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    2014年12月と2015年1月のこと。

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たらればを思って、そうなっていればどうだったろうねとわくわくするのは他人事だとやりやすい。他人事とは例えば好きなバンドの解散。あのときあーだったらいまもまだ新曲を聞けたんじゃないか、なんてね。それで空想から戻ると、なんともこれは不可逆であるのだなとずっしりきてまた再生ボタン押す。

    • 運転している最中のBGMはどうすればいいのだろうと、ipodを使ったり、ゲームのサントラをかけた。運転の邪魔をしないことや助手席のひとと話をしても大丈夫なこと、騒音になってやしないか心配にならなくていいことなどをクリアしジャズになった。ピアノとギターだ。気取ってるのかもしれない。

      • 街路樹にセミがいたら、まあ、夏だなぁと思うけれど、たとえば寝室にはいったとき布団の上にセミがいたら、きっと、ぎょっとする。はたまた、真っ白なお皿の上にセミがのっていたとしたら、もう、嫌だろう。ほんとに組み合わせっていうか、いいの悪いの、それで変わる。それを作るのも、見落とすのも。

        • 薄型のテレビや観音開きの冷蔵庫をみても、子供のようにはしゃいだりはしない。できない、ともいう。だけど、いいなーと思ってるものはべつにあるのだから、ただいまは冷蔵庫やテレビじゃない、というだけ。そこに、じぶんで買ったんだ、が加わってまだまだ買い物の楽しみは残ってるはずだよねと思う。

        たらればを思って、そうなっていればどうだったろうねとわくわくするのは他人事だとやりやすい。他人事とは例えば好きなバンドの解散。あのときあーだったらいまもまだ新曲を聞けたんじゃないか、なんてね。それで空想から戻ると、なんともこれは不可逆であるのだなとずっしりきてまた再生ボタン押す。

        • 運転している最中のBGMはどうすればいいのだろうと、ipodを使ったり、ゲームのサントラをかけた。運転の邪魔をしないことや助手席のひとと話をしても大丈夫なこと、騒音になってやしないか心配にならなくていいことなどをクリアしジャズになった。ピアノとギターだ。気取ってるのかもしれない。

        • 街路樹にセミがいたら、まあ、夏だなぁと思うけれど、たとえば寝室にはいったとき布団の上にセミがいたら、きっと、ぎょっとする。はたまた、真っ白なお皿の上にセミがのっていたとしたら、もう、嫌だろう。ほんとに組み合わせっていうか、いいの悪いの、それで変わる。それを作るのも、見落とすのも。

        • 薄型のテレビや観音開きの冷蔵庫をみても、子供のようにはしゃいだりはしない。できない、ともいう。だけど、いいなーと思ってるものはべつにあるのだから、ただいまは冷蔵庫やテレビじゃない、というだけ。そこに、じぶんで買ったんだ、が加わってまだまだ買い物の楽しみは残ってるはずだよねと思う。

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        記事

          Twitterをみていると、世のご婦人たちがじぶんのパートナーをいろんな呼び名で呼んでいると知る。カタカナ表記だったり漫才コンビのようだったりして面白い。だけどほんとうはその文字面じゃなくて、外からは覗きようがない二人の関係を感じさせるところを、へぇーとおもってみてるのだと思う。

          Twitterをみていると、世のご婦人たちがじぶんのパートナーをいろんな呼び名で呼んでいると知る。カタカナ表記だったり漫才コンビのようだったりして面白い。だけどほんとうはその文字面じゃなくて、外からは覗きようがない二人の関係を感じさせるところを、へぇーとおもってみてるのだと思う。

          階段を一段とばしてのぼっていくと、ふとももを鍛えようとする運動のように負荷がかかる。はたからみたら、どことなくふざけて遊んでいるかのような動きをしているかもしれない。だけどそんなつもりはない。何気なく普通にのぼっていると、履物のつまさきがひっかかりやすいからそうしてるだけなのだ。

          階段を一段とばしてのぼっていくと、ふとももを鍛えようとする運動のように負荷がかかる。はたからみたら、どことなくふざけて遊んでいるかのような動きをしているかもしれない。だけどそんなつもりはない。何気なく普通にのぼっていると、履物のつまさきがひっかかりやすいからそうしてるだけなのだ。

          じぶんががまんすれば解決する。それしか方法がないのかもしれない。だとしたら、けっこう耐えなければならない場面なのだと思う。一方で、がまんすればいいや、と簡単な方法を選んだのだとも言える。適切なサイズのわがままを持ち出せるのは、それはそれでひとつの、そのひとの見識のたまものなのだ。

          じぶんががまんすれば解決する。それしか方法がないのかもしれない。だとしたら、けっこう耐えなければならない場面なのだと思う。一方で、がまんすればいいや、と簡単な方法を選んだのだとも言える。適切なサイズのわがままを持ち出せるのは、それはそれでひとつの、そのひとの見識のたまものなのだ。

          何かについて、もちろん、反対か賛成かどちらにも含まれないひとがいる。だけど、どうなってほしいかは立場を表明していなくても、うっすら聞き取れたりする。できるだけうまくいかないように邪魔を入れながら、どっちでもないかのように振舞ったりもしている。それは、ばれてる。みていれば、わかる。

          何かについて、もちろん、反対か賛成かどちらにも含まれないひとがいる。だけど、どうなってほしいかは立場を表明していなくても、うっすら聞き取れたりする。できるだけうまくいかないように邪魔を入れながら、どっちでもないかのように振舞ったりもしている。それは、ばれてる。みていれば、わかる。

