ナイフとフォークと、ペンとケシゴム

 高層ビル最上階のレストラン、都会の夜景を一望できる窓際のテーブル、気品を形にしたような佇まいのウエイター、鮮やかな料理の数々、それらを纏めるようなヴィンテージ物の白ワインで乾杯。こんなシチュエーションはドラマや映画で散々見てきたことにより、勝手に想像も膨らまされた。

 ただ、どれだけ想像しても、私がその高級なシーンに居ることはない。どうしてもだ。中小企業、下町根性が染みついた、いや、"それそのもの"みたいな私は、そんな風景に馴染まないし、マナーも知らない。そんな高尚な人種の方々は、どこでマナーを学んできたのだろう。義務教育課程にあったのだろうか。だとすれば、私は義務教育を受けていないことになる。

 私が義務教育で学んできたこととすれば、"モテ方"だけである。しかし、残念ながら、教科書通りのモテ技術を熟読しただけであって、私自身が"モテる"なんてことは、高級ディナーと違って想像もできない。ただ、小学生でもできる簡単なモテテクとしては、「隣の子が落とした文房具を拾う」という技である。いや、"下町界の紳士級マナー"だ。

 ただ、ディナーなんかでは、「ナイフとフォークは自分で拾ってはいけない」と言うじゃないか。解せぬ、解せぬ。理由が分からぬ。あの頃の私の努力は何だっていうのか。

 小学高学年くらいだっただろうか、席替えを挟んでも2、3カ月ずっと、当時好きだった子と席が隣もしくは前後だったのだ。"これはチャンス"と睨んだ若干10歳の私はここぞとばかりにペンやケシゴムを拾いまくった。後ろの席で落しても、音で反応し、すぐさま拾った。あのときのアンテナは最強だったと今でも思う。

 しかし、落とす回数があまりにも多い。けれど、バカな私は"チャンス到来"と、1授業3、4回はモテテクを披露していた。モテテク披露後、「好きな子」と「友達」とでなにやらクスクスしているではないか。そして遂に、勘の鋭い先生はその子らを一喝した。そこで私は、一連の流れはその子らのイタズラともイジワルとも取れる行動だったということに気づいた。それで完全に拗ねた私は、一切何も拾わなくなってしまった。

 だから、ディナーで「ナイフとフォークを拾ってはいけない」とマナーブックに書き記した人物にも、こんな背景があったと想像すると、マナー制定の理由も腑に落ちる。これまでの理論でいくと、この場合の"腑"も、恐らくは拾わないのがマナーだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?