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『ILLUME』とはなんだったのか:第8回:編集部の苦闘:サイエンスシリーズの作り方

前々回では創刊号で生まれた編集方針「素人のためにできるだけ理解しやすく、玄人に後ろ指を刺されることがなく」について触れました。

もう少し具体的に、どんなふうにイリュームを作っていたのかを思い出してみましょう。

最先端の事象を最先端の研究者に

サイエンスシリーズは、ある分野の最先端の研究内容について、その専門研究者に執筆していただくという贅沢な考え方で企画されました。

科学雑誌のようにサイエンスライターや記者・編集者が研究者に取材して書くのではなく、研究者本人に書いてもらうことを徹底しました。

これは、大変高いハードルでした。

前回も書いたように、そこにはA氏の信念がありました。

科学界での正当性と正統性にこだわるA氏には、最先端のことを書いてもらうには、現役を退いた元学者やサイエンスライターではなく、最先端の研究者にその面白さを書いてもらうのが最も説得力があり、研究の最先端の面白さが伝わるはずだという信念がありました。

そうは言っても、研究者は忙しいので、我々に付き合っている暇なぞありません。そこで、その書き手候補が断りにくいルートから依頼を持っていくという手段を取りました。前回書いた「科学界の目利き」である巨人たちからの推挙であることを依頼の手紙で伝えるのです。

そこで、そのテーマに相応しいと思われる専門家の書き手を「科学界の目利き」に教えていただくという手法を取ったのです。

A氏は、この依頼の手紙に拘りました。決して、くどいものであってはいけない、しかし書き足りなくてはもっといけない。「要にして簡」である事を繰り返し説かれました。

編集者の基本は手紙である

今ならばメールで依頼するのが普通でしょうが、当時は、頼み事をいきなりメールというわけにはいかないという雰囲気が残っていました。

なので、まず手紙です。

・本誌の成立意義と社会貢献であること
・この号のテーマと企画意図
・なぜ、あなたに頼むのか、その明確な理由
・誰の紹介か
・日程
・謝礼

これらをA4でできるだけ1枚にまとめ、さらにどうしても書きたいことがあれば、その後に追加します。

この中で重要なのは、相手が書きたくなるようなテーマであるかはもちろんなのですが、やはり、誰の紹介なのかです。特に、科学者の場合、依頼の筋がモノを言う場合が多いです。科学者の世界は、研究者としての付き合いを重んじる横のつながりよりもありますが、それ以上に、出身研究室や大学での上下関係、つまり絶対的な縦割り社会でもあるのです。

私は、この仕事でそれを学びました。

そしてもう一つ、編集者の基本は、執筆依頼の手紙であり、そこに情熱と敬意と下心をいかに込められるかに尽きるのだと言うことでした。

若手研究者のうちに書く意義

ILLUMEが始まったばかりの頃は、最先端の研究者に一般向けのものを書かせるのは賛成しないと言う声もありました。

若手研究者を推挙していただきに上がる際に、目利きである先生方から「そうは言っても、彼らも時間がないからねえ」と遠慮する向きがあったのも事実です。中には、はっきりと「彼らの研究の邪魔をしてはいけない」とおっしゃる方もありました。大学での研究は、学生の指導や大学での会議など研究以外に時間を取られることが多く、必ずしも研究に専念できるわけではない、それに加えて、一般向けの執筆の時間など取れるわけがないと言う話なのです。

でも、それでは、誰が「科学離れ」を止めるのでしょう。誰が、科学との接点となるのでしょう。私たちはそうお話しして、これはと言う研究者をご紹介いただきました。

そして、若手研究者のうちに一般向けの記事を書く意義は、その後の研究に必ず生きること、研究者としての今後の人生に有意であることを、経験者である編集顧問や目利きの先生方から伺い、お伝えするようにしました。

そのうち、一度書いていただいた方から、「書いてよかった。何度も編集者に説明しているうちに、言語化できなかった研究の見通しがはっきりしました」「ただ書くのは辛いですが、ILLUMEでの執筆は実に素晴らしい経験でした」と言う声をいただくようになりました。

さらに、ILLUMEに書いた経験から一般向けの科学書を書くようになり、評価を上げた方もいらっしゃいます。

それはなぜなのでしょう。そこには、年2回発行であるILLUMEだからこそできる編集術がありました。

ILLUME流編集術:講義

一般的に、最先端の研究者は一般向けの書籍を書いた経験がある方が少ないため、原稿をお願いすると難しくなってしまうきらいがあります。しかも、忙しい方が多いので、ILLUMEが求める400字詰原稿用紙にして50枚と言う量を書くのは至難の業です。

そこで、ILLUMEでは、執筆依頼をしてから1ヶ月ほど後に執筆者から編集部への「講義」をお願いしていました。

どう言う流れで書くのか、大体の目処を立てていただいたところで、その内容を編集部(我々P社の人間だけではなく、これにはTEPCOの担当者も同席します)に向かってお話ししていただくのです。

これが大抵、つまんないのです。聞いているうちに眠っちゃう時もあります。部屋を暗くしてプロジェクターでOHPやスライド(最初の頃は本当にスライド投影機だったこともあります。1988年にはまだパワーポイントは一般的ではありませんから)を映しながら話すので眠くなりがちなのです。

