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焦燥の濁流、、消えた?

今すぐ何か手を動かして「技能・方法」を身に付けなければという焦燥感が一気に頭の中を埋め尽くす事が時折訪れる。

これまではその焦燥に煽られるがままに何か動かしやすそうなものに触れ、何も動機が繋がらないために三日坊主から長くて二週間しか継続出来ない、、そんなサイクルであった。

しかし、今はそれが少し異なる。頭を埋め尽くさんとする焦燥感を仮設的に堰き止め、「この焦燥の濁流に身を任せるのか?はたまたここで保留(=濁流を溜める)し圧力を高め続け、より高圧にして利用するのか?」と自問自答が始まる。

これは、つい昨日「今自分が何をしているのか」についての一時的な意義を設定できたからかもしれない。そしてそれが楽しいから・好きだからかもしれない。

先に焦燥感を濁流と表現したが、我ながらこんな表現を出来るとは思ってもいなかった。凄いというよりも、何か「圧縮」を無意識にできているのでは?というような感覚だ。そんなある種の結果のようなものも体感すると、尚更「今その瞬間好きな事」を私淑口のようにやる事で、何か繋がる気がする。

言葉にしてみると思いがけず頭が整理され、with焦燥感っぽくなってる気がするし、比率は好きにして両方やるでもいいやんと心が軽くなったのは、「頭と心(腹)が別個にある」という日本人らしさなのかもしれない。(あるかどうかは知らないが(笑)と書いておく)

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