偶然の出会いをつくれる場に」と様々な仕掛けのあるイベントでした。 -- green drinksとは 「green drinks」は、ロンドン発

          【イベントレポート】場づくりは”バグ”を生む問いから。オンライン化のなかみえてきたこと。

          「場づくり」を自分の人生にしてきたぼくがこの1ヶ月で考えていること。「場づくり」という概念の深化と、地域における仕事を取り巻くいくつかの論点について。

          ここ数ヶ月、さまざまな場に参加した。主催もした。思考を繰り返した。今後、ぼくたちはどうしたらいいのか、どうしていきたいのか、みなさんと一緒に問いを抱きながら話がしたい。 少し羅列的にはなるかもしれないが、思考していたことを記載しておく。これまでやってきたことのまとめ、今後のチャレンジ。そして、いま抱いている問いや悩み。みなさんの活動や取り組みの参考になる部分もあるかもしれない。シェアなどは、もちろんご自由にどうぞ(全文無料でお読みいただけますが、投げ銭制にしています)。

          有料
          500

          「場づくり」を自分の人生にしてきたぼくがこの1ヶ月で考…

          週末の予定と、オンラインイベントの「民主性」。

          オンラインイベントが広がる中で「ああ、なんだか主催者・運営者・参加者の垣根がどんどんと滲んでいっているなあ」というような感覚にとらわれます。 もちろん、主催・運営側でオペレーション体制を敷くことは大切なのですが(司会・サブ司会・テクニカルサポート・チャット・グラフィックレコーディングなど)、基本的に画面上ではフラットな環境でイベントが進んでいきます(話し手に焦点を当てることもできるけれど、ZOOMの画面だと基本的にはみんな同じサイズ)。 参加したイベントで、運営者目線にな

          週末の予定と、オンラインイベントの「民主性」。

          自分の人生を生きる、とは。 リクルートで営業トップだった渡邉知さんが 「場づくり」の会社を40歳を目前に起業したワケ。

          みなさん、こんにちは。ライターのさくらこです。沖縄の私立大学に通う4年次で、最近は外出自粛期間中の運動不足解消のためにハンドクラップにハマってます。今回、イベントレポートを書かせていただきましたので、ぜひご覧ください。 今回イベントは『場づくりという冒険(グリーンズ出版)』の出版に際して、著者である藤本さんが全国各地で「場づくり」に取り組んでいる方々のお話しを伺うという「座談会」企画となっています。今回のゲストは、株式会社ファイヤープレイスの渡邉知(わたなべさとる)さん。座

          自分の人生を生きる、とは。 リクルートで営業トップだった渡邉知さんが 「場づくり」の会社を40歳を目前に起業したワケ。

          障がいがあってもなくてもみんながオンラインの場を楽しむための工夫に関するマニュアル

          みなさん、こんばんは。「株式会社ここにある」という場づくりやコミュニティデザインに関する事業を行う小さな会社を経営している藤本遼と申します。 当方が関わっている仕事・活動の中で「ミーツ・ザ・福祉」という障がいがあってもなくても楽しめるフェスの企画運営があります。今年も秋の開催を予定している(毎年11月に開催している)のですが、この状況なのでどうなるかわかりません。ですので、現在はオンラインでのいろいろな可能性を探っている最中です。なにか新しいこともできそうだなあと思う一方で

          障がいがあってもなくてもみんながオンラインの場を楽しむための工夫に関するマニュアル