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観光の社会的役割は流動性と変革

『観光客の哲学(増補版)』東浩紀著を読んで、“観光の役割”が明確になったので備忘録として記しておきたい。

2020年からはじまったコロナによる前代未聞の全世界ロックダウンは、あらためて観光の役割、社会的意義について考える契機となった。観光業に従事するものとして暇ができてしまったこともあり、観光学に類する書籍を含め、いくつかの代表的書籍を集中的に読む時間をもつことができた。
ただ、多くの書籍は観光の歴史的推移を扱うか、観光客、もしくは観光客のまなざしによって変容する地域・文化に焦点をあて、閉じた関係性のみを照射対象としており、“観光の社会的役割”という大きなスコープをそなえた書籍には出会えなかった。「観光」というものがレジャーの枠を超えてどういう社会的意義をもつのか、観光の役割をメタ的に捉えたいという欲望をずっと抱えていた。

『観光客の哲学(増補版)』の興味関心はあくまでも社会である。社会を理解するために最適なサンプルとして観光客に焦点をあてている。その成り立ちからして従来の観光本とは一線を画している。

世界を席巻する観光客

ツーリズム(大衆観光)は産業革命とともにイギリスで生まれた。ツーリズムの誕生には、経済的余裕と余暇を手に入れた大衆の存在が不可欠だった。世界のフラット化とともに現在、大衆は増加の一途をたどり、イナゴの群れのように飛び交う観光客は地球を覆い尽くしている。観光客を嫌悪しながらもその経済的利潤の恩恵なくしては成り立たない地域も増えている。世界中を闊歩する観光客は各地で経済的利潤を生み出す一方、オーバーツーリズムに代表されるような新たな公害も生み出した。

観光客は欲望に忠実だ。その姿はときに快楽主義的で尽きることのない消費欲求に突き動かされる愚かな動物にたとえられる。観光は必要に迫られて行うものではない。行く必要のないはずの場所に行き、見る必要のないものを見、たまたま出会ったものに惹かれ、たまたま出会ったひとと交流をもつ無為な行為だ。観光客は訪問先をふまじめに、ふわふわと移動し、世界のすがたを偶然のまなざしで捉える。

観光客にとっては、訪問先のすべての事物が商品であり展示物である。地域への理解や自然文化保全への協力を求めてもその多くが徒労におわるのは、観光客の本質が消費者だからである。ウィンドウショッピングに興じる消費者の行動を制御できないのとおなじように、観光客の行動を制御することはできない。観光客は、地域側が見せたいものを見ず、見せたくないものにも遠慮なく視線を送り、ときに地域住民が見せたくないものまでも発見する。欲望に突き動かされて好き勝手に闊歩する観光客は、無遠慮で分別がない動物のように映るのも無理はない。

では観光客は経済的利潤のほかには地域になんのメリットをももたらさない存在だろうか。観光業者は世界中の地域資源にフリーライドしながら動物的消費者である観光客から経済的利潤だけをかすめとる存在だろうか。観光の存在意義はなんだろうか。それがずっと抱えていた問いだ。

観光の社会的役割

観光に託された社会的役割は何もないのだろうか。観光は平和産業だといわれる。世界が平和でないと観光はできない、という意味にくわえて、国際的緊張関係にある国同士であっても相互観光によってつくられる民間のつながりが戦争の抑止につながるという考えかただ。自分たちは世界平和に貢献している、というのが多くの観光事業者のこころの拠りどころになっている。しかしLove&Peaceだけでは観光公害をはじめとする地域への負の影響を正当化できない。観光が世界に与える負荷はコロナ前から甚大なものになっており、コロナが収束するやいなや、観光客はまた世界中を闊歩しはじめた。なぜ世界は観光客に覆われるのか。動物化する人間の愚かさだけが要因なのか。

