本当の自分

最近よく「好き」という気持ちについて考える。

私は女の体で生まれて、異性を好きになる人生を歩んできたけれど、それは本当に自分の考えでそうしてきたのだろうか。
異性を好きになるものだ、という固定概念に囚われていたのではないだろうか。
そういうことを考えているうちに、夜がどんどん更けていってそのしわ寄せで朝起きられなくなる。よくないね。

生まれた時から「誰が誰を好きになってもいいし、どんな自分でも好きでいていいんだよ」って教えられていたら、そういう世界だったら私はどんな人間になっていたんだろう。

高校生の時、好きな女の子(以下Aちゃん)がいた。
今思うと、やっぱり恋だったんじゃないかなと思うタイプの「好き」だったんだけど、当時の私には分からなかった。
いつもいい匂いがしていて、背が低くて、本をたくさん読んでいて、テレビもたくさん見ていて、いろんな話の種を持っていたし、聞き上手でもあった。
Aちゃんに聞いてもらいたい話がありすぎてネタ帳を作っていた。日常に起きる笑い話や、エンタメの話、後は当時から考え込みすぎて頭がぐちゃぐちゃになる気があったからそういうものを整理する目的で真剣な話もたくさん聞いてもらってた。
Aちゃんが笑ってくれると嬉しくて、いまいちハマらなかったら1人で反省会したりもした。

ある時、Aちゃんの家に遊びに行く約束をしていたんだけど多分遅刻するだろうと先が読めた時に急に行きたくなくなった。
でもドタキャンの方が悪いよねって気持ちはちゃんとあって、どうしたらいいかなって別の友達に連絡した。
「Aちゃんと遊ぶ約束してたんだけど結構遅刻しそう。いっそ今日の約束はなくしてもらった方がいいくらいに落ち込んでる」
みたいなこと伝えたら
「誰だって遅れる時はあるし、遅れたからって怒る子じゃないと思うよ。とりあえず連絡してみなよ」
って諭された。それもそうかと思って言われた通りにして予定通りちゃんと遊びに行った。どう考えてもドタキャンの方がダメなんだけど、それが分からなくなる程度には焦っていた。
私は好きが一定のラインを超えると嫌われることを怖がるらしい。

修学旅行の夜、Aちゃんとその他の友達で円になって談笑してる時に、ふと「(私)ちゃんってAちゃん見る目が普通じゃないよね」って言われた。9月とはいえまだまだ暑い沖縄の夜だったのに身体の真ん中が冷えるような感覚がした。どんな風に返したのかハッキリは覚えていないけど「Aちゃんのことだ〜い好きだからね」とかって大袈裟に言って笑った気がする。
その子がどういう意味で「普通じゃない」って言ったのかは分からないけど、当時の私にはすごく怖い言葉だった。どう考えても誰よりもAちゃんと会話する時間を作りたかったし、Aちゃんが他の子と楽しそうにしてるとちょっとヤキモチ妬いたし、Aちゃんが好きなものを私も好きになろうとした。そんな過ごし方を全部変えなきゃいけないような気がした。私は普通じゃないらしいから。学生生活は人と違うものを仲間はずれにしたがる。普通じゃない私がAちゃんを好きでいることで、Aちゃんも一緒に普通じゃない人として扱われたらどうしようという恐怖だった。

休み時間、一人でいても何も思われない図書室は私の逃げ場だった。あまり有名な人が書いた本や流行りの本は読みたくなくて(今思うと変なトガり方してたなぁ)、人気の少ないコーナーをウロウロしていた記憶がある。図書室には雑誌も少し置いていて「ダ・ヴィンチ」を好んで読んでいた。読み始めたきっかけはオードリーの若林さんがコラムを書くようになったからだ。図書室の担当の先生にお願いして、廃棄する時になるとコラムを切り取らせてもらっていた。
そうやって周りと距離を取っていると少し気持ちが落ち着いた。

もしあの頃恋だと認識できていたら行動に移したんだろうか。
もし今あの頃に戻ったらどうするんだろう。
もし私の中に異性に恋をするものという固定概念がなかったらどうなっていたのだろうか。

今となっては私もAちゃんも男性と結婚して「普通」の生活をしているので、あの頃のような胸のジリジリはないけれど、今でもたまに思い出す。彼女が笑ってくれると嬉しかったなって。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?