養田_図面

都市計画のお母さん

今日は少し開発の話をしようと思います。うすうす思っている方もいらっしゃると思いますが、僕は10年以上土地区画整理事業という都市開発の仕事に携わっていました。

土地区画整理事業は「都市計画の母」と言われ、日本の都市開発に大きく貢献してきました。

関東大震災後の東京復興や太平洋戦争で焼け野原になった地方都市の復興、そして経済発展を背景に膨張する日本の都市の受け皿として面的な基盤整備を進めてきました。
今日は実は身近にある土地区画整理事業地のことを見て見ようと思います。

サンプルは加古川の南側にある尾上町養田地区です。

どうですか?
写真を見てどこが区画整理で、何を整備したかわかりますか?
よくわかんないですよね(笑)
なので、1961年までさかのぼってみましょう。

西端に加古川、斜めですが東西に赤の線で国道250号、緑の線が山陽電気鉄道です。山電の南側に国鉄高砂線が見えます。青の線は養田川、村の東端を湾曲して流れていますね。

1974年~1978年にかけての地域です。山電に尾上の松駅が出来ています。ウィキで見ると昔はもっと東にあったそうです。そして見えにくいですが、南北に高圧線用の鉄塔が2器設置されています。

1979年~1983年です。国道から南に抜ける道路が出来ています。注釈入れてないです。すいません・・・

1984年~1987年です。ほぼ変わってないですね。

そして、土地区画整理事業が進められた”まち”です。

養田川は鉄塔側に付け替えられ、旧の国道250号のバイパス道路として幹線道路が整備されています。そして、西側に南北に走っていた県道のバイパス道路として地区内に県道のパイパス道路が走っています。また、国鉄高砂線は廃線になり市道になっています。
尾上の松駅に近く、幹線道路もあるため移動に便利な場所なので、田んぼ宅地になりました。

どうでしょうか?土地区画整理事業がまちを劇的に変えたことが分かると思います。以外に知られていないんですよね。

また、ちょくちょく書きたいなーと思います。

全部で865文字でした。(タイトル除く)

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