観光の時代はテロの時代だ、と東浩紀は記す。
東浩紀は観光客もテロリストも硬直化した社会への変革をもたらす存在と位置づける。21世紀はナショナリズムとグローバリズムというふたつの秩序原理が重なり共存する「二層構造の時代」だ。政治はいまだにネーションを単位に動いているが、経済はすでにネーションを超えてつながりあっている。政治信条が異なる国家間であっても、世界中で人はZaraを着てマクドナルドを食べながらiPhoneをいじる。思考/理性を根本とする政治とちがい、欲望/本能を根本とする経済は容易に国境を超える。ひとつにつながった「身体(市民社会/欲望)」の上に、信条のことなる「顔(国家/理性)」が乗っているのが現代だ。21世紀の世界は、人間が人間として理性的に生きるナショナリズムの層と、人間が動物として欲望に忠実に生きるグローバリズムの層がたがいに独立したまま重なり合った世界だと考えることができる。

テロリズムやデモは、今や国家を超えて連帯する。テロリズムやデモは硬直化したナショナリズムの外側から変革を求めて攻撃を仕掛ける。そこにあるのは友敵の理論だ。テロリズムやデモは、敵を宣言することからはじまる。あなたはわたしの敵か友か、そして変革には暴力を伴う。

観光客は中立だ、だれとも連帯しない、だれの友にも敵にもならず、ふわふわと、たまたま出会った人と言葉をかわす。観光客はナショナリズムとグローバリズムのあいだを往復するノイズであり、私的な生の実感を私的なまま公的な政治につなげる存在の名称である。観光客は欲望に忠実でいながら、訪問先の公共性に影響をおよぼす。地域に変革を促す。

東浩紀は観光客の哲学を考えることで、オルタナティブな政治思想を考える。ひとがもし特定の国家に属してその価値観を内面化するのではなく、ほかの回路で普遍性を手に入れることができるとしたら、それはどのような道をたどることによってか。匿名で、動物的欲求に忠実で、だれの友にも敵にもならず、ふわふわと国家間を移動する観光客。そんな彼らがもし公共の可能性を開くとすれば、その公共性はどのようなものでありうるか。

社会に流動性をもたらす観光客

社会はある一定の複雑さを超えた瞬間に流動性を失い硬直化する。21世紀の新たな抵抗は、この硬直化に対するものでなくてはいけない。出会うはずのない人に出会い、行くはずのないところへ行き、考えるはずのないことを考え、組織化した社会に再び偶然(誤配)を導き入れ、集中した枝をもう一度繋ぎかえることを企てる。こうした誤配と再配置の集積によって特定の頂点への富と権力の集中はいつでも解体・転覆し再起動でき得るものであること、すなわちこの現実は最善の世界ではないことを人々に常に思い起こさせることを企てる。再誤配の戦略(観光客の原理)こそが二層化の時代において抵抗の基礎におかれるべきだ、と東浩紀は記す。

観光の本質は平和的暴力装置だ。観光が及ぼす影響は、時にテロやデモが志向するものと変わらない。でも観光客は敵をつくらない。観光客の原理は、テロリストの原理よりもやさしい。観光客は動物的だからこそ、ときに訪問先の住民に共感し手を差し伸べる。観光客の原理にあるのは、連帯と憐れみの哲学だ。テロリズムへのカウンターだ。観光客は(物理的)暴力をつかわずに訪問先の地域社会を変容させる。組織化され、硬直化した社会制度・政治体制にまで影響を及ぼす。地域住民が声をあげ、デモをしても変わらなかった社会が、大量の観光客の来訪によって変化を余儀なくされることがある。小さな変化(誤配)は、今この瞬間もそこかしこで起こっている。

観光客は大衆であり群衆である。そこに思想はない。動物的消費者でしかなく、訪問先の社会変革を意図しない。彼らは自分の見たいものを見、会いたい人に会い、無責任に立ち去っていく。ただその存在は訪問先の公共性に波紋をなげかける。その波紋は広がり、社会に流動性をもたらし、変革を促す。

観光の役割は社会変革である。硬直化した社会に流動性をもたらすことだ。その変革は観光客が一切意図することなく、平和裏にすすめられる。国家としての日本がいま世界中から観光客を呼び込もうとしている。彼ら観光客は確実に日本社会に変化をもたらすだろう。ある人々にとってそれは暴力的に見えるにちがいない。それでも僕たちは観光客を招き入れるべきなのだ。


日本最大級の観光ガイドエージェンシー『Japan Guide Agency』を運営する、JGA株式会社 代表の藤原です。Japan Guide Agencyでは、「地域・文化観光をアクセシブルに」をミッションに掲げ、全国でガイドツアーを開催しています。


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