2009年に書いた『装甲騎兵ボトムズ』の原稿

ニュータイプWEB(今のWEBNewtypeになる前)に連載していた「アニメを見ると××になるって本当ですか」の19回目『装甲騎兵ボトムズ』回。『ボトムズ』は今年放送40周年ですね。当時、角川の配信サイトで配信してた作品についての紹介コラムです。昨日も書きましたが、論評というほどでもなく、でも作品の「ここ」というポイントを捉えた上で、まっすぐ書かないということを意識してます。

 「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」とアルバムタイトルに記したのはミュージシャンの早川義夫だった。これが1969年の出来事。
 しかしその早川義夫も、それから10年ほど遅れて、ロボットアニメの世界に「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」ブームが到来することになろうとは予想だにしなかっただろう。
 ヒーロー然としたガンダムより無骨なザクのほうがかっこいい。トリコロールなカラリーングに端正なマスク。ロボットが道具であるなら、そんなかっこいい意匠が前面に出るのはおかしいだろう。むしろ、かっこわるいロボットのほうがリアルであり、リアルであるということ、それはかっこいいことなのである。「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」がきれいに反転して「かっこ悪いことはなんてかっこいいことなんだろう」になる。
 これが『機動戦士ガンダム』が生み出したムーブメントの一つだ。
 そして、そんな「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」=「かっこ悪いことはなんてかっこいいことなんだろう」ムーブメントの頂点に立つ作品こそ『装甲騎兵ボトムズ』だ。
 メインメカであるAT(アーマード・トルーパー)、その主力機種であるスコープドッグは、まるっこい頭のずんぐりむっくり。これで青と白のツートンに塗られていたら『ドラえもん』といっても通じるようなシルエットだ(おなかのあたりにポケットに見える意匠もあるし……)も。おまけに、顔らしいもなく顕微鏡のターレットのようなカメラがあるのみだ。眼がない、ということはキャラクター性の大きな欠如であり、愛嬌ないことおびただしい。放送前にキービジュアルを見て、戸惑った人は多かったに違いない。
 要するにATは、ヒーロー・デザイン的観点から見れば、相当に「かっこ悪い」くて、だからこそ猛烈に「かっこいい」メカだったのだ。使われ方も基本的に使い捨て。その「かっこ悪さ」はほぼ究極といっていい。
 というわけで究極の「かっこ悪いロボット」が登場してしまった'83年、ロボットアニメの「かっこ悪いことはなんてかっこいいことなんだろう」ムーブメントはある種の完成を見せた。そしてあまりに究極の完成型を得てしまった結果、逆に後継者を得ることができず、四半世紀が経過することになったのだった。そしてアニメが資本主義的な意味で洗練されていくとともに、「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」という意識もまたアニメの中からフェイドアウトしていく。
 「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」。この言葉がアニメにとってまた大きな意味を持つ時は来るだろうか。'83年のように。

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