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『ILLUME』とはなんだったのか:第9回:編集部の苦闘:印刷と構成の変容

サイエンスシリーズ以外の記事の作り方を書こうと思ったのですが、それに付随して、印刷とか構成が徐々に変化したことについて書いてみます。

読者が知っている言葉だけで、世の中はできているわけではないわけです。平易であるということは、専門用語が全くないということではありません。専門用語はわからないけど、そこに書いてある文意がわかるということが重要です。専門用語は調べれば良いし、本誌ならば脚注を見れば良いのです。

より良い構成を求めて

ILLUMEは4本柱とトピックスやエッセイという構成で始まっています。

創刊号では本文が80ページで表紙部分は別紙(べつがみ)で4ページの84ページでしたが、2号と3号は本文84ページ、4号は本文80pに戻ります。

2号と3号は以下のような構成で編集していました。

表紙:内容と連動したビジュアル
表2−1p:テーマグラフィック:テーマと関連する美術作品
2p:ILLUMEの言葉
3p:目次
4〜18p:イリューム・インタビュー(モノクロ)
19〜21p:エッセイ
22〜40p:サイエンスシリーズ
41〜56p:論文(色上質に1色)
57〜59p:トピックス
60〜81p:最先端レポート
82〜83p:資料編:創造性の研究
84p:筆者紹介
表3:編集後記・奥付

これは印刷の関係で、本来16p単位で印刷するのが効率が良いのですが、内容を削りにくかったりした場合に、4pとか8p増やしたりすることがあるためです。

また、本文が全部同じ紙で全部カラー印刷というのも、変化がなくて味気ないというデザイン上の工夫から、文字中心になる論文は、色のついた紙に黒ではない色で文字を印刷して読みやすさを加えていました。

そうすると、その前後のページ構成が制約されますので、そこに、エッセイやトピックスという短めの要素を入れて、調整することにしました。

本誌は、印刷上の制約や読みやすさなどを頭に入れて、この構成も変化していくことになります。

もっと写真をハッキリと

その好例がインタビューです。

2年4号を経過して、細江英公先生からAD(アートディレクター)のM氏に「インタビューの写真の再現をもっと良くできませんか」という要望が入ります。

先ほど構成の説明でインタビューページに(モノクロ)と書きましたが、細江先生が撮影した人物写真は、一般的な35ミリカラーフィルムではなく、4×5インチの大判フィルムを使ったり、ローライフレックスという名機で中判フィルムを使ったりというもので、しかも階調を生かした自前の印画紙プリントで納品されます。納品された印画紙だけで写真作品になっているような素晴らしい原稿です。

巻頭部分にあるインタビューページはカラーページなので、その写真原稿を印刷所で製版する際に4色分解してモノトーンを再現することになります。この辺は、当時まだアナログの印刷時代なので、今とは方法が違う部分もあるんですが、いずれにしても、モノクロの写真を4色分解しても、せっかくの階調が再現されず、あまりシャープなものにはなりません。

細江先生の写真を生かしきれてないのではないかという反省が編集部で課題となります。

そこで、5号から構成を変えます。

表紙:内容と連動したビジュアル
表2−1p:テーマグラフィック:テーマと関連する美術作品
2p:ILLUMEの言葉・編集室から
3p:目次
4〜22p:サイエンスシリーズ
23〜24p:トピックス2本(1pもの)
25〜40p:インタビュー
41〜56p:論文(色上質に1色)
57〜59p:エッセイ
60〜79p:最先端レポート
80p:筆者紹介・編集顧問
表3:Profile(筆者紹介の英文)、イリューム刊行にあたって、奥付

サイエンスシリーズを巻頭カラーで掲載し、インタビューは16pを墨2色刷りの特殊印刷ページとしました。用紙も本文は光らないマットコートだったので、インタビューページは光沢のある紙に変更しました。