          そのひとの顔が好みというのは、悔しいくらいに不公平で、時にちょっと逆らえなくなるくらいの関係のなかに連れ込まれる。しかもそうさせるのは相手のその顔なのであって、ほとんど受け取り手の能力ではない。だからその表情を前に私は敗北している。その負けには無力感と、恐ろしいことに快感がある。

          そのひとの顔が好みというのは、悔しいくらいに不公平で、時にちょっと逆らえなくなるくらいの関係のなかに連れ込まれる。しかもそうさせるのは相手のその顔なのであって、ほとんど受け取り手の能力ではない。だからその表情を前に私は敗北している。その負けには無力感と、恐ろしいことに快感がある。

          吸気と排気の換気扇がそれぞれあったとして、どちらかしか起動できないとしたら排気だけを運転するとおもうのだけれど、それは出るのだけしっかりしていれば、はいるのは勝手にはいってくるからなんだろう。べつになんのたとえでもないけれど、出るのだけしっかりしていればいいとわかって嬉しかった。

          吸気と排気の換気扇がそれぞれあったとして、どちらかしか起動できないとしたら排気だけを運転するとおもうのだけれど、それは出るのだけしっかりしていれば、はいるのは勝手にはいってくるからなんだろう。べつになんのたとえでもないけれど、出るのだけしっかりしていればいいとわかって嬉しかった。

          おれだってちゃんとやってますよ、怠けてないですよ、という態度を示したいがために行ったことはたいてい余計な作業で、それどころか要らない仕事を増やしていることさえある。いや、じぶんがそういうことをしがちだというだけだ。別のところでその欲求を果たせていれば、少なくなってくれるだろうか。

          おれだってちゃんとやってますよ、怠けてないですよ、という態度を示したいがために行ったことはたいてい余計な作業で、それどころか要らない仕事を増やしていることさえある。いや、じぶんがそういうことをしがちだというだけだ。別のところでその欲求を果たせていれば、少なくなってくれるだろうか。

          子供の頃にはネットのお楽しみはFlashとチャットとメッセンジャーだった。あのころに知り合ったひととはかなり長いこと連絡を取っていないし、たぶんハンドルネームが変わっていればたどり着くとことだってかなり難しいはずだ。いったいなんだったのかわからない。どうしているかな、とだけ思う。

          子供の頃にはネットのお楽しみはFlashとチャットとメッセンジャーだった。あのころに知り合ったひととはかなり長いこと連絡を取っていないし、たぶんハンドルネームが変わっていればたどり着くとことだってかなり難しいはずだ。いったいなんだったのかわからない。どうしているかな、とだけ思う。

          現実のじぶんの部屋を「どうぶつの森」のようにそらさずに作ろうとしたら、費用を安く抑えたりすることは二の次で、何万円もするような椅子とかソファだってありえる。それらをみるときは、新発売だ、という要素は実になんでもないものになる。ほかの商品も、もしかしたら本当はそうなのかもしれない。

          現実のじぶんの部屋を「どうぶつの森」のようにそらさずに作ろうとしたら、費用を安く抑えたりすることは二の次で、何万円もするような椅子とかソファだってありえる。それらをみるときは、新発売だ、という要素は実になんでもないものになる。ほかの商品も、もしかしたら本当はそうなのかもしれない。

          ひとつのことが別のものごとを誘発するのだと頭においてながめていると、なんとなくの判断でそっち方面にいくことで、望まない結果を招いている場面は多いように感じてくる。こうすればこうなる、ときっぱり見据えていなくてぼんやりしていたとしても、その予兆を無視しないことはできるだろうと思う。

          ひとつのことが別のものごとを誘発するのだと頭においてながめていると、なんとなくの判断でそっち方面にいくことで、望まない結果を招いている場面は多いように感じてくる。こうすればこうなる、ときっぱり見据えていなくてぼんやりしていたとしても、その予兆を無視しないことはできるだろうと思う。

          ちゃんと名前さえ出てこないひとのことを思う。ろくに会話もしていなくて声も浮かばないのに、思うことはできてしまう。そのひとは授業のはじまりを廊下で待っていた、何かに不満を覚えているようなぶすりとした表情で。反対に、だれかがじぶんのことを思っている様子を想像してみる。ちょっとこわい。

          ちゃんと名前さえ出てこないひとのことを思う。ろくに会話もしていなくて声も浮かばないのに、思うことはできてしまう。そのひとは授業のはじまりを廊下で待っていた、何かに不満を覚えているようなぶすりとした表情で。反対に、だれかがじぶんのことを思っている様子を想像してみる。ちょっとこわい。

          地球のどこかにある町を散歩するテレビ番組で、玄関先を掃除するひとが映る。カメラごしの映像ではなくじぶんでみたそういう姿を数えようとしたら全然でてこないけど、掃除するひとのイメージは、他人が暮らしている時間というか、じぶんが思っていることなんかぜんぜん通じない、よその世界を感じる。

          地球のどこかにある町を散歩するテレビ番組で、玄関先を掃除するひとが映る。カメラごしの映像ではなくじぶんでみたそういう姿を数えようとしたら全然でてこないけど、掃除するひとのイメージは、他人が暮らしている時間というか、じぶんが思っていることなんかぜんぜん通じない、よその世界を感じる。