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漫才論| ⁵⁵声に出して笑わなくても「おもしろい」と感じる"笑い"の正体とは❓

落語の場合は,必ずしも声に出して笑うような種類の「笑い」をとらなくても成立します。「人情噺にんじょうばなし」ではなくてもです。なぜならみている人は,声に出して笑ってはいなくても「おもしろい」と感じているからです。つまり,声に出して笑わなくても十分満足できるほどの「笑い」が存在しているということです

現在の漫才は,「爆笑」がおもな評価の対象となっていて,"爆笑至上主義"的なところがあります。爆笑する漫才は私ももちろん大好きですが,落語の世界のように「爆笑はしなくてもおもしろいネタももっと評価したほうがいい」と思います

それがどんな種類の笑いなのか,今回は「おかしみ」「うまさ」という要素について書いてみたいと思います

おかしみ

可笑味おかしみ とは,「おかしいかんじ。滑稽なおもむき」のことです

例えば,「夢路いとし・喜味こいし」の漫才は,最初から最後まで爆笑しっぱなしというかんじではありませんが,二人のやりとりが滑稽で,最初から最後までおもしろく,「ずっとみていたい」と感じます。これが「おかしみ」だと思います

また,「キュウ」「まんじゅう大帝国」のように,ネタの「発想」がおもしろく,最初から最後までニヤニヤしたかんじでみてしまうネタにも「おかしみ」を感じます

うまさ

「うまい」は「おもしろい」の一種だと思います。「うまいけどおもしろくない」と感じている方は,「うまい」の中にある「おもしろさ」にまだ気づいていないのかもしれません

うまい漫才といえば,これもやはり「夢路いとし・喜味こいし」のお二人です。ゆったり話しているようでいて,実はかなりのテンポで掛け合いをしていて,本当にうまいです。あの掛け合いをみているだけで楽しくなってきて,「ずっとみていたい」と感じます

また,「生活笑百科」という番組での漫才をみると,「うまさ」の価値がよく分かります。この番組では,法律相談の内容を漫才で語らなければいけないので,「ボケがほとんどない説明部分」が含まれる漫才になります。この部分をおもしろくみせられるかどうかは,掛け合いのうまさにかかっています。「ギャロップ」のお二人はうまかったですね

「爆笑」とは別の可能性がある

「爆笑」には図り知らないほどの価値があると思いますが,その中には何回かみると飽きてしまうネタもあります。一方,「おかしみ」と「うまさ」があるネタは,大抵「何回もみたい」という気持ちになります。これは,爆笑ネタに勝るとも劣らない強みだと思います

また,「おかしみ」と「うまさ」があれば,説明系の内容を「おもしろい漫才」として提供することができます。これは,爆笑ネタにはない強みであり,様々な場面で漫才を活用する無限の可能性を感じさせてくれる要素だと思います

"爆笑至上主義"の弊害

私が思う理想は,「爆笑をとる漫才」と「うまさとおかしみを楽しむ漫才」の共存です。"爆笑至上主義"によって「うまさとおかしみを楽しむ漫才」が評価されない状況が生じるとすれば,それは「もったいない」ことだと思います。爆笑とは別の種類の価値ある「笑い」が存在しているのに,それを感じられなくなってしまうからです

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