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始まりはBRAVO

グレートピレニーズ「BRAVO」

友達からの電話

1998年4月、親友の夫君から電話をもらった。
「とっても良い犬なんだ。でも、犬猫引取り日に
連れてこられたんだ役場に。」
それが最初の彼の言葉。

今から24年前は飼い主が飼い続けられなくなった
犬や猫を行政の指定した場所に連れて行き
その後、殺処分前提の保健所が定点回収していた。

回収された犬猫達はある程度その先を知ってか
知らずか不穏な空気を察し吠えたり、鳴いたりした。
でも、その子は違った。
「とても静かで他の犬達みたいに吠えず、目が合うと
ジッと見つめてくるから切なくて・・・」
続けてこう言った。

誰か、飼ってくれる人探してもらえないかな?

当時、営業職についていたため交友関係は特に
多かった私が彼に依頼された飼い主探し。
どんな犬なのかを尋ねるとグレートピレニーズと言う。

超大型犬・・・誰でも彼でも飼えないじゃん・・・
私の憧れの犬種だけど・・・親と同居じゃ無理かな

その電話を受けて犬が好きそうな知人友人に
声をかけてみたけれど超大型犬、しかも成犬と聞くと
「悪いな・・・無理だ」「っごめんねー」とか
「いい人、居たらイイネー」の返事だけ。

両親は反対するのは間違いない。それでも、その犬の
先を考えた時、「殺処分」なのは容易に想像できた。
なかなか良い縁に繋げない事を親友の夫君に電話で伝えた。
親友の夫君も方々、自分の友人知人をあたっていたが、
やはり容易に超大型犬を迎えてくれる人は居なかった。

思い切って両親に相談した。
殺処分目の前で期限が近づいていること、他の犬達に
比べると物静かで騒ぎも吠えもしない犬だと言うこと。
そして私が責任をもって家族に迷惑をかけずに
世話をすることを条件にその犬を相棒として迎えたいと。

渋った両親も最後には私の説得に落ちた。
してやったり!いつもは家族とも和やかに会話する
私が5日間も家族の誰とも会話をしない作戦(笑)が
功を奏したとしか思えなかった。

見学そして・・・

親の気が変わらぬうちに!と翌朝、早々に収容されている
動物保護管理センターに電話を入れ、引取りを希望する人の
有無や犬の状態について問合せて見学希望の旨を伝えた。

その犬を迎えたい人は誰も居なかった。

しかも次の木曜日には炭酸ガスによる処分との事。
私にも予定や仕事があり、さらに土日祝日は行政は
休日ときているから見学なんて暢気なこと言ってられない。
それでも、非常識な私ですから(笑
交渉は試みた・・・わはははははは

ええ。当然、無理でした。しかも17時カッキリで業務は
終了ときているから、フツーの会社勤めの私が
仕事終わりに見学に行くことすら不可能。

っは?イキモノ相手の仕事で殺処分を減らしたいのに、
そんな対応しかして貰えないの?
しかも、その犬を迎えようって人は居ないんでしょ?
じゃぁ、処分ジャン。処分されるじゃないっ!

猛烈に腹が立った記憶

食い下がって交渉したけれど、返された言葉は
「16時半には見学に来て下さい」
「木曜日の午後には処分です」
何度もそれしか言わない当時のセンター長。

行政って全くもって融通が効かないんだな。
殺処分減らしたいって言いつつこの有様か。
様ざまな段取りを組み何とか都合がついたのが
殺処分予定の木曜日の午前中。
親友と妹を伴い保健所に出向いた。

収容施設の中に入れると思ったけれど入れず。
見学希望の連絡を入れたせいか施設の玄関先の
一角にある柵の内側にその犬は居た。

え?!マジかっ?えーと・・・汚いし臭いけど。

見学希望を伝えてあっても何の手入れもされず
毛玉だらけの糞尿の入り混じった匂いがした。

「この犬だけど、散歩してみて」

唐突に当時の動物保護管理センター長に言われ
スーツ姿でハイヒールのまま散歩した。
右往左往自由に歩く犬・・。

あー。駄目駄目。引っ張られちゃ!
こりゃ危なっかしいなー!ヒールじゃ駄目だよっ!

そう喚いた、センター長。
ざけんな。何とか都合をつけてきたんだ。
この後、仕事に戻るんだからこの格好だ。

心の中で毒吐きながらも、リードをつけて
外を歩くことが楽しくて仕方ない犬を可愛いと思った。
少しだけ歩いた後、そのセンター長から
血統書が手元にある事と年齢がもうすぐ、3歳に
なる未去勢だと言うことを告げられた。
この、人をイラつかせる才能抜群のセンター長とは
別の職員が日々この犬の世話をしていて、
犬の性格や棄てられるまでの経緯を教えてくれた。

ここに収容されるまでの間、2人の飼い主
手を渡ったこと。
とても穏やかな性格で犬猫引取り日に役場にいた時と
同じように物静かで騒ぎもせず収容施設に居たことを。

悩むことなく愛犬として迎えた。

帰りの車の中で妹と親友の3人で吐きそうなほどの
その犬の匂いに泣き笑いしながら彼の名前を決めた。

BRAVO・・・ブラボー。

これが私の最初の犬との出会いの日。
私の犬まみれの人生の始まりはBRAVOだった。
彼と暮らした事から動物保護愛護熱が上がり
グレートピレニーズ熱が上がったのは間違いない。

考えてみれば彼が今の自分の根っこだった。







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