項目ごとに、より特色のある用紙と印刷方法にすることで、持ち味を発揮できるようにデザインしたわけです。

時代の要請に合わせて

バブル崩壊の影響が大きくなった1993年の第9号からは、費用削減の要請に答えるために、さらに印刷効率の良い構成に変更します。

表紙:内容と連動したビジュアル
表2−1p:テーマグラフィック:テーマと関連する美術作品
2p:ILLUMEの言葉・編集室から
3p:目次
4〜21p:サイエンスシリーズ
22〜32p:コラム5本(2pもの4本と3pもの1本)
33〜48p:インタビュー(2色特殊印刷)
49〜64p:論文(色上質に1色)
65〜80p:最先端レポート
表3:筆者紹介(和英)、イリューム刊行にあたって(和英)、編集顧問、奥付

また、16号から発刊元がエネルギー未来開発センターから省エネルギー推進室に変更されます。

営業部の仕事が、拡販から省エネにシフトする時代になったわけです。自社製品をなるべく売らない営業という矛盾した仕事をする営業部になります。

本誌も地球環境問題への意識を高める省エネルギー推進室のあり方に沿って、用紙に再生紙や非木材紙(ケナフ)を採用し、印刷に大豆油インキを利用し、表4にそれを明記することにしました。

また、制作方法もアナログからデジタルへのシフトが進んでいきます。原稿が手書きからワープロになり、ワードデータに変わっていきます。レイアウトも手書きの指定紙による入稿から、クォークエクスプレスさらにインデザインとレイアウトソフトを利用したものに変わっていきます。

イラストや写真が、手書きの実物やリバーサルフィルムから、データによる納品が主流になっていきます。

こうした時代の流れに対応して制作方法を変えていくのは、なかなか難しいことでしたが、本誌は、非常に早くスムーズに対応できたのではないかと思います。その裏では、デザインスタッフや印刷所の苦労があるのですが、出来上がった本でしか判断されないところが辛いところです。

変えるのも生き残り戦略の一部

また、構成だけではなく、表紙デザインなども細部では何度も変わっています。

「創造する人のための科学情報誌」という言葉は、創刊時には本誌の中に出てきません。あくまでのコンセプトワードでした。

しかし、創刊から時間が経ち、TEPCO側のメンバーも入れ変わり、創刊時のことを知らない人が増えてくると、ILLUMEとは何のために発行するのかに疑問を呈する方も出てきます。

そこで、A氏は、ILLUME創刊の意図を明確にする方針を提案します。

「ILLUME刊行にあたって」の作成と表記、さらに表紙に「創造する人のための科学情報誌」と明記し、その英文を入れることにしたのです。

さらに、毎号テーマが異なる本なので、過去の号を示す必要があると提案し、バックナンバー総目次一覧表を別刷で作成し、本誌に封入することにします。

この「刊行にあたって」の記載とバックナンバーの添付が、8号からでした。

創刊から4年経ち、バブル崩壊の影響から本誌の制作予算の削減もあった頃でした。

表紙に「創造する人のための科学情報誌」と掲載するのが11号から、さらに英語の副題を「A TEPCO SEMIANNUAL REVIEW」(東京電力の年2回刊行誌)から「A TEPCO SEMIANNUAL SCIENTIFIC JOURNAL」(東京電力の年2回刊行の科学情報誌)に変更したのが13号からでした(13号と14号は、A TEPCO SEMIANNUAL SCIENTIFIC JOURNAL FOR CREATIVE PERSONS」だったのですが、長いというご指摘があり、変更されます)

表紙のビジュアルも、1号から4号はサイエンスシリーズと連動したイメージイラスト、5号から9号は4本柱それぞれのイメージを組み合わせたもの、10号は特集として、11号からは4本柱のタイトルを表紙に掲載、ビジュアルは主にサイエンスシリーズのイメージなのだけど印象が明るいもの、というふうに変化していきます。

芯となる考え方は変えず、その表現方法は時代に合わせ、徐々にそのコンセプトを明らかにして、アピールを強めに変化させる。

デザイン戦略で本誌の主張を強めていくことで、TEPCO社内での生き残り戦略も展開されていました。

下の写真は本誌20号の表2をスキャンしたもの。

1号から16号までの表紙デザインの変化が分かりますね。

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サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。