しかし、ある瞬間、耳をそば立てたくなる内容になります。それは、大抵、その研究者のご専門のなかで1番の核となる部分だったり、一番面白いと自分で思っていらっしゃるところだったりします。

講義が終わった後、執筆者の方は、大抵がっかりしています。編集者が途中で眠ったことなど、大学の講義で眠った学生を見慣れている先生方には、すぐにわかります。だから、自分の話を聞き続けられなかった編集部の力量を見てガッカリするか、自分の話がつまらなかった事を知ってガッカリするのです。

しかし、ILLUME流編集術は、ここからの対話が肝になります。

講義の中で、面白かったところ、つまらなかったところを仕分けし、面白かったところがなぜ面白かったかを話します。そして、なぜ、先生の話がそこは面白かったのか、それは多分、話している先生が面白いと思っているからなのだ、と言う事をお伝えします。だから、そこを書いてくださいと。

書き手が面白くなくても、一般的に押さえておくべき話題だから盛り込んだと言うような部分は割愛して(流石に全部無くすわけにはいかないので、ポイントだけに絞ったり、囲み記事にするなどして、まとめてしまうとか)、書き手が面白いと思っている、自分が好きなところをなぜ好きか、どうしてこの研究をやろうと思ったのかというパッションを感じるところに重点を置いて書いていただくように構成を練り直すのが、編集の手腕だと言うのがILLUME流なのです。

そして、こうした講義をしていただき、構成を練り直し、さらに執筆時間をかけるという贅沢な編集ができたのは、年2回というサイクルで時間があること(月刊誌じゃ無理ですよね)、16ページ以上というボリュームで表現すること、理系のサイエンスシリーズ専任編集者が担当し、図解とビジュアル化が得意なグラフィックデザイナーがいるという、ILLUMEだからこそ可能だったと言えます。

ILLUME流編集術:サイエンスビジュアル

創刊号のサイエンスシリーズ「ビックバン宇宙論」では、解説用の図が22点、木曽観測所で撮影した天体写真が4点、人物紹介の写真が7点、イメージビジュアルが1点掲載されています。

ビッグバン宇宙論を登山に例えるという工夫でなんとかわかりやすくしようという大師堂先生の試みに、編集部が答えた力作でした。

そして、2号では生物学から「ホメオボックス」、3号は物理学から「超伝導」、4号は化学から「導電性プラスチック」、5号は再び物理学から「半導体」、6号は生物学・医学から「インターフェロン」、7号は生物地球科学から「物質循環」、8号は物理学から「レーザー光」、9号は気象学から「地球気候」、10号は特集なので特別に科学哲学から「科学という考え方」。

毎号、テーマはもちろん、分野の違う研究内容をいかにして「素人にわかりやすく、玄人に後ろ指を刺されない」ものにするか。

そのために、文章については執筆者にお願いするとして、編集者が気を使ったのが、イメージビジュアル、図解、脚注でした。

内容を捉えながらも、読者の興味を惹くように抽象化されたイメージビジュアルの創造は、毎回、デザイナーの知恵の絞りどころで、それに応えるイラストレーターたちの挑戦でもありました。

文章を補足し、解説する図解を丁寧に作ることはもちろん、提供された元の図をそのまま使うのではなく、正確でありながら美しいものに作り直す作業もまた、サイエンスビジュアルの工夫でした。誇張しすぎては間違ってしまうかもしれません。でも、論文に載せるような図では本誌に掲載する意味はないのです。

執筆者が、学会での発表にも使いたいから元図をいただけないかと言われるようなものもたくさんありました。

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(創刊号より)

ILLUME流編集術:脚注と校閲

編集者としては、本文を平易に書いていただきたいのはもちろんですが、そのために、手を入れたり、改訂をやりすぎると筆者の意図した文章で無くなってしまったり、書き手の味が無くなったりしてしまいます。

そこで、取り替えの効かない専門用語や言い回しの難しい言葉にはできるだけ脚注をつける事を心がけました。それはサイエンスシリーズだけではなく、本誌全体を通しての心掛けでした。

読者が知っている言葉だけで、世の中はできているわけではないわけです。平易であるということは、専門用語が全くないということではありません。専門用語はわからないけど、そこに書いてある文意がわかるということが重要です。専門用語は調べれば良いし、本誌ならば脚注を見れば良いのです。

論理が飛躍したり、思い込みで書かれている文章は直す必要がありますが、専門家が誠意を持って解説している文章は、編集部が手を入れる必要がなく、編集部の仕事は、それを補う工夫を考えることだというのも、ILLUME流編集術でした。

そして専門的な齟齬がないように、校正・校閲の専門家に最終チェックをお願いするのもILLUME流では常でした。

英文でのサマリーと英文タイトルを入れるのも海外の執筆者が多い本誌では、誌面内容のレベルと誠意を理解していただくことに役立ちました。

15号を超えたあたりから、翻訳者や校閲の専門家の名前も編集部の一員として入れるようにお願いして記載するようになります。

こういうスタッフへの気遣いもILLUME流だったかもしれません。

サイエンスシリーズ以外の作り方も次回では書いてみましょう。



サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。